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【日記】人命救助した

 お聞きください。ワタクシ、人命救助を致しました。

 人命救助というとよく学校や自動車学校で習った、所謂アナタは救急車を呼んでください!アナタはAEDを持ってきてください系を想像してしまいがちですが、それとは少し違う。
 どちらかといえば私の判断が功を奏し、命が助かったと言った方が正しいか。

 まァ順序立てて話してゆくので興味がある方はぜひ読んで欲しい。

※これから先、人によっては嫌な気持ちになったり、嫌な記憶が蘇ったりする描写があるかも知れません。最終的には無問題モウマンタイでしたが苦手な方は読むことをお控え頂きますようお願い致します。


・日常、それは非日常への序章

 その日、私は用事を済ませ、ついでにコンビニに寄りました。ATMで入金。ついでに何かアプリクーポンなかったかな、とスマホを確認した時、電話がかかって来た。

 相手は母親だった。時間は12時30分。母親は仕事をしているので休憩時間しかスマホを触れない。だからこの時間に電話がかかってくること、自体は特に珍しいことではなかった。
電話に出る。

「どしたん?」







「おばあちゃん、いなくなった」


へ?



 吃驚した。
 電話越しの母親が言うには
「おばあちゃんがいなくなったと(祖父母と同居中の)お姉ちゃん(私から見て伯母)から電話がかかってきた。警察にはまだ連絡していない。探すのを手伝いに来てくれ」
とのこと。

 私はちょうど偶然、まるでその日のためだったかのように無職だったのですぐに母方の実家へ向かった。
 実家には母と伯母がいた。ふたりでとりあえず座っていて、思っていたより焦っていなかった。私は焦りに焦りまくっていて「何でふたりともそんな冷静なの‼️‼️」と大声で聞いたら伯母がめっちゃ低い声で「いや、逆に(この状況が)やばすぎて…」と返されたので、嗚呼、それもそうかと納得してしまった。

 伯母から朝からの様子を聞く。

 -いつも2階にいて、用事があれば降りてくるのだが昨日の夜から降りてこなかった。深夜に人がいるような物音がしたのでその時はいたのだと思う。朝、いつもは祖母が降りてくる音がして目が覚めるのに今日は(伯母自身が)よく寝てたのか目が覚めなかった。朝食の準備をして、流石に降りてこなさすぎない?と疑問に思い部屋へ様子を見に行ったらそこにもう祖母の姿はなかった。

 その話を聞き、私が思い違いをしていることに気が付いた。というのも実家は外にトイレが設置されており、トイレに行くためには一度玄関から外に出ることになる。だから私は祖母がいつものようにトイレに行き、そのままふらっと何処かに行ってしまったと思い込んでいたのだ。
 しかも伯母の話によるといつも履いている草履は玄関にあり、靴も履かずに何処かに行ったと言うのだ。
 伯母は家の中、家の周辺、ありとあらゆるところを探したのだが見つからなかった。警察に電話するべきなのか迷い、私たちに連絡をくれたのだ。

 その時、私はひとつ疑問に思った。いつも降りてきた時、外に出る時、音が聞こえるのに今日だけ聞こえなかったなんてそんなことあるんか? しかも草履も履かずに?


 私はあるひとつの可能性を思いついた。






 おばあちゃん、家の中にいるんじゃね?


 だっておかしくないか? 外に出たのに今日に限って音が聞こえない? 草履も履かずに外に出る? そんなのまるで誰かが祖母を音もなく連れ出したみたいじゃないか。

 しかし誰が何のために?そんなことする人いるわけなくない?


 つまり祖母は今日、二階から一度も降りていないのではないか? だから音もしなかったし、草履もあるのではないか?


 そう思った私は髪の毛を括り、二階を徹底的に洗い出す決心をした。




・常識を疑え

 私がその旨を伝えると母と伯母に「そんなことある? 可能性があるところは探したよ」と言われた。伯母はもう家の中の祖母が向かいそうな場所は隅々探した。祖母が寝ている布団まで引き剥がしたというのだ。家になんかいるのか?


 ええいかまわん!私は二階に登った。認知症の疑いがある祖母が住処にしていた二階は荒れ果てており数分いることも避けたいような場所だった。それでも私はどんどん奥に進んでゆく。昔の家なので廊下などは特になく部屋の隣に部屋があるような間取りだった。

 埃が被った勉強机にベッド。それは私を産んだ母が結婚するまでこの家にいた証だった。奥へ奥へゆっくり歩く。足はチクチクするし、埃くさいし、こんなところにいるわけないか。そう思って窓の前に立ち、部屋を見渡した時






足が見えた。


 人だ!私の頭はまず、そう思った。そしてこれは祖母である。祖母は片足だけ足を出し物と物の間でぶっ倒れていたのだ。


 私は「いる!!!!!!!!!おばあちゃんいる!!!!!!!!!!足が!ッ足が見えた!!!!!!!!!」と大声で叫び、母と伯母を二階に呼んだ。
 母は「おかあちゃん?!!おかあちゃん?!!大丈夫!!!??」、伯母は「ごめんなぁ、こんな暑いところにずっとおったんやなぁ」とふたりで祖母の体を揺すり意識を確認。私は生まれて初めて119に電話をかけ救急車を呼んだ。

火事ですか?救急車ですか?
 【ワタクシ】救急です!

住所を教えてください。
 【ワタクシ】住所…?すみません!代わります。

 【母】住所はね、〜〜(実家の住所を言う)です。本人の状態!?代わります。

 【伯母】本人の状態!えっと○○が××で〜〜〜───。


 三人で私のスマホを回しながら受け答えする。まさに混沌カオス

 恐らく熱中症、脱水症状の可能性が高いので消防隊の方が来るまで電話で言われた通り、祖母を安静に、部屋に風を入れ扇風機を設置。保冷剤を脇に挟み、水を飲ませる。目は開いていたし、意識もあった。


・感謝×1000

 なんやかんやなんやかんやなんやかんやなんやかんやなんやかんやあって(んぽちゃむ 教習所2/可哀想に様より引用※1)救急車が来ました。消防隊の方が祖母の状態を確認し、外にいた私たちはその時の状況や祖母のことを聞かれたが一緒に住んでいないのでわからない箇所はあとから来た伯母に答えてもらった。
 祖母は担架で運ばれ、救急車の中に乗せられた。「どなたか同伴してください」と言われたので伯母と私が救急車に、母は帰りのお迎えと家を守るために留守番することになった。

 救急車を読んだことがないのだから当たり前だが消防車に初めて乗った。涼しいし広い。ピーポーピーポーというサイレンがずっと鳴り響く。これではドップラー効果(知らない人は調べてください)はないなとふと一瞬どうでもいいことが頭をよぎった。
 祖母はコードに繋がれて心拍数、血圧その他もろもろを計られていた。氷を身体に当てて、体を急激に冷やす。「今、39℃熱があります」と消防の方に言われた時はぎょっとして「おばあちゃん…涙」となった。私たちは消防の方の質問(祖母が今日のご飯は食べたか?とか最後に元気だったのはいつ?とか)に答えながらも「おばあちゃん…大丈夫だからね…!」と語りかけた。でもそれは祖母に語りかけるというより、自分たちに言い聞かせていたのかもしれない。私はふと祖母がどんな思いだったのだろうと考えてしまった。何がなんだかわからないまま倒れてしまい、人も呼べず、あの埃っぽくて物だらけの暑い部屋で過ごしたのだろう。その時何を思ったのだろうか。死を覚悟しただろうか。そんなことを想像してしまい、救急車の中で思わず泣きそうになった。消防車の画面に表示された数値が具体的には何を示しているのかはわからないが数字が上下する度にヒヤヒヤした。

 病院に着いた。祖母は普段から大きな病院にかかっていたのでその病院に運んでもらうことが出来た。かかりつけの方が安心である。

 病院の処置室に搬送されると私たちは待合室で待つことになった。
 伯母は何度も私に「ありがとう、あんたのお陰や!」と言ってくれた。祖母を見つけたのは私だ。もし私が二階の何処かにいるはずと疑わなければ見つからなかったかもしれないし、見つけられたとしてももっと時間が経過した後だっただろう。私は人命救助をしたのだ。ジワジワとそう思った。あの時、二階にいるという判断ができたことが本当に良かったと、私自身に感謝する。自分でも何故そう確信したのかはわからない。先述の通り、祖母は認知症の疑いがある。だから伯母が熟睡する時間帯に裸足で家を抜け出し、徘徊していても別に変な話ではなかった。(仮にそうだとしても探せないくらい遠くに行く体力はないだろうが)
 伯母が家にはいないと言ったのも無理はない。二階にいると括った私ですら結構早い段階でやっぱりいないかもしれん、と諦めかけていた。本当に奥の方の物と物の間に倒れていたのだ。部屋は薄暗く、服も保護色で非常に見つけることが困難だった。物音が一切せず、見えた足を足と認識するのにも時間がかかったし、認識した瞬間、恐ろしく怖かった。
 つまり誰も悪くはない。ただこの時ばかりは仕事をしてなくてよかったと思った。この日のために私は仕事を辞めたのかもしれない。

 そして待合室の私たちは何故祖母がそんなことをしたのか、という話になった。伯母はあの部屋は物置のような場所で祖母がわざわざ行くはずがない、と言っていた。私は実家に頻繁に行くわけではないし子供の頃、実家を訪ねる度に二階には行かないで‼️と言われていたので詳しいことは知らないが冷静に考えれば歩くことも難しい祖母が自分の部屋以外に行くはずはないと確かに推測できる。しかも床には物が散らばり入口もバリケードのようになっていた。よくあんなところまで歩けたな、と感心するほどである。

 しばらくして消防隊の方が私たちに近づいてきた。「病院側に引き継ぎになりますので、私たちはこれで失礼します」と言われたので伯母と何度も「ありがとうございました」と頭を下げた。消防隊という仕事は本当に凄い。心の底から感謝した。祖母を見つけられたところでこの方々がいなければ私たちでは何も出来ないのだから。消防隊のひとりの方が「恐らく大丈夫だと思いますよ」と仰ってくれて私たちはほっと一息安心した。

 数十分後、祖母が違う部屋に運ばれ、私たちも着いてくるように言われた。カーテン越しに仕切られた部屋に行き、看護師さんが用意してくれた椅子に腰かけた。祖母は点滴に繋がれながらも目開けて動いていた。顔は体のしんどさを表すような表情をしていたけどそれでも生きていたからよかった。


・何故あの部屋にいた?

 しばらくして私と伯母だけ来て欲しいと別部屋に案内された。そこは診察室みたいな感じで、まるで診察を受けるみたいに先生が私たちを待っていた。私たちは先生から何故こんなことが起こったのか、説明を受けた。

 理由を記載する前に前提として、もともと祖母はがんを患っており(わかる人はわかるかもしれないが何がんかは敢えて伏せておく)それは過去に祖母が骨折し、その治療をした時に判明したことだった。そのがんはもうほぼ末期らしく、薬を飲んでこれ以上悪化させないことしか出来ないらしい。だから祖母はこの病院にかかっていたのだ。
 パソコンのモニターには脳のCTが映し出されていた。先生の説明によるとどうやらそのがんが原因して小さな脳梗塞があると言うのだ。がんがあると脳梗塞が出来やすくなる。脳梗塞がある場所的にそれは感覚を鈍くさせるものであるらしく、今回、普段近寄りもしない部屋に入ったのは恐らくそれが原因である。先生曰く予期せぬ行動を取りやすくなる、らしい。また平衡感覚が取りづらくなることもあると説明され、伯母はそういえば普段からふらふらと歩いていたと言っていた。つまりその脳梗塞が原因であの部屋に入るという予期せぬ行動を起こし、そしてこれまた脳梗塞が原因なのか、熱中症が先なのかは分からないが倒れ、脱水状態になったようだ。

 思えば祖母は今まで認知症疑いのようなことをしていた。先生に今まで認知症だと思ってやっていたことは脳梗塞のせいだったんですか?と尋ねると

認知症にもたくさん種類があるのでそれが脳梗塞によるものか、そうでないものかの判断はできない

と言われた。
 また脳のどこに脳梗塞があるからどういう症状が起こりやすくなるということは専門の先生が見てもはっきりとはわからないらしい。

 ただひとつ、小さな脳梗塞が出来ており、それが原因で今回のような予期せぬ行動をしたのだろうという事実が存在するだけである。


 その後は、病院の先生と相談し、必要な処置をしてもらい、祖母はその日に帰宅した。実家にいた母に迎えに来てもらい、私たち家族四人は雨上がりの夕方、病院から実家までの短いドライブをした。このドライブは些細な出来事なのだけれど祖母の状況を踏まえても、これから先、こんな時間をあと何度過ごせるのだろうか、と思うと今この時は本当に貴重だし後悔しても戻れない現実なのだろうな、と思った。目に焼き付けておこうと思った。


・終わりに

  このブログを通じて私が言いたかったことを簡潔にまとめたい。


 行方不明、人命救助において

・とにかくスピード勝負
・常識を疑え
・連絡はこまめに早めに

ということが大切だと学びました。

 またがんを患っていると脳梗塞ができやすい、ということも知ることができました。やはり体はどこかで繋がっているんですね。

 このブログが少しでも誰かの身内や大切な人を守れることに貢献できたのならこれ以上幸せなことはありません。

 また今回の原因は脳梗塞による熱中症でしたが、今、熱中症本当に多いです。こまめな水分補給、調子が悪いと思ったらすぐに休息を、できるだけクーラーを付けて安全第一でお過ごしください。

 健康第一!

※1
んぽちゃむ『教習所2』
https://youtu.be/8zeuLhpu6fM?si=lrFS4qKdhpvShJOl

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