釈然としないもの、或いは年賀状の謎
Bloggerから転載、編集、章立て済み。2024/01/09.
訳あって12星座占星術
今月は交渉ごとを一気に進めるのに好都合という。
年賀状で前々職の人達からもらった中には、地縁団体の役員になった人もいる。
中には、今度あって食事しませんかという人もいる。
だが、距離を詰められると彼我の違いにぼう然とするのは、昨年の同窓会(実質は同級会)で体験済だ。
どんどん心理的な距離を詰められていることにはさほど、以前ほどは焦りや不安を感じない。
一方ではどんな狙いがあるのだろう、そして人の暮らしを台無しにしてきた人達の流れだから、近づかないに越したことはない。どんなに懐かしさやそれまでの事をご破算にする交渉があるとしても。それをどうしようもなかったからこそ、前々職を追われLINEすら切っているじゃないか。今頃になってなんなのだ、と。
今を遡る20年前
昨日はそうした意味で、風呂に入って上がるまでの間あることについてずっと思いをめぐらせていた。それは、恋々として例の幼なじみが遡って結婚した頃の自分だ。その頃の自分は、統合失調症の一番酷い頃で(かんしゃくを起こす、正常な判断ができない、落ち込んで寝食もままならない。ここまで前々職で追い詰められ婚期すら不意にした恨み。これでよく食事しませんかといえた義理だ。)、入院前後を挟んでいた。
あの頃、ちょうどWTCを含む同時多発テロのあった頃だ。しきりに生首とられるという恐怖にも襲われていた。妄想だった。退院後は陽性症状が落ち着き、ものすごく落ち込みとわずかな妄想が襲ってきた。パソコン通信仲間の結婚式に都心某所へ誘われ二次会から参加した。あの華やかさ加減。幼なじみもそうだったのかな。私は会場の隅でリントンを飲みながら症状をやり過ごすも不安にノックアウトされ続ける。
幼なじみはよわよわな私しか知らないし、今ほど理解が進んでない病気だった。つまり、どう転んでも彼女の婚約者候補から外されて仕方ない状況だったのだ。前々職に就かざるを得なかった年齢的な状況、家系の違い、そして統合失調症の発症。同じ頃、妹たちの結婚もあった。九州から来ていた今はなき伯父も、妹の式場ホテルのロビーで、ソファにぐったり寝込む私を見て、どうしたとね、と亡父にたずねていた。これこれのことでということで納得していたのはおぼえている。
タイムトラベルの終わり
その幼なじみの子も妹たちの子供達も高校生。たぶん、パソコン通信仲間に子供がいれば同じぐらいだろう。運命の残酷さを噛み締めた昨晩の入浴時間だった。
風呂上がりに二代目の柴犬を連れて散歩に出る。先代の柴犬もリハビリの良い友だった。さっそくご近所さんの飼い犬たちに吠えかかられる。先代と同じく堂々としたもので動じない。気を遣うのは飼い主同士だけだ。犬たちに遠慮がないとおり、人もまた裏腹に本音では何を考えているかだいたい想像はつく。ただそれを認めたくないだけだ。一年の計は元旦にあり、その元旦がこの体たらくである。
幼なじみにしても、年賀状の主にしても、人は時として薄情なものである。そしてその無礼をわびるつもりだろうが、過去は元に戻らないため、罪は罪として永劫に残る。私たちひとりひとりの人生が過去に遡って変えられないのと同じである。
時間は遡れないから栄光も悲惨もそのまま残る。財産を相続したくない、放棄したいという人がいるのは、財産の中には債権もあれば債務もあるからであり、十把一絡げに良いところだけ取れるわけではない。
いくら謝られたところですべてがプラスになるわけではない。それを許すことは私の今のすべてを放棄する事であり存在を自ら否定することになる。
私はそこまで単純な人間ではないことを、年賀状なり返信先のない手紙を出す前に彼らは思いいたすべきだったのである。
はっきり分かっていて我がことのように喜べることがあるとすれば、それは私の姪たちの進路が決まったことである。私も少なからず使い古しの参考書なり提供して協力してきたつもりである。せめてもの代償行為である。
星に儚い願いを
婚約者が見つかるまで宿命のように頑張り続けるつもりだが、意中の人が年末年始休み中に姓が変わってしまっていた。さりげない会話が聞こえてきて分かった。年末ジャンボ宝くじも末等ばかりだし、産まれてきたことだけで自分は運を使い果たしてしまったのかなと思うことがある。
ある人は私に、私のこの人生の行いが影響しているという。誰だってそうだが、程度問題じゃないのか。私特有の問題ではない。
交渉ごとは仲介なしにうまくいったためしがない。現職も人材派遣会社に間に入ってもらった結果だ。友達の紹介で結婚相手という友達はいきなり現れたから信用ならない(例の幼なじみのことも把握していたらしい。タイミングが合いすぎだった。年賀状もない。)、ある場所では結婚紹介所も良いよと聞く。
妹たちも共通の友達の紹介だったという。ひとりの決意は大切だがひとりだけの努力の結果はたかが知れている。目的は正しい、方法論を間違えなければいい。どんな交渉ごとが待っているか、今度の11日の新月を待ってみるか。これもひとつ騙されたと思って。
2024/01/09 ここまで
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