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読書感想文【運命を開く】安岡正篤著

こんにちはコウカワシンです。

今回は、安岡正篤(やすおか・まさひろ)さんの書かれた【運命を開く】から学んだことを書かせていただきます。

この本は、「人格形成の指南書」ともいえる本です。

安岡正篤(やすおか・まさひろ)という人

安岡正篤(やすおか・まさひろ)さんは、1898(明治31)年に大阪府大阪市生まれました。

大阪府立四条畷中学、第一高等学校を経て、1922(大正11)年、東京帝国大法学部政治学科卒業されました。

東洋政治哲学・人物学を専攻されたことから東洋思想の研究と人物の育成に従事されたそうです。

太平洋戦争終戦時に昭和天皇の玉音放送の作成に関わり、昭和・平成元号の考案者でもあります。

吉田茂(よしだ・しげる)、佐藤栄作(さとう・えいさく)、田中角栄(たなか・かくえい)、中曽根康弘(なかそね・やすひろ)といった首相経験者の方たちの他、各界の著名人が教えを仰いだ昭和最大の黒幕といわれた人です。

そんな安岡さんが人を説くうえで大事にされたのが「徳」であります。

なぜ「徳」を積むべきなのか?

本書では人として大成するために必要な4要素(徳性、知能、技能、習慣)の中でも「徳性」が一番大事だと言います。

「徳性」とは、徳義をそなえた品性。道徳心。道徳意識を指します。

ではなぜ「徳」「徳性」を積むべきかを本書から抜き出すと次のとおりになります。

  • 人間の価値は知能や技能ではなく「徳性」だから

  • 「不昧因果」(ふまいいんが)を育めるから

  • どんなに偉くなっても学ばなければ気づけないから

知能とか技能というのはあるに越したことはないものの特性に比べると人間としての根本的な価値に影響はないと言います。

なぜなら、西郷隆盛や大久保利通が地球が自転しつつ公転しているという今日では小学生でも知っていることをはっきりと知らなくても誰も馬鹿だとは思いません。

弘法大師や日蓮上人が水の元素記号をH2Oということを知らなくても誰も馬鹿だとは思いません。

もっと言えば、自分の母親が幾何や代数、フランス語やドイツ語を知らなかったとしてもそれが人間としての落ち度ではなく母たる本質にまったく関係ないことなのです。

つまり、「徳性」が第一で、知性や技能というものは付属的なものということです。

禅の教えで不落因果(因果に落ちない)、不昧因果(因果にくらまされない)というのがあります。

「何事にも迷わされずに生きる姿勢」を説いたものです。ですがこれが言うは易しで、なかなかできるものではありません。

たとえばかつての日本人は「日本には危ないときに神風が吹くから決して負けない」と考えていました。

つまり、因果(原因と結果。 事象を成立せしめるものと成立せしめられた事象)に囚われていて運命論的に生きてしまっていたのです。

いいように考えると前向きにもなりますが、その逆は「もう自分の運命は決まっている、どうせ自分は~、どうせこの世は~」みたいになるでしょう。

これはすべて因果にかまけてすべてを曖昧にしてしまうからであり、ごまかさずはっきりと現実を見て受け止める力を育むことが大事なのです。

その力を育むには「学ぶ」ことが欠かせません。

学ぶことで不明なことが不昧になります。そして出来れば出来るほど、経験を積めば積むほど、学ばなければいけません。

ところが人間というものは少し成長し、少し仕事をするようになると学ばなくなると安岡さんは嘆きます。

学ばなくなると不明になり堕落していきます。

ですので、不明で置いておかず「不昧人」にならなければいけないのです。

「実るほど こうべをたれる 稲穂かな」という言葉がありますが、これは稲の穂は実るほどに穂先が低く下がる姿を人間に重ね「偉くなればなるほど、謙虚な姿勢で人と接することが大切」と説いたものです。

「謙虚」は、「徳」を積まないと身につきません。

人生は「徳」を積む修業の道を歩いていくということですね。

「徳」を積むには何が必要か?

「徳」を積むのに何が必要かは、いろいろありますが、私が本書から感じたことは次のとおりです。

  • 熱烈な理想

  • 努力

  • 童心を失わない姿勢

なんといっても「熱烈な理想」というものが自分の中にないとしっかりとした目標がつかみにくいでしょう。

「熱烈な理想」を持つだけではなく、それに向かうための「努力」も大事です。

「努力」と一言でいうのは簡単ですが、努力を続けるには探求心が不可欠です。

その探求心はすべてを投げ打ってでも夢中になれる「童心」が大切ではないでしょうか。

童心を失わない姿勢が「徳」を積むためには必要なのだと感じます。

どうすれば「徳」を積むことができるか?

「徳」を積むために実践することはなんともシンプルです。

  • 幼き頃からの教育

  • 「有名無力、無名有力」を貫く姿勢

  • 年とともに情緒を相応に持ち続ける

「なんだそんなことか」と思われるでしょうけど、できているようでできていないのが人間です。

「幼き頃からの教育」ほど大事なことはありません。

誰でも子どものころ、親とか身近な大人たちから勉学だけでなく礼儀作法や他人とのかかわり方、社会に出ての振舞い方を教えられてきました。

「自分は厳しく育てられたから大丈夫」と思っている人も昔と今をふり返ってみましょう。

できていないと感じたら反省して直すべきだし、まわりの子どもたちに「徳」を積めるように導いてあげる姿勢も大事です。

そして「有名無力、無名有力」ということも自覚するべきです。

この言葉の意味は、「決して有名になろうとしてはいけない。有名は多く無力になる。そうではなく、無名にして有力な人になることを考えなければならない」です。

なぜなら、名前が売れ成功すると人間は案外無力になり、かえって無名であることが有力であることが多いからです。

年を追うごとに人はいろいろな経験を積みます。その結果「駄目な自分」というものに自分自身が歯がゆい思いをすることもあるでしょう。

でもこの情緒、この感動を持つことがとても大事なのだと安岡さんは言います。

この精神があるかないかで人間が決まるとも言います。

つまり、年とともに、何になっても変わらず、情緒をそれ相応に持ち続ける人が本当に偉く尊いのです。

安岡イズムは現代でも必須の処世術

人間はまず自己を得なければいけない、人間はまず根本的に自己を徹見する、これがあらゆる哲学、宗教、道徳の、基本問題である

By安岡正篤

人間は弱い生き物です。

ふとしたきっかけから自分を見失い、社会での居場所を失います。

いくら勉強ができてもスポーツができても、そういったものが数年先にどのような価値として残るのでしょうか?

本書の題名【運命を開く】から「運命は自分で切り開いていく」という気概を持つことも大事なことです。

ですが、第一には自己の錬成により人の役に立てる人、人に頼られる人になれるように「徳」を積むことが大切です。

そういったことは今もこれからも不変の真理だと感じます。

「鉄は熱いうちに打て」ということわざもありますが、人間はなるべく若いうちから鍛錬したほうがいいと安岡さんも語られています。

夢も希望も持てないという人にとくに読んでいただきたい一冊です。

まずは自分というものを見つめ直すきっかけになるからです。

本書をじっくり読み、何か心に思うことができたなら、それは立派な成長といえるのではないでしょうか。










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