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100日後に死ぬ父。81日目。

 今朝早く、僕と母は車で東京へと向かった。姉は東京に住んでいるので、近くの駅で合流し、そのまま泊まるホテルへと向かう予定である。
 家を出る時、寝ている父に「行ってきます」と声を掛けると、父は眠たそうな声で「気を付けてな」と言った。今日から二日間、父を一人にさせておくのは色々な意味で心配である。けれどいくら心配したところでどうしようもないので、この二日間くらいは考えるのは辞めて、楽しむことに専念しようと頭を切り替えた。

 父も含めた四人家族でディズニーランドに行ったのは、僕が小学生の時だった。その時は高速も今より便利ではなくて、今と比べると東京までの道のりは長かった。長い道のりを父が運転し、ディズニーランドで一日中歩き回り、また次の日長距離運転をするのだから、父親というのは本当に大変だと思う。
 それが今では僕が運転をして、ディズニーランドへ向かっているのだから、なんだか不思議な気持ちになってくる。僕はもう大人で、父は糖尿病で留守番している。当たり前のことだけれど、時間は着実に経過しているのだと思い知らされた。
 運転をしている間、僕はそんなことを頭の中でコロコロ考えながら、少し悲しいうようで寂しい気持ちになっていた。

 姉と合流し、三人でディズニーランド近くのホテルにチェックインを済ませた。そこからは時間との闘いである。ディズニーランドへ行き、少しでも無駄な時間を無くすため、僕らは効率的に遊びつくした。時には複数に分かれてフードの列に並び、並んでいる間は他のアトラクションの情報を見ながら次の最善な行動を決めていった。子供の時は違い、今はもう僕も姉も大人なので、楽しみ方に容赦がなかった。
 その結果ホテルに帰った時にはすでにみんなへとへとで、僕はもう明日長距離運転する気力が残っているかもわからなかった。僕も姉も独身で子供を連れていなかったけれど、これで子供がいたらもっと疲れていたと思う。やはり父親というのは大変である。
 

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