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26 僕の平和が遠ざかる

  我が母親ながら、理解できなくなってきていた。確かに子供の頃から置いてけぼりが多く、僕はよく隣の家に預けられたりしたものだ。僕が中学に上がったころには、それもなくなったが、美佐子さんが海外へ行くことはいつもあった。
 まぁ、それも今思えば、すべてセットフリーターとして客を海外に逃がしていたわけなのだろうが。
「美佐子さんはどうするつもりだろ?」
「パスポートを用意してくれるからって」
「時間は?」
 ジューンは首を振った。これはもう一度連絡しなきゃだめだな。
 だけどあの美佐子さんのことだから、先にこっちの考えをまとめてきちんと話さなきゃ、また一方的に切られてしまう。
「えぇっと、話しをまとめたいんだけどさ……ジューンがAIチップの開発者だよね。それで、それを諜報活動に利用したいCIAが、ジューンの研究を横取りしようとした?」「いいえ、横取りなんかではなく、表向きの研究者であるリックごとCIAに引き入れて、局員にしようとしているの。そうすることによって、この研究成果は世間に発表されることのないまま、そうした方向にだけ利用されることとなるわ」
「ひどいなぁ。んー、で、それを拒否したジューンとお兄さんは、お兄さんと共に国外にそれぞれ逃げた。アメリカ国内に潜伏できそうになかったから」
 僕がそう言ってジューンを見ると、ジューンは頷いた。僕は床から立ち上がって、ジューンの隣に座った。ジューンは両手を膝の上で組んだ。
「そう……リックはイギリスへ……」
「それでジューンがたどり着く前に、以前美佐子さんに助けてもらったことがある、ジェームズって人が美佐子さんに連絡した。連絡を受けて大まかな事情を聞いた美佐子さんは、すぐに田崎さんを呼び出した……」
 それはなぜ?
 美佐子さんがセットフリーターだと田崎さんは知っていた。美佐子さんの恋の奴隷と化している田崎さんなら、『お願い、助けて』の悪魔の甘いささやきを、喜々として聞き入れるだろう。
 ということは、田崎さんは職権濫用をしまくってでも、ジューンを逃がす手伝いをするわけだ。
 恐らく相手がCIAだということも、田崎さんは承知している。本人はあまり出世に興味はないみたいなことを言っているが、田崎一族は財政界にも顔が広いうえに、特に警察界に強い。現警視庁長官、次官などなど、強烈すぎるコネがある。
 こう考えると……田崎さんは敵に回したくない人だ。
「あの人は美佐子さんの……恋人?」
「田崎さん? あの人は……美佐子さんの恋の奴隷。下僕でもいいかも」
「ど……それ、それはひどいんじゃ?」
 僕の揶揄にわずかにジューンの表情が緩んだ。つられた僕も苦笑した。
「そうでもないよ? あの手の人は美佐子さんの回りにわんさかいるんだ。山ほどね。まるで女王蜂に群がる働き蜂みたいに。働き蜂がせっせと甘い蜜を貢いでいるけど、当の美佐子さんは蜜を食べても相手を見向きもしない。まぁ、一応僕のパパの候補の一人ではあるね」
 うん、我ながらいい例えだ。しかし聞いているジューンは困ったように曖昧に笑った。 どっちにしろ、ジューンに田崎さんのことを詳しくは話さないほうがいい。
「それで出国するために、偽装パスポートを手に入れるまでに、少々時間がかかると踏んだ美佐子さんは、僕にジューンのボディーガード兼、ガイドを言いつけた」
 詳しい美佐子さんの手法はわからない。なにせセットフリーターだなんて、怪しい裏家業をしているなんて知ったのは昨日のことだ。そう簡単に想像のつく世界ではない。
 しかしこう考えると、美佐子さんはある意味田崎さん以上に、絶大なコネクションの数々があるようだ。それも日本国内外問わず、ジャンル(?)も様々……
 あぁ……これまででも十分に非常識で、目茶苦茶に傍若無人に疾走している人だっていうのに、それ以上だなんて……
 あぁ、平和な日常が懐かしい……
「まったくあの人は……どうしてこうも僕に無理難題を、僕に押しつけるのが好きなんだか」
 僕はため息交じりにそう言って、ポケットから携帯電話を取り出した。画面を見つめる。言いたいことは大よそまとまった。覚悟を決めて、メモリーで呼び出すと、数回のコールで美佐子さんは電話に出た。
『何よ? まだ何か用なの?』
 開口一番それかよ。まったく、この人は……
「あるよ、まだまだね! ジューンに聞いたよ、あらかたのことは。まぁ、相手が何であれ、少なくとも美佐子さんは勝てば官軍で、つき進むんだろうから、美佐子さんのことは全然心配しないよ」
『まぁ、なんて子なの!』
「ひどいわ、良さんっていうのは、僕が電話を切ってからにしてね」
 次に出るセリフを先回りして言うと、ふんとご機嫌ななめに鼻を鳴らした。やっぱり言うつもりだったんだ。
「明日のスケジュール教えてよ。こっちは外に出れば強制的にマラソン大会で、たまんない状況なの。何時に空港に向かえばいいの?」
『そうね、一応三時発ニューヨーク行きを取ったわ』
「ニューヨーク?」
『真っ直ぐにマサチューセッツに向かえば、すぐ捕まるじゃない。本当のところは複数手配しているから、場合によっては香港に向かうかもしれないわ』
「ちょっとぉ……留守番は別に今に始まったことじゃないからいいとして、その間の軍資金は?」
『あんたに五十万もやったじゃないのよ』
 ひ、ひどくない? だってあればジューンのために使えって言っていたじゃん! それもけちらずにばんばん使えってさ? 余ったのは僕にやるとかなんとか言っていたけど、その様子じゃ一ヵ月は帰国する予定なしってことでしょ? 食費だけじゃない、水道光熱費も払わなくちゃならないんだから、十万じゃやっていけないよ。
「そりゃ……全部使っていたわけじゃないけど」
『なら問題ないでしょ』
 こういう人だもんな……あのままKショッピングモールの上のホテル取らなくてよかった。ジューンには悪いけどさ。
「もう……確かめておきたいんだけどさ、美佐子さん田崎さんを利用したでしょ?」
 電話の向こうでニヤリと美佐子さんが笑った気がする。
『人聞きの悪いこと言わないでよ』
「結果は同じでしょ。派手に問題起こさないでよ? 犯罪者の息子だって世間に知られれば、僕の人生みんな台無しなんだから」
 僕がそう言ってやると、美佐子さんは責めるように反論してきた。
『なんて子なの? 母親のことをそんなふうに言うなんて』
「少しはそんな母親持った息子のことも考えてよ」
 しみじみとした口調で言い返す。
『美人で得したでしょ?』
 しかし口で美佐子さんにかなうはずもない。
「……」
 まったく、自分で言うなよ。

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