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とある地方都市の喫茶店で

「期待」を超えること、って難しい。
仕事でもプライベートでも、人は時に「期待」を超えることを求められる。
考えれば考えるほど空回りしてなかなかうまくいかない。
そんな中、確実に、でも自然体に期待を超えてきた人に出会った。
旅先のとある地方都市でふと訪れた、喫茶店を営むお婆さんである。

⏱⏱⏱

とある週末、僕はふらふらと旅をしていた。
二日目の朝、朝食を食べていなかったので、街中の飲食店でどこかやっているところがないか探した。
ところが、地方都市の駅から歩いていけるような街中は、思ったよりも閑散としていてチェーン店ですら目につかない。車で行くようなロードサイドに集中しているのだろう。
しばらく探し回り、ようやく見つけた小さな喫茶店がたまたま開いていたので入ってみることにした。

「いらっしゃいませ」
地元の老夫婦が営む喫茶店だった。外観は少し古びていてきれいとは言えない感じだったが、
中は純喫茶という風貌で振り子時計が壁にかかっていたりしてとても趣があり落ち着く雰囲気だった。それでいて気取った感じもなく、人の家に招かれたような素朴な感じも持ち合わせていた。
お店の名前が冠についた、コーヒー付きの定食が4種類から選べた。
その中から、チーズ入りオムレツの定食を注文する。
ニコニコした、人当たりの良いお婆さんだった。

お婆さんは、電動のコーヒーミルで豆を挽いた後、
電球みたいな形のサイフォン式のコーヒー抽出器が置いてあり、
バーナーに火をつけコーヒーを作り始める。

「食前にコーヒーどうぞ」
僕は少し驚いた。食前にコーヒーを出してくれる喫茶店ってあまりない。
「食後にも出しますからね」お婆さんはそう言った。
食前のコーヒーを飲んでゆっくり待つ。
食事の提供時間は少し遅めだったが、コーヒーを飲みながら待つのは心地よく、
待ち時間の多少の長さも、丁寧にオムレツを焼いてくれているんだろうな、と逆にプラスに思えた。

注文から15分くらい経った頃、つやっつやのご飯が出てきた。
「うちの田んぼで作った炊きたてのごはん、おいしいわよ、お代わりしてね」
なんと、自家栽培をしているご飯を出してくれるのだ。

「おばんざいもどうぞ」
素朴な白菜の漬物、豆腐、かまぼこ、昆布が長いお皿に並んでいる。
これだけで朝食になりそうだ。
漬物と白米、シンプルな組み合わせで自家栽培のお米の旨さをじんわりと感じることができた。

少したってメインディッシュのチーズオムレツが出てくる。
決して高級な食材を使っているわけではないが、ふわっふわで、ボリュームもありとてもおいしい。
付け合わせには分厚いベーコンと、ハムと、ソーセージ。
自家栽培のご飯ももちろんお代わりをした。本当においしい。

食べ終わろうとしている少し前に、何も言わずともサイフォンに点火をしていて、
ちょうど食べ終わったタイミングで食後のコーヒーを出してくれた。
美味しいコーヒーをもう一回じっくり味わい、余韻に浸った。

「ごちそうさまでした」
「今日は気温上がるっていうのになんか寒いわねえ」
「・・・そうですね、まだ日が照っていないからですかね」
「お日様の力は偉大ねえ・・・」
他愛もない天気の話をした後に、
「ありがとうございました、また近くに寄ったら来てくださいね」と笑顔で言われる。

喫茶店の外に出る。喫茶店で過ごしているうちに、雲間から少し日がさしていて暖かくなりつつあった。
最後の「また近くに寄ったら来てくださいね」ってなんかいいな・・と思った。
「またどうぞ」「またよろしくお願いします。」という決まり文句ではない、血が通った温かみがある。
ちょうど、自分も「また近くに寄ったら来よう」と思ったタイミングで言われたからだろうか、
なんか余計に響いたのだ。

この街にまた来る理由ができたなと思い、心地よい気分で旅を続けた。

⏱⏱⏱

ふと振り返ってみる。
この喫茶店がとても心に残った理由はなんだろうか?

 ・純喫茶風で落ち着いた雰囲気
 ・コーヒーをサイフォンで抽出する
 ・食前にもコーヒー出してくれる
 ・丁寧に作ってくれているんだろうな、と思わせてくれる程よい待ち時間
 ・つやっつやの自家栽培の炊きたてごはん
 ・おばんざいの漬物とごはんでシンプルに米のうまみを味わえる
 ・ボリュームあるふわっふわのオムレツ
 ・付け合わせのベーコンが分厚い、ハムもソーセージも付いてる
 ・食べ終わりのジャストタイミングで出してくれるコーヒー
 ・「また近くに寄ったら来てくださいね」という血の通った一言

思い返すと、最初から最後までお婆さんの人間性と気遣いが感じられる。
まるで、一つのショーを見せてもらえているようだ。隙がないのだ。

「期待」を超えることは考えて行おうとすると難しい。
でも、小さいことでも一つ一つ思いやりを持って少し上のラインを積み重ねていく。
そして、起承転結のすべてで「期待」の少し上を重ねていったときに
人はとてつもない心地よさを感じるのではないかと思ったのだ。

テクニック的に「期待」を超えることを追求する人はそこが足りないのではないか。
起承転結のどこか一つのタイミングだけで大きく「期待」を超えようとしているのではないだろうか。
その一つでは大きく「期待」を超えて自己満足はできるが、
結局は最後の挨拶がおざなりになっていたりとか、
ムラができてしまう結果、あまり相手の心に残らない結果になってしまうのではないだろうか。

起承転結のすべてにおいて、
少しずつ「期待」の少し上を積み重ねることが大事なのだ。

ふと入った喫茶店でこのようなことを学ばせてもらった。
旅することでの発見って、このようなところにも転がっているのだ。

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