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17 さよなら、僕の平和な日々よ

 キャップを被った男だ。東棟と西棟に挟まれた中庭をじっと見ているようだ。男だろうということだけはわかった。
 もっと奥も見てみたいが、三階からではこれ以上無理だ。少なくとも二階は警戒するにこしたことはないということだね。
 他の二階の部屋も見てみる。放送室やスタジオには人はいないが、保健室にもいるようだ。一人……? いや、窓に背を向けている。二人という可能性は無視できない。
 再び三階に双眼鏡を戻す。二階職員室にいれば、三階職員室も危険だ。んー……いた。
 一人かな?
 詳しく確認するために、僕は写真部前まで移動した。こうすればここと向こうは対面する。それだけに僕の存在もバレやすいので、しゃがみ込んでぎりぎりのところで偵察再開。 三階職員室には一人だけのようだ。何かを物色しているのか、立ち止まっては動いている。
「……」
 今、確認しただけでも三人。推定で四人。僕が最初に目撃した限りでは、もう三人くらいはいたような気がする。あの手のボックスカーには、前に二人、後部に四人から六人座れるはずだ。つまり、六人から八人はいる。
 僕は無茶を覚悟の上で一階へと行くことにした。手すり越しに人がいないことを確認しながら、三階から二階へ、二階から一階へと移動する。階段を降り切ったところに非常出口がある。僕はここの鍵を外して少しだけドアを開けて、一階事務室を見た。
 ……いない?
 いない、ようだね。これはチャンスかも?
 隣の用務員室にもいないようだ。さらに隣の生徒会室はカーテンが引いてあるせいで、中の様子はわからない。またまた隣の茶道部室は障子の戸が、閉められているせいでわからないが、明かりはついていない。こうしてみると、普段施錠がされてある部屋は、入っていないようだ。
 ん? 確か校長室は鍵があったような……?
 でも職員室に鍵があるはずだしな。そこから拝借したのかも。
 実は学校中の鍵は事務室と各職員室にそれぞれあり、事務室にだけマスターキーが存在する。
 なんでこんなこと知っているかって?
 それは科学の授業のときに、科学の岡田が科学準備室の鍵を忘れ、視線が合ってしまった僕に指名したからである。職員室に行ったが、別の学年の科学の先生がポケットに入れたままだったらしく、僕は事務室でマスターキーを借りたってわけ。その時は、こんな便利なものがあるのかぁと感心したものだ。
 マスターキーは手に入れておきたいな。そのためには、職員室が最大の難関。用務員室隣の一階職員室には、いたりするんだよね。人数は一人。これで四人確認。推定五人目。各階に一人ずつ見回りがいるとすれば、推定八人。稲元たちの見張りを入れると九人はいるはず。しかしあの車に九人は乗らない。つまり建物を巡回しながら見回っているのは、後二人。拉致した稲元を乗せるスペースが必要だし、それ以上の人数はいないだろう。
 その稲元たちがなぁ……どこにいるかだよね。鍵がかかっているはずの校長室に明かりがついているので、ここに閉じ込められている可能性は高い。けれどどうやって確認するかだ。
 やれやれ……面倒なことになったよ。
 偵察を続ける僕の耳には、一人と思われる人物の足音がした。途端に心臓がぎゅっと縮み上がるかのように痛んで、思わず息を詰めてしまう。
 ピーンチ!
 僕はあたふたとしながら、非常出口のドアを閉めて鍵をかける。それから自らの足音を立てないように靴を脱いで両手に持ち、一気に三階まで駆け上がる。
「……っ!」
 心臓に悪い緊張感だ。踊り場から下を覗きたい欲求にかられたが、それで向こうに見つかっちゃおしまいだ。僕は廊下を確認して、体制を低くして演劇部へと向かった。そして衣装の中へともぐり込んで、静かに息を吐いた。
「はぁ……」
 ゆっくりと靴を床に置いて履くと、僕はすでに疲れきったため息を漏らした。
 どうして僕がこんな目に……
 朝起きて、普通に授業を受けてさ。放課後は黒田に合コンに誘われ、しかし稲元の頼みでバスケ部の助っ人に入って、本当だったら今頃マックで食べているはずなのに。
 そう考えたら、腹も減ってきた。はぁ……
 あぁ……人生は不公平に満ちている。僕はただでさえ美佐子さんという、火のついたダイナマイトみたいな人がそばにいるだけで、心の平穏をかき乱されているというのに、なんで自らこんなことしているんだ?
 稲元の馬鹿野郎!
 って……稲元自身が悪いわけじゃないし。んーと、代議士だかなんだかやっているじいちゃんが悪いんだっけ? いや、悪人じゃないけど。
 昨日美佐子さんに依頼しに来た、やけに威圧的なじいちゃん、きっとあの人が代議士をしている稲元の離婚した父方のじいちゃんだ。そう考えればなるほど、確かに外で待っていたあの運転手は、まるでSPでもやっていそうな雰囲気だったよね。
 あー……なるほど、いかにもやり手そうだしなぁ。それだけに敵が多そうだもんなぁ。
 かといって稲元のじいちゃんに直接手出しするには、リスクが高そうだし。
 そこで離婚してしまったとはいえ、孫の出番となったわけだ。稲元もいい迷惑だ。
 でもさ、なんで?

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