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【登場人物にどう語らせる?】セリフの書き方完全マスター(2012年7月号特集)

地の文との連動

 ここではセリフと地の文が連動した書き方を挙げます

セリフのあとに地の文

 セリフを書いて、改行せずに地の文で説明を入れるパターンです。

「いくら負けたん」
「ほんの二千円」ほんとは一万二千円だ。

(黒川博行『疫病神』)

二行目は改行し、

「ほんの二千円」
ほんとは一万二千円だ。

 

 とすることもできますが、その場合は改行したこともあって一拍おいた感じ。
 一方、改行しなかった場合は地の文とセリフが連動し、何についての説明かすぐに分かりますし、文章の流れも分断されません

地の文のあとにセリフ

 単純な説明文としての地の文はセリフの前にあっても後ろにあっても、そんなに意味は変わりません。たとえば、

「お話をうかがいましょうか」二宮は切りだした。

(黒川博行『疫病神』)

 この場合は、
《二宮は切りだした。「お話をうかがいましょうか」》
《「お話をうかがいましょうか」二宮は切りだした。》
どちらも書けます。

「――お帰り」脚を揃えてスカートの裾を直した。「きょうは、どこ」

(黒川博行『疫病神』)

 この場合は、「お帰り」と言ってからスカートの裾を直し、そのあと、「きょうは、どこ」と言ったという時間的な差が表現されていますから、
《「――お帰り。きょうは、どこ」脚を揃えてスカートの裾を直した。》
としてしまうと、「お帰り。きょうは、どこ」と言ってからスカートの裾を直したという意味になります。

セリフの主はだれか

 セリフの主を示すもっとも単純な方法は、《○○は言った。》と書くことです。
 しかし、カギカッコで括られていればセリフであることは明白ですし、単に《と言った。》だけで一行使うのはもったいないという気はします。
 しかし、《と言った。》を削るだけではセリフの主が分からなくなりかねません。
 そこで《と言った。》を省略し、なおかつ、セリフの主を分からせます。

しぐさや表情を書く

 《と言った。》の代わりに人物のしぐさや表情、行動を書きます

「ほな、わしの車で行くか」
桑原は事務所を出た。BMW740iのドアを開けて、「運転してくれ」キーホルダーを放ってよこす。

(黒川博行『疫病神』)

言いまわしでセリフの主を示す

 上司と部下、先輩と後輩、男女など相手によって言い方が変わりますし、キャラクターによっては独特の話し方をさせられる場合もあり、そのことで「誰が言ったか」が示せます。

「まだある。……インスタントコーヒーを二杯飲んだとか、新聞を読んだとか、受話器に脱臭剤がついているとか、読者にとっては、どうでもいいことです」
「そやけどセンセ、こないだは、リアリティーが大事やというたやないですか」
「緑色の脱臭剤にリアリティーはないんです」
「わしら、刑事部屋ではインスタントコーヒーしか飲まんのでっせ」

(黒川博行「尾けた女」)

 これは山路と麩所の会話ですが、山路だけが関西弁を話していることもあり、《と言った。》がなくてもどちらが言ったものかすぐに分かります

改行をしないことで主語を示す

 《○○は》と書いて、そのあと、改行をせずにセリフを書くと、その○○のセリフだと分かります。

「――鳥飼の大沢土木を調べた」
桑原はカーステレオのボリュームを落とした。「ばりばりの極道や」

(黒川博行『疫病神』)

 《桑原はカーステレオのボリュームを落とした。「ばりばりの極道や」》
改行されていませんから、《桑原は「ばりばりの極道や」(と言った)》という意味になり、セリフの主(主語)が分かります。

分かりきった《と言った。》を省く

 文章としては述語がない形になり、下手をすると尻切れの印象になりますが、上手にやるとすっきり収まります。

「初めまして。二宮ともうします」
二宮は名刺を差し出し、「小畠総業とコンサルタント契約をして、富南市に造成する最終処分場の渉外担当をしております」

(黒川博行『疫病神』)

 《二宮は名刺を差し出し、》という文節は、これを受ける述語がありませんが、《と言った。》とか《と名乗った。》は書くまでもないことなので省略したわけです。

どちらか一方しか言わないセリフ

 たとえば、小学校の授業風景であれば……

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※本記事は「公募ガイド2012年7月号」の記事を再掲載したものです。