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「教育としての部活動」と「お金の教育」について

学校教育の一環として存在する部活動。そのあり方には賛否両論、様々な意見があるが、「部活動とお金」という視点での個人的な考えを綴る。

高校野球と高校サッカー

数ある部活動の中でも、高校野球と高校サッカーは特殊な環境にあるのではないかと思う。
全国大会はテレビ中継があり、試合結果はスポーツニュースでプロさながらに取り上げられ、大きな盛り上がりを見せる。優勝チームの選手たちはヒーローのように扱われ、国民に注目される存在となる。また、チーム内の出来事がドキュメンタリーとして放送されたりすることもある。

この二つの競技に共通することは、野球もサッカーも日本でプロスポーツとして確立していること。全国大会で活躍すればスカウトの目に留まり直接プロへの扉が開ける可能性がある。そのような状況から、プロ志望の高校生たちは高校生活の全てをかけて部活に専念する。近年そうした学生も増加し、高校部活動のレベルは大きく引き上げられていることは事実だ。

レベルも上がり、プロ注目選手はメディアにも取り上げられることで、当然試合は注目を集める。高校野球も高校サッカーも今やかなりの視聴率が見込まれる大きなイベントとなっている。
しかし当然ではあるが、プロの試合のように大多数の人が観るにも関わらず、選手たちが着用するユニフォームにはプロのようなスポンサー企業名は入っていない。

部活動と収益活動

スポンサーが入れられない理由として、「教育の一環である部活動を企業の収益活動に利用すべきではない」というのがまず最大の理由ではないだろうか。
その理由は十分に理解できるし、決して間違っているとは感じない。
しかし、私はここでそれが正しいか間違っているかを問うているわけではない。

問題は、

表向きは部活動を企業の収益活動とは切り離しているが、実際は密接に関係しているという点だ。

夏の甲子園について考えてみる。

過密日程や熱中症など、毎年夏の甲子園があるたびにその危険性が議論になる。そして毎年あれだけ議論になっているにも関わらず、大きくは変わらない。

それはなぜか、

それは「大人の都合」によるものが大きいと思う。本当に選手ファーストで大会を行うならば、試合日程、試合時間など時代や環境に合わせて変えるべきことは多々ある。しかし何年経っても根本的には変わらない。いや、変えていない。

特に日程や時間などに関しては、放送時間やスポンサーとの兼ね合いもあり、なかなか変えることができないのではないか。

例えば試合をナイターにしてしまうと夜のゴールデンタイムに重なってしまうため、視聴率が落ちる可能性がででくる。お金を出しているスポンサーは当然それを良しとしない。

放送時間やスポンサー云々というのは視聴率やお金の問題、つまりは「大人の都合」である。
一見は企業の収益活動と切り離しているように見える部活動だが、内側では大きく関係しているのだ。
そもそも甲子園の主催は朝日新聞社と高野連。企業が主催を担っている時点で収益活動の一環と言えるだろう。

確かに、テレビ放送がある、大観衆に応援されるといったことはアスリートにとってこの上ない喜びであり、選手のモチベーション、パフォーマンスに大きく影響する。
「涼しくて試合がしやすい時間に試合時間を変更するけどテレビ放送はできないよ」ということになると残念に思う選手や、最も熱中症が心配される時間帯の試合でもいいからテレビ放送があったほうが良いと思う選手も多くいるだろう。
そういった点も考慮すると企業の収益のため多くの人に見てもらうように運営することは、主役である選手たちにとって悪いことばかりではない。

高校年代のサッカー

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高校年代のサッカーは少し複雑な構造になっている。
「部活動でのサッカー」と「クラブチームでのサッカー」の二つの活動形態があるからだ。部活動は教育の一環という位置づけであり、クラブチームはJリーグに所属するチームの下部組織が多く、主にプロ選手育成のための組織である。大会はそれぞれ、部活動サッカー部の大会(インターハイや高校サッカー選手権など)と、クラブチームの大会(クラブユース選手権など)で分かれている。そして高円宮杯U-18サッカーリーグといった大会には部活動とクラブチームが混在して勝ち負けを競っている。

高体連が絡まず日本サッカー協会(JFA)が主催する大会、前述のクラブユース選手権や高円宮杯U-18サッカーリーグなどは基本的に日本サッカーの競技力向上のために創設された大会であり、教育目的ではない。
たとえ部活動サッカー部でも、高体連が絡まないJFA主催の大会ではスポンサー企業名入りのユニフォーム着用が許されている。

もちろん限られた一部の高校ではあるが、教育の一環としての部活動が堂々とスポンサー企業名を背負い、商業目的であるプロ育成組織と公式戦で顔を合わせ、しのぎを削っているのが日本の高校年代サッカーの現状だ。

年末年始の風物詩の一つとなっている全国高校サッカー選手権大会はあれだけ多くの試合がテレビで放送されていても、高体連が主催として名を連ねているためスポンサー企業名を表に出すことは禁止されている。

つまり部活動サッカー部の中には高体連関係の試合用ユニフォーム(スポンサー企業名無)と、高体連が絡まない試合用ユニフォーム(スポンサー企業名有)の二種類を準備しているチームもあるのだ。全国的に強豪と言われる高校のチームには誰もが知る大企業の名が胸に印字されていたりもする。

表向きは高体連が絡まない大会への活動にのみスポンサーから支援を受けているように思えるかもしれないが、スポンサーから集めた資金はチームの普段の活動費、強化費として利用されるため、実際は部活動そのものに協賛金として資金援助を行っていることになる。

教育の一環として

もちろん「教育の一環である部活動を企業の収益活動に利用すべきではない」という考えには大いに共感できる。

しかしここでは、部活動を企業の収益活動に利用していることを批判しているのではない。

私は、

表側と裏側のギャップがあることを問題視している。

表面的には収益活動と切り離されているように見せているが、裏側では部活動を商業利用しているという事実があることが問題なのだ。

実際はお金が大きく関わっていて、企業の収益活動に利用されている部分も大きいのだから、堂々とそれを主体である高校生にも理解させるべきだと思う。

競技を行うために誰に支えてもらっているのか

どういったお金が必要なのか

どのようにお金が流れているのか

自分たちが一生懸命競技をすることがどれほど経済的に価値を生み出すのか

などを学ばせるべきだ。
彼らももう高校生。お金のことを学ばせても理解できる、むしろ学ばせるべき年齢である。

日本では「お金を稼ぐこと」イコール「悪いこと」のように捉える意識が昔からある。現在はその意識も随分と変わってきたように思えるが、まだ根底には残っているように感じる。特にスポーツや教育と言った分野においては顕著であり、それらが共存する部活動ではその意識が拭えないのも自然な流れかもしれない。

教育の一環である部活動を企業の収益活動に利用する

のではなく、

“教育の一環として”部活動を企業の収益活動に“参加”させる

でもよいのではと感じている。

そういった意味では高校球児のユニフォームや帽子にもスポンサー企業名が入り、年末年始の高校サッカー選手権で様々な企業名が観衆の目に入るのも「アリ」なのではと思う。

箱根駅伝をはじめその他競技にも同じことが言えるだろう。

あれだけ多くの人が観て感動するスポーツ。

“教育の一環として”部活動の可能性を広げても良いのではないだろうか。



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