徒然200615 正しさと正義のこと

やっぱり今日も元気になれなくて、一日中ふとんにいた。かろうじて水だけ飲んだ。もうふとんだけがわたしの安全地帯なのかもしれない。こういう日が続いて、たぶん起きている時間はすべてつらいので強制的にねむるんだとわかってきた。まあ寝すぎて夜は寝れないんだけど。

昼間になんの音沙汰もないので、両親にひどく心配されていて、申し訳なくいたたまれない。父は、いつでも車で迎えに行くからねって言ってくれていて、泣きそうになる。実家から東京まで、5時間はかかるのに。愛されていてうれしくて、でも情けない自分の輪郭がはっきりしてしまって、つらい。つらいと思うこともつらい。

そんなどろどろの脳みそだけど、今日はぼんやりと正義のことを考えた。


小学生のとき、あんまり思い出したくないけど、人間関係にかなり悩んだ時期があった。「思春期の女子あるある」を超えるか超えないかのビミョーなラインだったと思う。その子たちは、先生に褒められたり友達がたくさんいた(ように見えたんだろうね)り絵や作文のコンクールで賞をとったり傍目には「優秀な小学生」だったわたしのことが、気に食わなかったらしい。濡れ衣を着せられてイヤなことをたくさん言われた。小学生ながらに、被害者になるよりも加害者にさせられるほうがつらいことを学んだ。

そのとき仲良しだった友達は賢くてやさしくて、すごく信頼していた。でもその子はわたしに嫌がらせをしていた人とも仲が良かった。嫌がらせのことは相談していたけれど、「自分が何かされたわけじゃないから」というのが彼女の論だった。

圧倒的に正しい。大人になった今考えてみても、やっぱり彼女の言っていたことはどこも間違っていない。だけど当時のわたしはものすごく悔しくて悲しかった。子どもながらに正しいと理解していて、何も言えなかったからこそ、つらかった。事態が進行してから、薄暗い放課後の6年1組でわたしの冷たい手を握りながら一生懸命慰めてくれた担任の先生のことばは、もうわたしには届かなかった。その日履いていたスカートのワッペンのキャラクターだけを鮮明に覚えている。先生は母に、わたしを精神科に連れていくように勧めたらしい。

正しいことってなんだろうと思う。法律以外に暗黙のルールはたくさんあって、それを故意に半ば盲目的に信じることで社会は崩壊しないようになっている。社会生活を営むことは、同じ信仰を共有することなのかもしれない。突き詰めたら絶対的に正しいことなんて本当はなくて、全ては価値観の一つにすぎないけど、あえて突き詰めないことでバランスを保っている。

だから確かに彼女は正しかった。友達が石を投げられたからといって、周りの関係ない人も石を投げ返していたら、それはやがて戦争になってしまう。彼女は賢くて理性的で、ルールに忠実だ。何も悪くない。わたしもそれを理解していたけれど、でも本当は、一緒に石を投げ返してほしかったのだ。投げ返さないまでも、それはひどいね!ってひとこと一緒に怒ってくれさえすれば、少し救われていたと思う。わたしにもわたしの敵にも平等に向けられるその笑顔に、わたしは正しさを呪い、そしてそんなふうに思ってしまう自分を呪った。

あのときのわたしに必要だったのは、精神科じゃなくて、ただ一緒に怒ってくれる友達だった。たとえ間違っていても、ルールにすこし目をつぶってわたしを信じて味方してくれる親以外の存在は、どれだけわたしを強くしてくれただろうと想像したりする。

わたし自身、正義感が強くて、社会的に、倫理的に正しいかどうかということを常に考えてきたように思う。だけど、正しさだけでは救えないものは確実に存在する。正しさは強い。同時にときに冷酷で、それを振りかざすことは気持ちいいけれど、それは絶対じゃない。便宜上、信じていることになっているだけで、この世には絶対の正しさなんてものは存在しない。常に疑ってかかるべき不安定なものだ。そのことをわたしは”絶対に”忘れたくない。

大学を卒業したいま、数こそ少ないけれど、わたしには大事な友達がたくさんいる。みんな賢くてやさしくてすてきで、心底尊敬している。彼らの誰かが傷つけられて困っているとき、わたしは正しさを防護壁にしてうわべのセラピーを並べるような人間でいたくない。だってそんなのってめちゃくちゃ悔しい。もちろん他の誰かに石を投げることが正当化されてはいけないし、本末転倒だと思う。でもせめて、理不尽に一緒に怒るくらいのことはさせてほしい。そういうときの正しさなんて無力でなんの腹の足しにもならない、クソくらえだ。ときに正しさを捨てる勇気をもってして、わたしは大事な人を守りたい。社会のヒーローになんてなりたくもないしなれないけど、せめて大事な人の正義の味方になりたい。自分が誰かを救えるなんておこがましいことは全然思わないし、ただのエゴなのかもしれないけど、それでも少なくともわたしはそう思っているよって伝えることが、もしかしたらちょっとだけ助けになるかもしれないと信じたい。それがわたしなりの正義だ。正しさと正義って似ているようで全然違う。

間違ってると思う?


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