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下手でも自信満々! それでいいのはなんで?

前回、中学生の時に小説を描き始めたと書きました。それでは高校生になっても小説を書いているのかとそうではなくて、今度は漫研に入って、また漫画を描きはじめた。クラスメートが漫研にいたからです。やっぱり周りに影響されちゃうんだなぁ。
なんとここで劇的な変化が!
ケント紙とかスクリーントーンとかいうものが、部費で使えるようになったんですね! すごーい!(漫画にむいているのは上質紙とかケント紙とかで、カラー画に向いているのは、水彩紙だったりします。他にも紙には色々な種類があります)
ここにきて人生で初めて、Gペンで墨汁を使ってケント紙に漫画を書くという体験をすることができたんですね。

環境が変わって、さらには資金を調達することができて、創作の幅が広がったのです。

そして初めて描いた漫画の表紙がこれです。

点描がんばったマン。

今見ると、頭を抱えたくなるくらいの出来です。なのに、なんだこの自信あります!って顔はって思うんだけど、これでいいんです。

この漫画の主人公は、大人でセクシーで、自信に溢れた女性なのです。自信たっぷりのキャラクターが出てきたら、自信たっぷりの顔を描かないといけない。どれだけ下手でも。

セクシーって難しいわよ。

自分でも描きながら、ペンで描くの難しいな〜とは思ってた。鉛筆と全然違う。線が硬い。全然思うように描けない。絵がうまいって思いながら描いていたわけじゃない。だけど、面白いとは思ってたんですよ。

こういう時は、絵はともかく話の中に没頭しています。没頭というか、想像の海に沈んでいるというのが、近い感覚かもしれません。
他人の声を聞いてはいないのです。むしろ全く聞こえません。ネットはもちろんSNSもないんですから、聞こえようもありません。

こういう状態は、ゾーンというのかな? 妄想に夢中になっている人は、だいたいこういう状態にあるんじゃないかな。特に珍しいことでもないと思うんだけど。

他人の声が聞こえないから、自由に描けます。それに、別に売るわけじゃないし、先生が添削するわけじゃないし、描きたいものを描いているでした。それは他の部員だって同じことだった。だから、思うように思うままかけた。

誰かに評価をされすぎないというもの、案外大事なのかも。少なくとも最初の頃は。

そしてこの漫画が中学生の時と違うのは、エンドマークがついたことです。その前に描いていたものは、すべてダラダラと永遠に続く書き方をしていたのだけど、漫研に入って初めて完結する話を描いたのです。それはおそらく、漫研の会報誌には締め切りがあり、自分のノートという個人の世界から、漫研の会報誌という他者の世界に入っていったからだと思うんですね。外界に旅立ったのが、成長の理由かもしれません。

自分の世界に集中するのは、とても大事だと思うんだけど、これが商業という世界になると、いいとは言えないわけですよね。売れるものというのは、人が求めるものだから、自分は後回しです。
でも自分が面白いと思えないものを、人に面白いから読んでくださいっていう方が、精神的なハードルは高いかもしれない。
人生も創作も楽しんでできたら、そりゃあいうことないべ。それが理想よね。
ちなみに今はゴールデンウィーク中です。
楽しんでるかい? 楽しまなくっちゃ。

私が漫研時代から描いた漫画見る?セクシーダイナマイト編より

つづきます。

ここまで読んでくれてありがとう。