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【視点の切り替えに注意!】映像にはできても、文字ではやれないこと(2013年10月号特集)


文字の情報量はわずか

映像と活字の絶対的な違いは、一にも二にもその情報量にあります。
たとえば、左のような写真を見た場合、まず太陽が目に入り、その前に川が流れている、手前の土手には草が生えていて、川の向こうには森がある、という情報がほぼ一瞬で入ってきます。

しかも、現実そのままを写した写真ですから、距離感や(カラー写真なら)色合いもつかめます。

では、文字によって、この映像から得た情報と同じ量を伝えるとしたら、どの程度の文字量が必要でしょうか。全く想像もつきませんね。
要するに、文字で伝えられる情報はそれくらい少ないということです。

文字ではやりにくいこと

「映像では一瞬でできることも、文字ではできない」という原則を理解すれば、映像では普通にやっていることも小説には応用できないとわかるはずですが、そのことを知らない小説の初心者は、映像をそのまま文章化するような愚を犯してしまいます。

たとえば、次ページの4コママンガのようなカメラの切り替えをしても、映像ではどうということはありません。画面が切り替わった瞬間、これを見た人は、前方にあるカメラが映した映像なのか、それとも後方のカメラからの映像なのか、あるいは上空のカメラからの映像なのかを一瞬で判断するからです。

また、急に4コマ目のような画面が出てきても、人物の顔や声、背景などの情報から、これは現場の映像ではなく、会議室で追跡を指示している人物だと一瞬で理解します。

しかし、与えられる情報量が少ない活字メディアで、このようなカメラの切り替えをやると読者は戸惑います。

運転席から黒いものが出てきた。銃身? と思った直後、右肩に刺すような衝撃を感じた。同時にバイクが横転し、警官は路肩に投げ出されていた。不思議と痛みはなかった。
「ヘリは追跡を続けろ」
マイクを通して言う管理官は、ぼさぼさの頭をかきむしった。

 

最初の5行はバイクの警官視点の描写です。この文章を読むとき、読者は警官になりかわって情景を見ますから、読者自身も路肩に倒れた気になります。

その状態で、「ヘリは追跡を続けろ」というセリフが出てきました。映像なら、ここでパッと画面が切り替わり、管理官のいる会議室が映っているはずですが、例文ではその説明が脱落していますから、読者は警官のセリフだと思ってしまうはずです。

しかし、《マイクを通して言う管理官は》とあり、「ん? 言ったのは管理官なのか。でも、そうなるとこの声はどこから発せられたのか。警官は管理官と無線か何かで話していたのか」と警官視点だと思い込んでいる読者は状況を推測しますが、そこに追い打ちをかけるように、《(管理官は)ぼさぼさの頭をかきむしった。》という文がでてきて、またまた混乱します。頭をかきむしったのが見えるということは、無線じゃなくてテレビ電話だったかと。

もちろん、例文の場合、説明が下手だからということはありますが、しかし、このようなカメラの切り替えは小説ではしないほうがいいです
やるのなら、章など大きな切れ目で、じっくり、はっきりやる。そうしないと、読者は「またいつ視点を変えられるかわからない」と気になって、とてもじゃないけど内容に集中できません。

視点を切り替える技法に注意

映像ではよく見かける技法に、モンタージュとカットバックがあります。
モンタージュは、二つの異なったシーンを見せることで、別のことを伝える、A×B=Cという技法です。

○ホストクラブ・内
 若いホストたちに挟まれて、大はしゃぎの瑞枝。一万円札をホストたちのポケットにねじこむ。
瑞枝「遺産入るのよ。じゃんじゃん楽しもうよ、億よ、億!」
○中尾家・居間
 暗い部屋に真新しい仏壇。その中
 央に史郎の父親の遺影。線香の煙。
 史郎、肩を震わせて泣いている。

 

最初の瑞枝のシーンがAで、あとの史郎のシーンがB。ABを連続して見ると、「瑞枝は不人情な女だ」と言わせなくても、そのこと(C)が伝えられます。

同様に、カットバックも二つのシーンを並べます

○オフィス・内(夜)
 ペンライトをくわえ、棚のファイルを探っている史郎。額の汗をぬぐう。
○警備員室(夜)
 懐中電灯を手に警備員が出てくる。
○オフィス・内(夜)
 史郎、部長のデスクの引き出しを片っ端から開けていく。
 ディスクを見つけ、パソコンのスイッチを入れる。
○廊下(夜)
 歩いてくる警備員。靴音が響く。

 

カットバックは、サスペンスを盛り上げるシーンではよく見かけますね
また、カットバックの一種で、過去にあったことを瞬間的に思い出すフラッシュバックというのもあります。映像では定番ですが、これらはカメラの切り替えをしますから、文字ではやりにくい

フラッシュバックは同一人物が過去のことをちらっと思い出すということですから文字でもやれますが、二台以上のカメラ(視点)を必要とするような映像の技術を文字でやるのは困難です。

一元描写を理解すること

文字ではカメラの切り替えはやりくにいと言いました。少なくとも、ある行ではAさんの立場になり、次の行ではBさん、また三行おいてAさんというような書き方はだめです。小説の読者にそんな芸当はできませんし、めまぐるしくてやってられません。

もちろん、小説はどんな書き方をしてもかまいませんので、映像のように五台も六台も視点(カメラ)があってもいいのですが、これだけはやってはいけないということはあります

刑事は男を見降ろした。こいつ、嘘をついている――。
男は黙って席を立った。刑事と対峙し、不敵な笑いを漏らす。そして、心の中でつぶやいた。君に謎が解けるかな。

 

「こいつ、嘘をついている――」は刑事の内面の声、そして「君に謎が解けるかな」は男の内面の声ですが、複数の人の内面の声が聞こえるなんてことは現実にはありえませんから、この時点でこの小説はリアリティーを失いますし、それに視点人物が特定できないとなると、「不敵な笑い」と感じたのは刑事なのか男なのかという問題も起きてしまいます。

一元視点で書かれた文章は、すべて視点人物(多くは主人公)が見たもの、聞いたもの、思ったこと、つまり、主人公が認識したことであって、作者の知覚ではないのですが、このことを理解せずに小説を書くと失敗します
脚本家や漫画家が小説を書くと失敗すると言われるのは、一元描写を理解せずに頭の中の絵を文章化するからです。

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特集「エンタメ技法を盗め!小説に活かす映像のテクニック」
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※本記事は「公募ガイド2013年10月号」の記事を再掲載したものです。

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