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信じられない「いろいろ」に圧倒され続けた1時間半。

あこがれの「ゼミ」への階段を上って

「ゼミ、ゼミ、ゼミだー!」と楽しみにしながら階段を上った。Yさんが「一回生の女の子もひとり来てるからいいと思うよ」と言った。

けれどわたしのテンションは少し落ちた。軽い嫉妬のようなものを感じたのだと思う。あるいは、先を越されたという気持ちだったのかもしれない。

正体不明の人を見て

4階の教室に着いた。

広い空間に細長い机が会議室のようにぐるりと置かれていた。促されて座った席の斜め前には車イスに乗った脳性麻痺(CP)の人がいた。ひげが長くてスカートをはいて、足を大きく広げていた。

性別にこだわらずに生きたいと願っていたはずのわたしが、この時は、目の前にいる人が男なのか女なのかを気にしていた。

今になって思うに、わたしはなんとかこのよくわからない要素の多い人を、何らかのカテゴリーに位置づけることで安心したかったのだと思う。

みんなちがって、びっくりだ

初めて参加するわたしのために自己紹介が始まった。まず斜め前の車イスに乗った人から時計回りに。

「僕は自立生活をしているCP者です。隣の人は今日の介護者です」

聞き取りづらいけれどなんとかわかった。CPが何かはわからなかった。

次の人へ。

「腕の障害で6級を持っています。今は不本意ながらセイホで生きてます」

「セイホ」って何だろうと思ったけれど質問できない。時々左腕を振っていたから腕の障害は左なのかと思った。

「六回生のEやけど、勉強なんかせんでええでー!」

少し笑いが起きた。六回生という単語にわたしはフリーズした。

「在日二世のCです、祖国統一運動をやってます」

初めて会った時に在日であることを自分から言った人は今までわたしの周囲にはいなかった。Cさんは名前も通名ではなく本名を使っていた。

「気がついたら最年長になってた八回生のFです」

また笑いが起きた。大学は四年で卒業するのが原則だけれど、八年までは留年できるのを思い出した。もうフリーズはしなかった。

「Hです」

小さな声だった。でも珍しい名前だったのですぐに覚えた。

「社会主義革命家のSです」

また笑いが起こった。社会主義革命家と言われても何をするのかは想像もつかない。安保とかの人?というくらいな感じだった。

「Mです。戸籍制度と闘っています」

戸籍制度と闘う…。家族制度と関係あるのかな。ウーマンリブの人かもしれない。頭の中が忙しい。

「一回生のNです、よろしく」

あ、この人だ。Nさんはわたしと違って、ショートカットの可愛い女の子だった。いや、わたしもショートカットではあった。けれど小学二年生の時からわたしは不細工なのだ。

Nさんはどういういきさつでここに来たのかなと思った。

「三回生のOです。顔にあざがあるので前髪を伸ばしています。気にしないでください」

座っている位置が顔の見えない場所だったのだけれど、確認しようと身体を乗り出して顔を見た。前髪で半分くらい隠れた顔はとても綺麗だった。

これを異文化というのだろうか

簡単な自己紹介だけれど、わたしが驚くには十分だった。

ほんの十か月前までは何も考えずソフトボールに明け暮れていたわたしが、世界の端からもう一つの端にポンと放り込まれたようだった。

断る理由がないという理由で、このゼミに毎週通うことになった。吸収力のある若かったわたしにとっては学ぶことが多すぎた。初日ですでに、窒息しそうだった。



【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。





地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)