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病気を治す過程でも自分探しの旅

4月24日朝、なんだかイライラ、うつな気分になってしまった。シャワーを浴びてから、出勤しようと思っていた。 しかし、シャワー浴びる途中で、突然、眩暈に襲われた。右手が力を抜いたみたい。慌てて上下服を一枚ずつ着て、力がなくなり、床に座り込んだ…

携帯は浴室の外の洗面所にある。携帯を家族にかけようとしていたが、手が震えて、暗証番号を何回も間違えて、そして、その時か、携帯画面に「一時間後にかけ直し」と指示が出た。 その瞬間、絶望感を覚えた。携帯の過剰なセキュリティが、時には人を崖っぷちにさせた。

不幸中の幸い、浴室は一階にあるので、まるで最後の力を絞って、床でドアまで移動し、ドアを開けて、「助けて」と叫んだ。そして、近所の人が四名駆けつけてくれて、浴室の暖房と電気を消して、救急車を呼んでくれた。救急車に入られた時点で、なんとなく安心感を覚えた。若い救急隊員が酸素マスクをかけてくれた。家近くの都立大塚病院へ搬送された。近所の人とは、普段、挨拶程度の関係だが、今回は「命の恩人」になっている。

大塚病院に搬送された時、意識はもうろうしていたが、大勢の方々に囲まれて、助けられたのは、鮮明に覚えている。 特に、当時主治医のZ先生が私の耳元にした一言を聞いて、安心、感心した。「大丈夫ですよ。私は脳内科専門医、手術じゃなく、薬で治るね」。優しくてかっこいい先生だ。

二日間ICU室にいた。これも人生の初体験。病気は怖いけど、実は自分は、意識・精神などが明晰であった。ただし、夜でも、一時間おきに医者と看護師は、私に絵などを見せて、「これはなんですか」と聞く。突然の異変を防ぐために、こまめに患者の容態をチェックすること。

そのあと、普通病室に移され、トイレに行く時にも看護師さんが付き添ってくれた。入院期間、先生方、看護師さん、リハビリの方、大変お世話になった。心から感謝いたします!

今回の病気で、苦痛な感覚ではなく、実感としては、時々「怯える」と「怯む」。手と足に普段通り力が入らなくなり、いつも速足の自分は速く歩けない。いつになったら走れるだろう。字を上手く書けないならどうしよう。書道が好きだけど。 

高齢化社会の日本には、介護人材・リハビリ人材のニーズが大きいと切に痛感した。 今回、病院で出会ったリハビリ訓練士のKさんは、大学で四年間リハビリ専攻を勉強したという。体力、言語、さまざまなことで患者さんを助けている。「なぜリハビリ専門を目指したのか」と聞いたら、「親から言われました。人に役にたつ確かな技術を身につけたほうがいいです」。これはまるで人生の真理だ。

人生観に関して、新しい心得がある。技を持つ人、職人など方々が一つの技に専念し、一生こころの平和を保てる。羨ましい。 今回、自分に関わる3名の病院のリハビリ訓練士がそれぞれのリハビリ内容を訓練して下さった。彼らは医療に関する知識も豊富だ。雑談力もすごい。リーダーのAさんは「一病息災」という諺を教えてくれた。東京の大規模なリハビリ専門病院はいつも混んでいると言われた。これは全然知らなかった別世界だ。

パソコンのゲームを使って、脳の集中力、判断力を鍛えるリハビリ方法もある。ずっとゲームと疎遠になっていた私は、ゲームはただの遊び、時間の無駄だと自分の偏見を修正せずにいられない。

また、看護師という職業の偉大さ、大変さに感服した。日本の子供たちの憧れの職業に看護師はいつも上位に入ることをよく理解できた。医師が指示を出して、治療の段取りを実行するのはほぼ看護師。患者のそばにいるのはいつも看護師。

看護師の心理素質は特に高いと感じる。どんな時でも理性的に落ち着いて仕事をこなす。まさに一心不乱。日勤と夜勤の看護師さんが交代する際、必ず患者さんのところに挨拶する。例えば、「夜担当の大島です。よろしくお願いします」。

ご飯を拒む子供のようなわがままな高齢患者に対しても、看護師さんが子供をなだめるように、口を開けてもらい、食べさせる。 病院の医師、看護師はまさに職人だと思っている。生まれ変わったら、医師・看護師になろうと思った。

中国の諺「百無一用是書生」を思い出した。百に一用無きは是れ書生だという。古代の書生とは、勉学を本分とする者。近代は、知識人、文人の意味合いに近い。書生は本当に一つの用もなさないのか。

それにしても、文章を書くことが自分の天職だと思っているが、どれくらい人に役に立つのか、正直言って、今は自信がたりない。まず健康な体とこころを目指します。療養のため、一時的に喜怒哀楽・不平不満をコントロールすべきだと思う。元気な自分に戻りましょう。病気を治す過程でも自分探しの旅である。しかし、ポストコロナの今年、自分への試練が多すぎる。

リハビリを通して、自分の体の中の、器用と不器用の部分を再認識した。日本という国にもリハビリが必要であるかもしれない。国の機能は鈍化しているのではないか。

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