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高額転売から考える私の価値観

私にとってショッキングな“高額転売”を見つけてしまいました。もちろん過去にメルカリ等で私が作ったものが転売されているのを見かけたことはありますが、それとは違いました。

過去に見つけたことがあるメルカリでの転売。それらの転売の本当の理由を知ることは出来ませんが、そこに記載されていた内容は、
・使ってみたけどやっぱり手放すと決めた
・片付けや引っ越しに伴い手放すと決めた
等が理由となっていたようです。
それは、私にとっては仕方のないことです。ありがたくも購入頂いたけれど、やっぱりお客さんの手元を離れるようになったのであれば否定は出来ません。
ですがその時の、大きなポイントは
【購入価格よりも高いか?】だと思っています。
上記の理由で転売されていた方は、ほぼ購入価格と同じくらいで転売されていました。
私としては、購入当時の価値のままでお客さんの手元を離れることができれば、ものの価値を下げないものづくりが出来ているということで、とても嬉しいです。購入者の方も、買ってしばらく使ってもそのままの価値で誰かに販売することができるということは、安心できるものなんじゃないかなー?と思います。

ですが今回のショッキングな“高額転売”は、
・箱から出していない(新品という名目)
・購入価格よりも圧倒的に高い

というものでした。
これはとても悲しい。
何故なら、私が作ったものを好きだから買ってくださったわけではなく、単なる売買の取引に利用されてしまったからです。これを防ぐにはどうしたらいいのでしょう?

考えてみると、高額転売対策は実は簡単なはずなのです。それは“単純に買わない”ということ。何故なら高額転売を行う人は、そもそも製品に興味がないので、その製品はただの“仕入れ”です。だから仕入れたものが売れなければ、高額転売者は在庫となって困るわけです。とは言え「手に入るなら、高くても欲しいんだよ!」という声が聞こえてきそうです。でも絶対に買ってはいけない。何故なら、仕入れた商品が売れなければ、高額転売者は困るので値段を安くして正規価格に近い価格で売ろうという力学が働くからです。ただ買わないだけで絶対に値段が安くなる。こんなにわかりやすいものはありません。買わずに高額転売者を困らせることで、正しい値段で売らせるようにすること、これが高額転売の対策です。

これだけわかりやすい話のはずなのに、
「それでも“今”欲しい!」という声が聞こえてきそうです。
そうなると、もはや“価値観”の問題なんじゃないかな?と思ったので、考えてみたのです。
高額転売における重要な要素は、
“2つの希少価値”だと思います。
それは…
①なかなか手に入らず、
“この世界に存在する数が少ない”
という“数”の希少価値。

そして、

②今欲しい!早く欲しい!と思っても、
“そもそも販売されるまで時間がかかる”
という“時間(早さ)”の希少価値。

この希少価値についてちょっと“私の場合”で考えてみました。
現状ではどうしても私1人が手作業で製作しているので、沢山作ることが出来ず“数”の希少価値が高くなってしまいます。そんな時、こんな解決方法があるかもしれません。例えば、リスクをとり借金をして数百万円の大きな機械を導入し、機械生産で生産量を増やすという方法。沢山作れれば、多くの人に届けられるし、効率が上がれば値段も安くなるかもしれないから、一石二鳥です。だから頑張ってリスクをとって借金して高額な機械を導入します!みたいな話は確かに真っ当なやり方だと思います。

でも私は疑問なのです。

私が作るものを世界中の人が“認知(知った)”としてその全員が欲しいわけじゃありません。
例えば世界が100人の村だったら…というような本の考え方を真似してみます。

私の製品を知っている人が10人、
その内欲しい人は5人。

私の製品を知っている人が50人、
その内欲しい人は20人。

私の製品を知っている人が100人、
その内欲しい人は30人。

何故こんな比率になるか?ということは少し細かくなるので省きますが、ざっくりこんな感じだと思うのです。
で、もし私が借金をして高額な機械を導入し、沢山の製品が作れるようになって、1年で30個作れたとします。それで世界中の人に製品を届けられて万歳です。でも製品を届け終わったら、その導入した機械はどうなるのでしょうか?
一方で機械を導入せず、もし2年で30個作れたら?時間はかかってもちゃんと世界中の人には届けられるわけです。

これは極論かもしれません。
でも私は
「だったら機械なんて必要ないんじゃないか?」と思うのです。
持続的な活動が重要だと謳われる社会で、
「時間で解決できるものなら、そんなに急ぐ必要はないんじゃないか?早さにこだわることをやめて、逆にひとつひとつを丁寧に作るという方向に時間をかけても良いんじゃないだろうか?」私はそんなことを思うわけです。

もちろんこの話は私のようなものづくりのやり方だから言えることです。生活必需品や食べ物等のものづくりならまた違う部分はあるでしょう。環境問題などについては待ったなしの時間が大きな問題です。ものづくりや、ものづくりに関わらず色々な場面でも“早さ”の方が重要なことはあるでしょう。

でも私の場合は違う。初めの内は出来上がる製品は少ないから、欲しい人が沢山いると希少価値は上がってしまう。でも欲しい人の増加はいつか必ず止まる。そうしたら、ゆっくりと、でも確実に製品を作っていけば希少価値はだんだん下がっていく。そして最後には欲しい人全ての人にちゃんと届けられる。そう思っています。

希少価値の正体は、“数が少ない”ということと、“早く欲しい”ということ。

数が少ないという希少価値はあっていいと思う。でも、早く欲しいというだけの希少価値は疑って欲しい。私が生きて作れる内は必ず少なくても増えていきます。販売数は増えていくわけですから、必ず数の希少価値は下がります。

そして「本当に欲しい製品なのか?」という問いを“時間というフィルター”に通して、ゆっくり抱えながらお待ち頂けるとありがたいのです。

空腹は最高の調味料なんて言いますが、時間というフィルターを通してもずっと好きで欲しいと思っていただけるような方がいらっしゃったら、その“待って下さった時間”は、お届けした時の最高の調味料になると思います。なんていうのは、私の言い訳になってしまいますが…
でも、もしそんな方がいて下さったら、きっとその方はその製品を大切にしてくださる。それは私にとって、この上ない幸せです。

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