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19 さよなら、僕の平和な日々よ

「もしもーし」
『ヘマしてないでしょうね?』
「してないよ」
 僕は疲れたように囁いた。実際、僕は疲れていた。
『やーね、これからが本番よ。しっかりして』
「僕は繊細なの。佐子さんほど無神経じゃないからね」
『ふん、あんたの場合は繊細なんじゃなくて、神経質なだけでしょ』
 ああ言えばこう言うで、ホントに口じゃかなわない。ムカツクけど。
「もう、どうでもいいよ。時間ないんでしょ? 稲元が殺されたらどうするんだよ」
『それはないと思うわ……誘拐だし。他の人質はどうかしらねぇ……人殺しのリスクは高いし、精々ボコボコにされる程度でしょ』
 とさらりと言ってのけやがった。悪魔だ……この人……
「ねぇ、稲元をなんで誘拐するのさ? そりゃ、ある程度想像はついているよ。依頼人の孫なんだしさ。脅しの材料にされているんだってさ。なんで脅されているの?」
『なんで知りたいの?』
 でたな、美佐子さんの『なんで?』攻撃。あくまでも自分の手の内は見せず、先にこっちのカードを見ようとする魂胆。
「普通知りたいでしょ? 問答無用でこういう目に遭わされてさ、しかも助けてやるから手伝えなんて言われたら」
 もっともらしい回答で反論。だってそうなんだもん。
 恐喝されているからという現状はわかるけど、恐喝されるに至った根本的な原因がわからないのだ。
『どうしようかなぁ?』
 もったいぶってなかなか教えない作戦のよう。あのね、時と場合を選ぼうよ。
「美佐子さん……僕を怒らせたいの?」
『あんたが怒ったって怖くもなんともないわよ。そうねぇ……ある程度はさっき話しているんだから、想像できているんでしょ?』
「確実性に欠けているけどね」
『あぁんもう、あんたって本当に細かいわね』
 そりゃ、美佐子さんに比べれば大抵の人は神経質に見えるだろうね。
『山根さんは参議院議員なのよ。ある国会議員のリベートに関する調査を進めていたら、リベートどころじゃない事件が発覚したわけ。ところが告発するには事件は大きすぎて、挙句にとっくに時効を過ぎている。だからといって見逃すには、国政そのものに現在であっても、影響を与える大事件の証拠を手に入れてしまった。それが発端よ』
「そのやましいところのある国会議員と、つながりがあるって証拠を手に入れられた左翼は、どうしても公表されることを防ぎたくて、稲元を誘拐して脅している?」
『ま、そんなところよ』
 うーん……まぁ、確かに納得できるような気もするけど。
「その大事件って?」
『知らぬが仏って知っている?』
 裏家業で聞くと、物騒なことこの上ない台詞に僕の頬が引きつる。
「それってさ……知ると仏にされるってやつ?」
『可能性としてはあるかもね。国政と高校生一人の命としたら、やっぱり高校生一人の命のほうが安いもの』
 美佐子さんは涼やかな声で、背筋も凍るような台詞を言ってのけやがった。
「ちなみに……美佐子さんは知っている?」
『仕事だもの。大丈夫よ、セットフリーターが他人を逃がせて、自分が逃げられないなんてことはないもの』
 心配なのはその自信だ。それにその場合、僕はどうするんだよ。
 まぁ、置いていかれるんだろうけどさ。
「……で……でさ、これからどうするの?」
 色々と怖いことを考えてしまったので、あえて強引に話題転換を図る。
『配電版の位置はわかる?』
「確か……この下。今音楽室にいるんだけど、この近くの階段を降りきったところにあるよ。中を見たことないから何とも言えないけど………でも鍵がかかっている」
 はず、だ。普段意識して見ないし、そもそも開けてみようと思ったことがない。それでもかすかに残るおぼろげな記憶に頼ってみると、配電盤と思われる扉には、銀色の鍵穴のようなものがあったような気がするのだ。
『鍵は?』
「事務室じゃないかな? 職員室にも鍵はあるんだけど、例えば理科準備室とかと違うしね。先生が必要としないから、多分事務室」
『ならあんたは、事務室で鍵を手に入れてブレーカーを落として。それから目に付いた人間は片っ端から殴り飛ばしてってね』
「はぁ!」
 できることとできないことがあるじゃんか!
 あぁ、でも……なんかこうなる予感だけはしていたんだ。
「無茶言わないでよ。相手は銃を持っているんだよ?」
 一応控えめに抗議をしてみる。
 控えめすぎて美佐子さんには通じなかったようだ。
『リボルバータイプなら、シリンダーをつかめば引き金は引けないわ。オートマチックなら……ま、なるようになるわよ』
 ならないって。
『あんた、確認したのは四人って言っていたわね。学校の前についたけど、あのワンボックスカーなら、六人ね』
「着いたって……早すぎ」
 確かに僕の自宅と学校までの距離は、自転車で通える程度に近い。しかしあの美佐子さんが、何の用意もなく来るわけがない。
『車で来たもの』
 え、我が家には車があったの? 一度も見たことがないんだけれど。それより、それ以前の問題が。
「美佐子さん、免許あったの?」
 てっきり車がないので、免許もないと思っていた。なんだ、じゃぁペーパードライバーだったの?
『あるわよ。国際ライセンスもあるわよ。じゃなきゃ、こんな仕事無理よ』
 た、確かに。でも美佐子さん自身は車を所有していないはず。ただし、僕に隠してなければね。美佐子さんなら、「契約している駐車場に預けているのよ、あら、知らなかったの?」 くらいは言い出しそうだ。
 これ以上、親子関係にヒビを入れてもマズイので、僕はそれについて賢明にも触れないことにした。
『一度合流しましょう。事務室はどこ?』
「一階……職員玄関の横だけど……」
『職員玄関の近くで待っているわ。携帯はこのまま通話の状態で、あんたが行動に移れる状態になったら話しかけて』
「通話料金もったいないよ」
 携帯の通話料は自分の口座から引かれている。このあたり、美佐子さんは結構シビア。
 だから僕のお小遣いから引かれていくんだ。
『もおー、所帯じみたこと言わないでよ。そのくらい払ってあげるから』
「ホント? ラッキー」
 ついでなんで落としたいゲームや音楽も入れておこうっと。
『今月だけよ』
 浮かれた僕に釘を指す。だよね。
「じゃ、移動するよ。事務室に一番近い道使うけど、その場合職員室から丸見えだから、僕としては、すごく危険なんだけど」
『他のルートは?』
「道のりがあるだけに、すごく危険」
 中を通れば、当然巡回している奴に見つかるし、外を遠回りして、増援が来た場合は、かち合ってしまう可能性が皆無ではなかった。
『じゃあ近道にして。遠回りしても同じくらいのリスクなら、近道の方が見つかるリスクも少しは軽いわ』
「そうするよ……でも約束して。稲元たちに僕の母親だなんて絶対バレないでね」
 念のために言っておく。じゃないと、どうなるかわかったもんじゃない。
『あら、こんなに若くて美人のママが助けに来たのよ?』
 と、美佐子さんは楽しそう。
 よく言うよ! まったく。
「じゃ、移動するから静かにしていてね。じゃないと、うっかり電源切りそうだから」
 僕はそう言ってポケットに携帯を入れた。美佐子さんの冗談は僕に通じることが少ない。感性というものが根本的に違うのだ。僕は平和主義者だしね。

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