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さよなら、母の昨日の記憶

柴山です。おはようございます🙏

今日は最近の二人暮らし母のことでお話しします。
一日たつと、昨日話したことがリセット状態になっている。
しかも腹を立てる回数も増えた。

まだ外出は独りでできるものの、本人は私が勧めた地域包括支援センターについて「活用するつもりはない、まだ早い」と言う。

そのうち、私についてあなたは誰ですかと口走る日が来てしまうだろう。
呆ける時は多分、例に漏れず対数級数的に症状が悪化していくかもしれない。

認知症の哀しいところは、統合失調症と違い、当事者本人に病識があるときが目立つのだ。私自身精神のほうを長患いしているので、自分自身のため病院での投薬や地域活動支援センターのカウンセリングを受けている。

ところが、繰り返しになるが母はまだそこまでの自覚がない。指摘すると怒られる。私自身、認知症サポーターの研修を受けたものの役に立ってない。母の妹(私の叔母)も「歳だから私も一緒」と取り合わない。

畑で働けるのだから下手すると動ける認知症としてある日、失踪して行政のお世話になるかもしれない。数年前に他界したおばあさんもまた、ものとられ妄想からホームに入所、病院に転院して最期を迎えた。

もし母がホームに入所し、私の発症のきっかけとなった一人暮らしを再開するとしたらどうだろう。数日なら持つ。だが、ある段階で担当医の先生を経由して精神科ホームヘルパーさんを頼むようだろう。

仮定の話だが、もし私がパートナーと一緒なら彼女は愛想尽かして出て行くかもしれない。そう母の世代はいうが、もうこの歳だと金目当ての結婚か子連れ、バツイチ以降しか残っていない。適齢期でこんな五十路前半の男に興味を持つ酔狂な女性などいない。でも独身のままでいい。幼なじみと一緒にもなりたかったが出した葉書は音信不通。いればきっと読んでいただろうか。

日々壊れゆく、母の記銘力。我慢比べはこれからだ。人間、生まれてくる時もひとり、死んでいく時もひとり。誰一人道連れにはできない。父はもういないが母がまだそばにいる。父母あっての自分だ。邪険に扱ってはならない。
(了)

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