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2024/04/14 透き通った悪(仮)つづき〜完

 おはようございます🙏
 今日こそは時間があるので、前職の職場でずっと私に張り付いていた上司の正体を、ある本について言及することで、あきらかにしていこうと思っています。

 さて、それは今から四半世紀前のことでした。私が進学を諦め就職氷河期に年齢要件ぎりぎりのところで拾ってもらいました。
 しかし、……少しずつ語りたいです。
 続きです。


『透きとおった悪』

 全然読んでないのですが、ボードリヤールという哲学者が和訳本では『透きとおった悪』というタイトルの本を遺しています。なんでもこの方は、資本主義というのはその成立と同時に富めるものとその犠牲になる貧しいものが構造的に発生する、といっているのです。
 そして、上記の本では80〜90年代を、世界から悪というものが消毒されて存在しなくなったように見えて実は悪が空気のように広がってきた時代だ、という意味の事が語られているそうです。

道徳悪の定義

 端的に言えば、富者(善)が生じるところには必然的に貧者(悪)が構造的に共存するということでしょうか。時代の空気感でいうと、冷戦の構造が終わることによって東西二極の善悪から(その前は枢軸国対連合国、地方で見れば都会対田舎、先進対後進、革新対保守か?)、利用されてきた勢力による多発テロなどの反跳という悪の拡散に変化していったというところにも見えます。
 これだけ長い前置きをしたのには、私がおかれた状況を説明する土台として必要だったかなというところがあるからです。

身近な悪

 悪は必ずしも悪の顔をしていない。
 ラテン語の格言に
 「地獄への道は善意によって敷き詰められている」
ともいうように。
 悪の顔をした存在はあり得ないということになる。善の顔をした善もあれば、善の顔をした悪もある。なぜなら、「悪は消毒されている」時代とも言えるからである。悪もそこら中に空気のように転がっている。
 ここで私が語ることは、私が起こした行動をすべて正当化するためではない。起きた結果を開陳するためである。

就職氷河期に年齢要件ぎりぎりで

 私は都内に住んでいた。都落ちしたのには、訳があった。オーバードクターを恐れた父の助言で、受験して就職氷河期に年齢要件ぎりぎりで採ってくれた役所が近くなるからである。
 その間に失った物は数限りない。旧知の縁、同郷の縁、ゼミ仲間との交流、そしてその役所で得たはずが手元に残らない縁。もとい、精神をその間に患っているがそのせいもある。それで別れていった人たちは理解を求めても無理な話ゆえに、そこまでの縁でしかない。

ブルータスよ、お前もか

 最初に就職したその役所には四半世紀いた。一番長い社会人経験だった。某大学受験予備校のチューター(個別指導講師)ではないが、私に張り付いていた上司が終始いた。最初はチューターぐらいの気持ちでいたが結果、行く先々で私を立てるどころか人の下に置く真似事ばかりしていた記憶しかない。最近の年賀状では地元団体、役所のOB会、天下り先でしかないのだが、そこの役員に就いたという知らせがあった。
 そんなこと私にはどうでもいいことだ。
 あたかも私が隙だらけだったようにとられるふしもある。だが、実態は違った。空気のように張り付く悪。あの表現がぴったりなのである。
 地元の議員がそれ待っていたことかと、私にハラスメントや減給が襲いかかる度に聞きつけてすり寄ってきたのである。後輩の飲酒が問題を引き起こした時には反省文書かされ大恥をかいた。いわゆる垢バレした愚痴だらけのブログをあげつらわれたこともある。どれもこれもみんな、彼らの掌中にあった。早く邪魔者を辞めさせる罠だ。
 地元ミスコンの口の悪いのばかりいたり、その肩を持ち少数精鋭を騙るバカ上司もいた。そのためにどれだけ貶められたことか。
 都市計画のアイデアを横取りされたり、社会人としてどうかという上司夫婦もいた。院卒で居残って精神病んだのは私ぐらいなものだった。有象無象どもに囲まれどやされ、住宅ローンを逆手にとられ抜け出すに抜け出せなかった。
 トップの交代、東日本大震災対応を機に状況はさらに悪化する。
 ここまで読んで勘の良い読者諸氏はお気づきだろうが、あの上司も議員もハラスメント上司らとグルだったとしか判断できない。保守の巣窟は空気のようにはびこる、善の顔をした悪の巣窟だった。
 私の亡父も都内の役所に勤めていたから同じ役所という視点では見えてこない田舎町の罠には気づいていなかった。父を恨む気はない。最初に精神病んだときに、温泉や食事に誘ってくれた同期たちもまた、彼ら自身の昇進を境に手のひら返しで私を見限った。後輩の侮蔑に満ちた視線は今も覚えている。住宅ローンもあり辞めるにやめられない。それが実情だった。
 そして再び私が病んで休職してにっちもさっちもいかなくなって辞めざるを得なくなったときには、事は既に遅すぎた。

悪の内情

 ひとことで言えば、持ち上げて落とす、これに尽きる。
 私が採用された頃、当初は総務の配属だった。それが地元のコネがある同期や後輩がどんどん引き立てられて、おしまいは出先の部署だったのだ。
 異動の先々でそのついて回る上司に文句を言うと、何かにつけて先にいる後輩の方が君より先輩だと繰り返すばかりだった。何の解決にもならなかった。
 首の皮一枚状態のときには付け届けも欠かさなかったが、結果を見ればピエロも同然だったのだ。
 状況は悪化し、係長に楯突いたという理由が紋切り型で退職までついてまわる。その理由で昇給ストップ、ボーナス減俸だった。面倒を見る部下のひとりもいなかった。
 もちろん私は外部にも助けを複数求めた。結果としてなしのつぶてだった。地元のコネに対抗するなら地元の有力者というわけで、あるロータリアンのいるところにもお邪魔していたが、やっぱり私ひとりのために足を引っ張られるのを嫌がったためか、私とは距離を置いて音信不通となった。

最後の部署二カ所

 そして最後の一年、そのついて回る上司は仲の良い一個上の先輩と三人切りで「秘密の」昼食に私を呼び出し、「声が大きい人がいる」、「のっぴきならない状況になっている」と告げたのである。そんな状況、その三人でなくてもわかりきっていることだった。つまり私を心理的に追い詰めるための舞台作りだったとしか今となっては思えない。
 最後の部署二カ所での扱いは苛烈を極めた。台風の度に足止めして寝ずの番を強いて、決裁を通さないで「やる気がなく仕事を軽くみている」私のせいにし私ひとりを置いて周り全員を昇格させた。
 そこで頭に残ったのは他の三人がグルになっているにもかかわらず互いに何も知らない顔で事件を解決し、「三人寄れば文殊の知恵」などと罰当たりを働いていたのである。
 最後の部署では連日の遅くまでの会議が連続し頭が回らなくなった。そこの上司の椅子運びをさせられたり、挙げ句の果てには法事の休みをくそみそに貶され文句を言うとようやく前言撤回という具合だった。

明るみに出た悪

 イスラム過激派から始まり、ロシアのウクライナ侵攻で局地戦は泥沼化して、更に国際情勢はイスラエルとハマスの戦いで混迷の度を増している。我が国の周りも旧ソビエトの流れを汲む諸国の暴力主義と旧西側陣営との間に立って混乱している。
 国内を見れば、やはり国際情勢と過去の侵略戦争の後始末と無縁ではなく、国内に戦前からはびこる反社会主義の勢力が特定のカルト宗教と手を結び、共通の敵を持つことで国内政治を実質取りまとめてきていた。
 この構図は別の視点で見ると、冷戦の構造の亜型であって旧西側陣営の顔をした勢力であり、善か悪かといえば空気のように張り付く悪と言っていいかも知れない。それを別の言葉で表すと保守勢力である。
 念のためにいうと、西側諸国を見てもここまで保守政治にカルトが食い込んでいる国は他に見あたらない。
 私がいた田舎町の役所もまた、その空気のように張り付く悪と無縁ではなく、むしろそのものの一つだったと思われる。
 そして、その声の大きな主とはずっと善人の顔をして私に張り付いていた上司だったのではなかろうか。匿名掲示板まで駆使して。地域で特定できるのにばれないふりしているのか。今頃になって詮索してもしょうがない話だが人を貶めて一顧だにしない鉄面皮ぶりには、言葉を失わざるを得ない。

 透き通った悪は、私たちが今こうしてメディアから受け取る空気の中にもそこはかとなく漂っている。

2024/04/14 ここまで

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