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漂流する一年の計

はじめに 「一切皆苦」


おはようございます🙏
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

万物は流転する。
まあそういってはそうなのですが、
決意通りに進まないことがほとんど、いや、すべてではないでしょうか。

私の願いも所詮はすべては苦。
人の願いというのは苦から逃れようとして、よりよいものを目指す、
だからこそすべてはもともと苦だと言えますよね。

追っかけという生き方

 もちろん、現状維持という生き方と見えるものもありますが、
現状は常に同じでなく、すべて老いて無に向かって動いていきます。
昨晩の叔母からの電話だと、未婚の従弟は某グループの追っかけで、
一晩かけて600kmを夜行バスで移動していったといいます。

 未婚だから追っかけできるんだよ、ということは結婚すると言うことは終生、伴侶に同じ以上のエネルギーを向けるということになりそうです。その従弟といえども、永遠に若いわけではなく、もうすぐ私と同じくアラフィフに踏み込もうとする男性であり、老いに抗って追っかけているわけです。

苦とは何だろう

 重力圏から自由になるのが成仏だとすれば、重力つまり苦と常にたたかい、あるいは釣り合いあるいは地べたから動けなくなるときもある、それが苦とのあり方、付き合い方のように私には思えるのです。

 未婚の私自身、あたかも他人の華々しい婚約・結婚・出産・育児を見る限り、それはあたかも私を含め独り身の苦しみを尻目にひと段階、重力圏から自由になろうとするかのような動きに見えてうらやましいものでした。

禍福はあざなえる縄のごとし

 もちろん、私も家庭を持つことを諦めてはいませんがそれは、決して苦から自由になることではないことを感じざるを得ない賀状を手にしました。
それは、一去年まで一緒だった障害児(歳をとっていました)の名前と姿が消えているものでした。

 とあるリゾート地で写る、学生時代以来の友は老い、夫婦とも笑顔でしたが一抹の寂しさを感じるのは私だけではなかったはずです。

 苦という重力圏のなかでいきいきとよりよく生きる手段の一つがもしかしたら、家庭を持つということかもしれません。つまり、最終目的地ではないのです。俗にゴールインと言いますが、それはゴールではなく給水地点に過ぎないのかもしれません。

縁に従い追いかけて生きたい

 縁をいただいたのならそれを喜んで受け入れる、なければそれも苦しいですが老いに抗いつつより良く生きたい、そう思います。

2024/01/01 とりあえずここまで
甲辰年 正月朔日

#note書き初め

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