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海老で鯛を釣る

 徳川吉宗は江戸政府の将軍として有為の人物を積極的に登用したことで有名である。吉宗はあるとき、人間だけではこの江戸24区と日本全国を治められぬと悟り、動物からも人材を求めることとした。犬やキツツキや象やオオサンショウウオが自らの能力を示し旗本に取り立てられたが、海の生物は後回しにされていた。吉宗は四海に御触を発して曰く、公方自ら某月某日に東京湾で釣り糸を垂らすゆえ、われこそはと思う海洋生物はその糸をたぐって将軍のもとにお目見えせよ。一番先に釣られた海洋生物を採用とする、と。

    • ミイラ取りがミイラになる

       隋の時代の中国に鵬という男がいた。鵬は人間のミイラが薬の原料として高い値が付くことを知り、ミイラを探すことにした。ミイラとは包帯を巻いた死体のことであり、死の直前に特殊な魔術を施すことで死後に復活することができた。しかし中国にはミイラは少なかったので、鵬はすぐに近辺のミイラを採り尽くした。そこで鵬は天竺に渡ってミイラを探し求めたが、そこでもミイラは少なかった。鵬は中東に渡ってミイラを探し求めたが、そこでもミイラは少なかった。そこで鵬はエジプトに渡ってミイラを探し求めると、そ

      • 前門の虎、後門の狼

         隋の時代、中国の辺地に習という豪族がいた。習は領民から搾取した財産を屋敷に溜め込んでいたが、盗みに遭った。そこで習は屋敷の門に虎を配し、不審人物の出入りを見張らせ、あやしきものはこれを食い殺せと命じた。ところが盗人に後門から潜入され、領民から搾取した金品を盗まれた。そこで習は後門に狼を配し、不審人物の出入りを見張らせ、あやしきものはこれを食い殺せと命じた。ところが盗人が虎と狼に肉を与え、虎と狼がその骨をしゃぶり気をゆるめた隙に屋敷に潜入され、領民から搾取した財貨を盗まれた。

        • 暖簾に腕押し

           あるとき黒船が江戸に現れ、ペリー提督が日本に開国を再三要求した。将軍・徳川吉宗は開明の精神を持っていたのでペリー提督を江戸城に引見して親しく語りこむこと数刻、ついに日米安全保障条約を締結し、また江戸政府はNATO(北大西洋条約機構)のオブザーバー構成国となった。ペリー提督はおおいに喜び、日本のさまざまな文物を故国に持ちかえった。  その後、アメリカはキューバの支配権をめぐってイスパニアと戦争を起こし、盟により江戸政府もアメリカ側に立って参戦した。将軍吉宗みずから軍船を仕立

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          猿も木から落ちる

           隋の時代のことである。孫という廷臣が領地を巡察していたところ、木から猿が落ちるのを見た。木に登り慣れているはずの猿が木から落ちるとは異なことだと感じたが、それ以上なにかを調べることもなく、自分の仕事を続けた。その後、孫が都に戻り、なにか珍しいことはあったかと皇帝に問われたので、そういえば猿が木から落ちたのを見ましたと申し上げた。  他愛も無い話のつもりであったが、側に控えていた曹という愚かな高官が口を挟んだ。曹は日頃、思考明晰で皇帝陛下の覚えめでたい孫のことが何かと疎まし

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          猫に小判

           広く知られているように、徳川吉宗は生類憐れみの令を公布した。これは日本国内の全ての生命体に、死ぬこと及び自他の生命体を殺すことを禁ずる法であった。本能寺の変で織田信長を封印した吉宗であったが、その際に小林一茶や千利休や菅原道真など、多くの偉人を巻き添えに死なせてしまったことを深く悔いていた。生命への深い慈愛と畏敬と悔恨の念から、吉宗は生類憐れみの令を発したのである。  まずはじめに吉宗の想いの深さに感服した江戸市民たちがみな殺生をやめ、互いに争わず傷つけず、また家畜家禽を

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