14 最初で最後の夏
繋がれ、どうか繋がれ!
誰もが固唾を飲む一瞬だった。繋がれと、それだけを念じていた。しかしボールは加藤の手には届かず、床に叩きつけられたボールが跳ね返って転がっていく。
頭が真っ白になった。誰もがその瞬間動けずにいた。
試合終了のホイッスルが鳴る。割れんばかりの歓声が広がる。ボールに手が届かなかった加藤が床を叩いた。
「あ……」
なんてひどい光景だろうと思った。
光広が金剛高校に入学して以来、試合という試合は負け知らずだった。校内の紅白戦では確かに負けて悔しい思いを何度も味わったけれど、その試合の意味はチームの技術向上戦力強化のための試合だ。他校との試合ではない。
インターハイ予選の試合も、インターハイも、常に金剛高校は勝ち続けてきた。だから光広は高校に進学して初めて試合に負けたチームを味わったのだ。
こんなにも悔しいものだったのか……
中学までの試合だって勝つこともあれば負ける事もあり、一喜一憂した。けれどいつも途中参加の転校生という立場の光広は、どこか間借りするような居候のような居心地の悪さをチームに感じていた分、心から喜んで、心から悔しさを味わったことがない。
高校は自分で選んで進学し、自分で一軍のセッターのポジションを掴んだ。
そして初めて皆と同じ土俵でチームを作り上げるところから参加した。
だからわかる。
悔しい。ただただ悔しい。
ネットを隔てた向こうで、今まで戦っていたチームが喜んで抱き合い手を叩きあうのを見て、こんなにも悔しいものなのかと実感した。
「若森」
大森に背中を押され、最後の整列に並んだ。相手のチームの顔が見られない。嬉しそうな顔なんて見たくなかった。
「礼!」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
健闘をたたえる拍手が沸き起こっても、達成感なんてあるわけがない。こんなに悔しくて、やり残したことしか思い浮かばない。後悔しかない。あのサーブをミスしなければと、あのトスをもっと完璧に上げていればと……
動きに習い、何も考えずにネット越しに握手する。おうむ返しに、何度もありがとうございましたと、感情を込めずに言うのがやっとだった。
「!」
その中で、敵チームのセッターが手を掴んでグイッと引っ張った。思わず顔を見てしまうと、嬉しそうに笑っていた。
試合の最中は意地悪に見えた顔も、今は気さくな笑顔になっている。それは勝利に浸っているからというのもある。けれど純粋に、試合を楽しんだ選手の顔だった。
光広が試合中に楽しくてしかなかったように、彼もまたこのゲームを同じように楽しいと感じていたという証拠だった。
「おまえ一年だろ? 来年もまた来いよ。俺は卒業でいないけど、またうちの学校とやろうぜ」
来年も、また……
それが叶うならば、どんなにかよかっただろうか?
三年間、金剛高校でバレーボールを続けられるならば、他の何もかもを我慢してもいい。
けれどそうはならない。これが最後だ。
「そう……すね。また来られれば……」
無理やり微笑んだ。ぎゅっと手に力を込めた握手が離れ、再び他の選手と握手を交わし、ベンチへ戻る。
終わってしまった。何もかもが。
もう光広のインターハイは終わった。金剛高校のチームメイトとして過ごす日も終わる。この夏休みの間に、引っ越しの準備を済ませ、そして転校する。
「あ……」
視界が歪む。自分でも信じられない程、涙が溢れた。
「おい、ムードメーカーが泣くなよ!」
大森に肩を抱かれ、頭を撫でられる。
「すみません……」
目元をぬぐっても涙は次々溢れて止まらない。寺里が手を叩いて拍手で出迎えた。涙のせいでどんな表情を浮かべているのかはわからなかった。
「おまえらはよく頑張った。だが最後は全体が焦ったな。誰か一人が悪いわけじゃない。コートにいる人間だけが悪いわけじゃない。全員だ。だから次は全員で乗り越えるぞ。頭を切り変えろよ。次は国体だ。春高だってある。おまえらの一年はまだ続くんだからな」
寺里の言葉にチームメイトが頷く。けれど光広だけがそこに加われない。
転校なんてしたくない!
どうして自分だけが、いつもいつもこんな目に合うんだ! もっとずっと、ここでバレーを続けたいのに! そう叫ぶ自分を飲み込んでいるから、余計に苦しくて涙が止まらなかった。
「来年は、おまえたちの手でインターハイの優勝を掴めよ」
涙が止まらず俯いた光広の頭を、皆川が撫でた。それを切欠に肩を叩かれ頭を叩かれ、髪の毛をぐしゃぐしゃにとされる。
「ひどいっすよ、先輩たち!」
泣き笑いの表情でようやく顔をあげると、三年の先輩たちは笑っていた。
悔しくないはずがない。これが最後のチャンスだった。光広以上に勝ちたかったはずだ。それでも後輩たちにインターハイ優勝の夢を託し、笑っている。
強いなと思った。そしてそれに応える事ができない罪悪感で胸がいっぱいになる。
もしも光広が来年のインターハイに出場することができたとすれば、それは次の転校先から出場し、金剛高校の敵となって戻ってくることになる。
「すみません……」
だからこそ余計に言えなかった。夢を託そうとしてくれる先輩たちに応えられない。それが辛くて苦しい。
涙が止まらない。もうどうしていいのかわからなかった。
「若森、よくがんばったな」
「っ……」
ただ一人、すべてを知っている監督の寺里が光広の頭を撫でた。
最初で最後のインターハイとなることを、寺里だけが知っている。金剛校で過ごす最後の夏になることも。もしかしたら、これが高校三年間で、この試合こそが最初で最後になるインターハイという可能性があることも知っている。
光広は三年生以上に、このインターハイに賭ける思いが強かったことも、寺里だけが知っていた。
転校することの悔しさや悲しさも胸に秘めていることも。
光広はただ頷くことしかできなかった。色々な思いが溢れて言葉にならない。
「おまえはがんばったよ」
「…っす」
「会場をよく見ておけ。またここへ戻ってくるためにな」
敵のチームとなっても、バレーボールを追いかける選手としては繋がっているから。
そんな思いを感じて光広は再び頷き、会場を見回した。
記憶にこの夏の試合を焼きつけるために。
金剛高校男子バレーボール部員としての、最初で最後の夏を刻みつけるように。
最初で最後の夏 ―完―
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