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道徳、倫理、哲学、そして思想(前編)

はじめに

 こんにちは!コウガイビルです!
今回の記事は多くの人が勘違いしていそうな4つの言葉の「哲学的」な意味について。
なかなか興味深い話題なので、是非最後まで読んでくれると嬉しいです。
それでは、いきなり本題に入っていきます。

似ているようで異なる4つの単語

 表題にもなっているこの4つの単語について、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。
これを読んでいる皆さんの中でも何となくしか
区別出来ていない場合が多いのではないかと思います。(私もつい先日までそうでした)
特に、道徳と倫理なんてほとんど同じじゃないの〜?位に思っている読者の方も多いのではないでしょうか。

世間的な意味での道徳・倫理

学校ではどちらも科目として存在していますが、どちらも学ぶ内容としては似たり寄ったり。
それに加え私のような捻くれ者には、中身の無い退屈な授業であることが多いように思われます。下らない文章を読ませてどう思う?と質問攻め。それも解答が用意されていて、その解答にそぐわない答えは「不正解」。
もはや子供の自主性や個性、思考力を奪うためにやってるとしか思えないレベルです。

…だいぶ脱線しましたが、道徳と倫理の違いに
ついて考えましょう。
しかし、世間一般で使われる意味では、ほとんど区別をされていないようです。
それもそのはず、実際この2つの言葉はどちらも
ギリシャ語・ラテン語において、慣習、風俗の
意味を表します。
日常生活においては、ほぼ同じ意味として使われていると考えて差し支えないでしょう。

哲学における道徳・倫理

しかし、哲学の世界ともなると、全く事情が変わってきます。
カント、ヘーゲルといった難解な哲学を理解する上で必須とも言える、この二つの言葉は、明確に区別されることになるのです。
文脈によっては対義語のように使われることすらしばしば。
哲学を学ぶにおいて結構序盤に仕掛けられている
強力なトラップと言うことができる気がします。

それでは、まず道徳について考えましょう。
「道徳」は人が物事をすべき、或いはせぬべきかを判断させるもの。その点は、倫理と同じです。しかし、倫理との決定的な違いは、「社会」や
「時代」などの背景によって変化してしまうところにあります。

それに対し、「倫理」は人が人として生きる以上どのような状況でも変化しないのです。

具体的に考えよう!

一例を挙げましょう。
日本において、食事をする時は箸やフォーク、
スプーンなどといった食器を使うのが慣例です。
いきなり手を使って食べ出したりなどしたら周囲から奇異の目で見られることでしょう。
しかし、インドなどの国では話は別です。
インドにおいては食器を使わず、手を使って食べるのが慣例となっているからです。
これは「道徳」というものは状況によって変換
するという良い例でしょう。

それに対し、日本において人に殴り掛かった場合を考えましょう。
殴り返されるか、警察を呼ばれるかなど、あまり
ポジティブな結果は予想されません。
インドで同じことをしても、反応はさほど変わらないでしょう。
このように、人として生きる上で、社会や時代に関わらず「こうすべき」という慣例。
これこそが、「倫理」なのです。

最後に

今回は、道徳と倫理の違いを説明しました。
次回の後編では哲学と思想について解説する
予定です!
もしこの記事が気に入ってくれたら、いいねや、
フォローをしてくれると嬉しいです!
では、次回の記事でお会いしましょう。
ここまで読んでくださって
ありがとうございました!!


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