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2022/11/15 漢検

アップルウォッチのlineの設定がどうもうまくいかなくて友人何人かに聞いてみたのだが、そのほとんどがアップルウォッチでlineをしていなかった。
通知は見るが、返信はしないしそもそもアップルウォッチにlineを入れていないとのことだった。
スマホを開かずに入力したり、定型文ではあるがタッチひとつで返信できるのは、僕からしたら革新的に便利なのだが皆はそれほど有難いとは思っていないようだった。

結婚が決まり、どうも安定に走る自分がいる。
当たり前と言われれば当たり前だし、想定内と言われたら想定内なのだが、こうも変わるのかと感嘆する。
一番思ったのは煙草だ。

もう10年以上も煙草を吸っているが本数を徐々に減らしている。
完全に止めようとは思っていないが、減らす努力をしている。
健康のために様々なものにお金をかけてきたが、一番の毒である煙草に関しては無関心だった。
いや、無関心というよりはこればかりは仕方ないと諦観していた。

しばらくシングルであった頃は、もしいつか恋人が出来てその人に煙草をやめて欲しいと言われたら止めてもいいかなとは思っていた。
だが、実際に言われると心に来るものがある。
それでも半ば強制半ば任意による禁煙。いや、減煙。まあ思っていたよりは平気である。

来年こそは漢検準1級をとろうと日々勉強している。
書き取りはまだいい。
たまに難しいものはあるが、基本的に読めるけど書けないものを習うので楽しく覚えている。
それに憂鬱や薔薇を漢字で書けないと女性を口説くことも出来ないので(笑)

しかし、漢検でしか見かけないようなものばかり出てくると心が折れそうになる。
一顧傾城や跳梁跋扈などはまだいい。小説などでギリギリ出てくるレベルである。
だが、麦秀黍離や鄭衛桑間など、生涯縁のなさそうな四字熟語が8割である。
また、それ以上に熟語も難解だ。
四字熟語はリズムというか、成り立ちというか、覚える楽しみがある。
しかし、熟語に至ってはいつ使う場面が来るのだろうかと思うものばかりだ。あまりに限定された機会にしか使用されないものや、他の言葉で代替できるものが多い。
知らないよりは知っているほうが良いだろうと思って始めたが受験を終えたらそのほとんどを忘れてしまいそうで本末転倒になりそうだ。

基本的に資格などは合格することが一番の価値で、合格してしまったら完璧に覚えている必要などないのだが、僕はそれがなんとなく嫌だ。
もちろん今まで資格を取るためだけに勉強をして、合格したら終わりというものもあった。しかし、資格とは本来その資格を有するに値する人であるとの証明ではないだろうか。
そして僕は、漢検に関してはいついかなる時に受験しても合格できる能力を常に有していたいと考えている。

ところで最近読んだ本に難読漢字が多数出てきた。
ミステリー小説なのだが、よくもまあこんなにも難読漢字が散りばめられているものだと驚愕したし、漢検を勉強していなかったらきっと読めなかっただろうと思い少し嬉しかった。
以前、その作家の本を読んだときはもっと優しい言葉ばかりだったのでその点についても驚いた。
新書などなら読めない漢字が出てきたら調べるが、小説はリズムよく読んでいたいので意味が曖昧な漢字が出てきても読み進めていく。だいたいは前後の文章や一文字ずつ切り離して意味を推測するのでそう大きく外れることはないだろう。
でもやはり最近覚えた漢字が出てくると勉強したかいがあったと嬉しくなる。

もしも準1級を取ることが出来ても1級に挑戦することは未来永劫ないだろう。
一度参考書を開いたが準1級とは比べ物にならないほど日々の生活で見かけないものばかりだった。
日常レベルなら準1級もあれば十分だろうと個人的には思う。

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