愛と欲望という呼び水
結論から書くと、30年ぶりの同窓生というのも甚だ怪しいものだ。
私自身がボケ始めているせいもあるのだろう。知っている顔は恩師の一人以外誰一人としていないという始末だ。
まあ、歳も歳、転入学してきたという同級生には、老後の心配までされ嫁さん候補を探してやるよと呼び水を向けられた。仕方なくメアドと住所を教えたが音沙汰なしである。まあ今までの経験則上、そういうものである。
最悪のケースではシャンパン付きで酒宴となったものの、居合わせたご老人が御饒舌で紹介された女性と話す隙もなくお流れと相成った。
まあ、その女性も言葉がお上品でない。「やばいじゃん」と平気で飛び出す。後に劣悪な職場環境で私は障害が悪化し、そこでは再起不能となる。万一世帯を持っていたとしても三下り半を突きつけられるのがせいぜいだったろう。
少なくとも、その前々職でも太っ腹を自認する自称お友達にも紹介をちらつかされたが挙げ句、彼は自身の奥さんを追い出した挙げ句、私より先にさっさと辞めていった。選べなくても選ぶべきは友である。
友自体はなかなか選べないが、付き合い方、期待の程度ぐらいならいくらでも選びようがある。
水を向けられて音沙汰なく傷ついていく、それだって避けようと思えば避けるのも無理ではない。経験則に流されるだけが能ではない、そう自らに言い聞かせながら。たとえそのささやきに耳をかたむけることがあったとしても。