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03 僕の平和が遠ざかる

 自宅は一階がアンティークショップ、二階、三階が自宅という造りになっている。物心付いたときから住んでいるので、そう考えると美佐子さんのアンティークショップの経営手腕は、相当なものなのだろう。店は小さいので従業員を雇っていない。海外へ買い付けに行く際は、大抵臨時休業をしているが、契約が済んでいる商品の受け渡しくらいは僕でも出来る。今日はまさしく、美佐子さんが出張しているため、受け渡しを頼まれていたのだった。
 僕は店の横の細い路地、二階玄関へ続くところに自転車を置くと、自転車に鍵をして店へ直接回った。当然、店は閉められている。シャッターの鍵を外して持ち上げる。店のドアの鍵を外してようやく中に入った。今日のお客さんは五時に来店の予定で、すでに料金はもらっているから、品物をそのまま渡すだけでいいらしい。
 僕は店の奥へと進み、商談用の応接用ソファーにカバンを投げ出す。それから壁に設置された照明パネルを操作して明かりをつけた。商品にも淡い温かな光が当たって、高級感を増して見せる。
「あーあ……はぁ……」
 店内には洋風アンティークが、おしゃれに配置されている。ガラス棚に埃がないのは、それだけ美佐子さんが丁寧に掃除をしている証拠だ。
 どうしてその繊細さを十分の一でも、家庭で発揮してくれないのだろう? 炊事洗濯は今や折半だ。酷いときは、九割の家事を僕がこなすことがある。
 あーあ、今時こんな男子高校生がいていいんだろうか?
 僕は商品棚に陳列してあるランプに視線を合わせた。アンティークとは聞こえがいいけれど、つまりは中古品。
 それなのに、中には僕が驚くような値段のものもあり、わざわざ美佐子さんは数ヵ月に一度は買い付けに海外に行っている。
 さらに驚くことにこんなものに数百万という商品を、本当に買う客がいるのだから驚く。僕が客ならたかがランプに数百万も出したくない。明かりという本来の役目を果たせれば、それでいいじゃないかと思うのだが、成金や愛好家にはそうではないらしい。無駄な買い物だ。
 事務所の方に行き椅子に座ると、僕はぼんやりとした。
 夕飯は何にするかな……と思いつつ。
 そう、美佐子さんは滅多に料理をしない。やれば出来るし、料理はうまい。けれど面倒がって最近では滅多にしないのだ。
 僕が思うに、美佐子さんは年々わがままで自由奔放、無責任、非常識になっている気がする。というより、なっている。確実に。
 このままではこの店も僕にまかせきりで、いつかは自分は遊んで暮らすのではないのかという、そんな危機感すら感じてしまう。
 僕は平凡なサラリーマンになって、普通の暮らしを満喫したいのに。
 その時、ドアが開けられた。時計を見ると、四時四十五分だ。約束の時間には少し早いが、まぁいいだろう。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
 椅子から立ち上がってその方向を見ると、いたのは僕とそう歳はかわらないだろうというくらいの、女の子が一人。栗色の髪にこちらから見る分には黒い瞳の、けれど顔立ちそのものは堀の深い女の子だ。清楚な白のワンピースが似合っている。
 日本人じゃない?
「えーっと……」
 まずい、英語の評価はそんなによくないのだ。何て言えばいいんだ?
一人で四苦八苦していると、女の子はずかずかと歩み寄ってきた。なんだが真剣な表情だ。
「あのー……そうだ、えっと、ユア、ウェルカム」
 あぁ、冷や汗が。先生、英語の授業を真面目に受けていなくてごめんなさい。
 しかし僕の焦りをよそに、その子は胸の前で拳を握り締めた。
「助けて!」
 あれ? ものすごく意味がわかるんだけど。
「は…い?」
 なんだ、日本語話せるじゃん。じゃ、なくて。
「助け……?」
 助けて? なんだそりゃ?
「じゃあ、ご予約していたお客様じゃなくて……え?」
 僕はまだ理解していなかった。
 彼女が助けてと言ったことはわかる。店の中に僕しかいないのだから、もちろんその言葉が誰に向けられたものかも。
 ただここはアンティークショップで、教会でもなければ警察でもない。ましてやボランティアもしていない。
 それに一体何から助けろというのだ?
「ここなら大丈夫って言われたのよ! お願い助けて!」
 これまた謎の発言。一体どこの誰と勘違いしているのだろうか?
「ちょ、ちょっと落ち着いて。ここは見ての通りアンティークショップで、それに誰に何て言われたの? ここなら大丈夫とか、訳がわからないよ」
 客じゃないと思ってしまったからなのか、それとも日本語を話せると知って安心してしまったからなのか、つい僕は気安く話しかけた。彼女は不安そうに顔を歪めた。
「ここじゃないの? アンティーク・カキモトって……」
 眉尻が下がる。シュンとした表情は不安を隠せない。さすがの僕も不安になる。
「ここだけど……ねぇ、ちゃんと事情を説明してよ?」
 あぁ、なぜだろう。今一瞬美佐子さんの顔がちらついた。
 悪魔のように微笑む顔が。

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