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100日後に死ぬ父。100日目。

 目が覚めて居間に行くと、いつもの朝だった。母は台所でお弁当を作ってくれていて、何も変わらない風景でなんだかほっとした。僕は昔から心配しすぎる癖があった。物事の最悪の状況をいつも想像して、かってに不安な時間を人よりも多く過ごしてしまうのだ。だから今回も僕の悪い癖が出てしまったのだと思った。
 天気は快晴。そろそろ夏がやってきそうな暑さで、梅雨が明けて久しぶりに清々しい朝だった。
 朝ごはんを食べ、仕事に行く支度をしていると、電話が鳴った。時刻は8時過ぎで、こんな朝早く電話がなるのは珍しかった。その電話で僕の心配は一瞬で元にもどり、体を静止させて母の声に耳をすませた。
 電話は病院からで、父が病室にいないとの知らせだった。看護師さんが病院の周りを探している途中で、自宅に戻っていないかの確認をされたが、もちろん戻ってきていなかった。
 僕も母も、父がどうして病院からいなくなったのかを理解してしまっていた。母と僕は急いで病院へ行った。病院の中をみんなで探したけれど、どこにも父は居なかった。病院の周りを探して歩いている時は、地面に倒れている父を何度も想像しながら歩いた。角を曲がるたび、そこに父が倒れているんじゃないかと思い、僕らは常に心臓を苦しくさせながら角を曲がった。
 どうやら病院にはいないと分かってくると、僕は父が行きそうな場所を考えた。父が行きそうな場所というのは、父が死んでいる場所のことで、そんなことを想像するたびに僕は泣きそうになった。どうしてそんなことを想像し、考え、推理しないといけないのかが分からなかった。外は先ほどよりも日が差してきて、皮肉なほどにいい天気だった。
 考えた結果、僕はみんなでいつか大掃除をした、今は使っていない工房に父がいると思った。そこならだれにも邪魔されず、最初に見つけるのは必ず僕らだけだと思ったからだ。
 けれど病院から工房は歩いても一時間以上かかる距離にあった。車も所持金もなかった父が、歩いてそこまで行くのは考えにくいと母は言った。けれど僕は一応見てくると言って、車で工房へと向かった。母はそのあいだ伯父さんに連絡をしてから、もう少し病院を探すことにした。

 病院から工房まで向かうあいだ、まだ父がそこら辺を歩いている可能性も含めて、常に歩道を探しながら向かった。けれどどこにも父らしき姿はなく、すれ違うのは学生ばかりだった。僕は父がまだ歩いていることを願った。そして歩道で歩く父を見つけて、どうやって説得しようかも同時に考えていた。
 けれど結局工房に着くまで父を見つけることは出来なかった。車を降りて、工房のシャッターの前までくると、僕の全身は緊張してほぼ酸欠状態だった。シャッターを持つ手は震えてしびれていて、僕は中で父が死んでいる可能性を覚悟した。

 シャッターを少し開けけると、中の明かりが漏れてきた。その瞬間、確実に父がこの向こうにいるのだと分かった。けれどシャッターの向こうはとても静かで、人の気配というものは何もなかった。

 シャッターを上げ切ると、僕が想像していた最悪の状態の父がいた。天井の鉄骨から紐をつるし、父は眠るようにして垂れさがっていたのである。

 父の腰から下は、正面をダンボールで囲っており、父の体が地面から離れているのが見えないようになっていた。たぶん、僕か母が最初に見つけることを分かっていて、少しでもショックを与えないように隠したのだと思った。
 けれどそんな悲しい優しさはいらなかった。家族や親戚に迷惑をかけても、生きていてくれさえいればいいのに、父は本当に馬鹿な人だと思った。そしてそれを止められなかった僕も馬鹿な人である。
 母に電話をし、警察と救急に電話をし、僕は静かな工房でみんなが来るのを待った。頭の中で考えるのはさまざまな「もしも」ばかりだった。さまざまな「もしも」を考えて、今の自分が一番最悪な未来に来てしまったのだと思った。
 空は皮肉なほどに雲一つない晴天で、蝉の鳴き声が聞こえ始めた。
 そして蝉の鳴き声に混じって、遠くから沢山のサイレンの音が聞こえ始めた。

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