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「愛情」とはなにか?

居場所がなくて、取り柄がなくて、やりたいことも夢もない。
子どもから大人へとカラダは成長していくのに、心だけは変わらない。それどころか、自信をなくしている大人が増えている。

「お前には無理」
「現実を見ろ」

そんな大人たちに囲まれて育ってきた僕も「自分には無理なんだ…」と夢を諦めることもあったし、いまでも「自分なんて…」とネガティブに考え込んでしまうことがある。

しかしそれは、できなかった大人たちがいう無責任な言葉であり、誰もが無限の可能性を秘めているのだ。本来子どもたちに夢を持って生きてほしいと願わなくてならない大人たちが、自分ができなかったことへの後悔から無残なひと言で失望させてしまっている。

それがいまの社会だったりする。

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美容室に行くと、いつも担当してくれる美容師さんと「社会」であったり「人間性」であったり、「生き方」について会話することが多い。

その美容師さんは海外にもビジネスを展開しようと考えていて、「人が好き」という理由でグローバルにフィールドを広げようとしている。僕もこれからビジネスをやりたいと考えている身なので、よく「生き方」であったり、共通の話題で毎回よく盛り上がる。

今日もカットをお願いしたのだが、会話の流れでいきなり「愛情とはなにか?」という話に突然なった。

僕はしばらくそれについて考えてみたあと、「受容力」ではないか?と答えた。

相手の話に耳を傾けて、いっしょに考えること。


「愛」にはさまざま形があると思うし、人の数だけ答えはおそらくあると思う。


一方で美容師さんが考える「愛情」とは、「”お金”と”時間”だと考えている」と答えた。

それを聞いて内心、『「お金」が愛!?』と思ったが、そういうことではなく、

たとえば子どもが習い事を始めたいと言い出すと、親は「ダメだ」と一点張りであったとする。それは「やるだけムダだ」という理不尽な理由から子どもの可能性を奪い、いっしょに考えたり悩んだりしてあげる"時間"も”お金”も投資しないものだ。

この「時間」と「お金」の使い道によって、知らず知らずに関係に溝を深めてしまうことになりかねないというのだ。

世の中には家族間でも親と子であったり、兄弟であったり、仲違いで複雑になっている人たちがいる。


実は僕も兄と15年近くまともに会話をしていない。そしてその美容師さんにも妹さんがいて、お母様とふたりが絶縁状態にあったという話だ。

僕は兄と会話をしなくなった理由は、兄が借金をしたことから「借金=悪いこと」と定義して、完全に存在そのものを否定してしまったからだった。ほかにも理由があるが、「お金」に依存した兄のことをいっさい信用できなくなったのだ。

また、美容師さんのお母様は過去の出来事にトラウマがあるのか、娘夫婦の問題について相談を受けながらも聞く耳を持たなかったという話だった。


僕は当時高校生だったが、兄と関わりをもう持ちたくないと思った。そんな兄を持って恥ずかしいと思ったからだった。

だからまわりの冷たさに気付いて、借金をしたことを後悔すればいいと思った。

しかしその先にあったのは”生きづらさ”だった。兄だけでなく、自分にも返ってきたのだ。同じ時間、同じ空間を過ごす兄との時間は、食事のときすら不穏な空気がいつも漂って、毎日気まずかった。

それを作り出したのは、兄に対する愛を持とうとしなかった自分に原因があった。兄と向き合うことをせず、背を向けて逃げつづけた自分への罰かもしれない。


こうして振り返ると、たしかに「お金」と「時間」は、愛情と比例しているように思える。たった一度や二度の失敗を受け入れることができなかった僕は、兄の可能性を潰してしまったかもしれない。過去の失敗を「許す」ことができたなら、お互いに生きづらい思いをしなくて済んだかもしれない。

僕も、美容師さんのお母様も、「過去」の出来事に完全に囚われていたのだ。

人は誰だって失敗する。だからこれは誰に対しても同じことが言える。誰かの失敗も寛容に受け入れる力を持てたなら、人はもっとやさしくも強くもなれるし、世の中はもっときっと良くなる。

「お金」と「時間」を使って、どのように「愛」を育てるか?

寛容な大人になるために、世のため人のために貢献して回していく社会にしたい。

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