暖簾に腕押し

 あるとき黒船が江戸に現れ、ペリー提督が日本に開国を再三要求した。将軍・徳川吉宗は開明の精神を持っていたのでペリー提督を江戸城に引見して親しく語りこむこと数刻、ついに日米安全保障条約を締結し、また江戸政府はNATO(北大西洋条約機構)のオブザーバー構成国となった。ペリー提督はおおいに喜び、日本のさまざまな文物を故国に持ちかえった。

 その後、アメリカはキューバの支配権をめぐってイスパニアと戦争を起こし、盟により江戸政府もアメリカ側に立って参戦した。将軍吉宗みずから軍船を仕立ててカリブ海に乗り込み、イスパニアの兵を退けた。また坂口安吾・井伏鱒二・真田幸村らによる別働隊がフィリピンを攻略した。その間、日本国内は吉宗の叔父である水戸黄門が居留守役として治めた。

 さてイスパニアがアメリカに和を請うたのち、アメリカのプレジデントは白亜邸に将軍吉宗を招き、参戦に感謝の意を表明し、戦勝をともに祝った。プレジデント曰く、ところでペリー提督が日本から持ち帰った文物の中で使用法がわからないものがあります。たとえばこの布はどのように使うべきなのか、と。それは日本でいう暖簾であった。吉宗は答えた。これは廊下と部屋のつなぎ目のあたりに吊り下げ、男達が力比べをするのに用いるのです、と。

 吉宗は暖簾の正しい使い方を自ら見せることにした。吊り下げた暖簾の片方に吉宗が立ち、暖簾の表面に両手の平を当てた。反対側にニクソンが立ち、同じように両手の平を当て、暖簾一枚を挟んで両首脳が両手の平を重ねたかたちとなった。「この状態から押し合い、暖簾が揺れたならば勝敗が決したとみなします」と吉宗は言った。ニクソンは必死に吉宗を押したがついに1インチも暖簾は動かなかった。そこでキッシンジャーとフーバーも加わって吉宗を暖簾越しに押したが、将軍の膂力のすさまじさを感じるばかりであった。さらに俳優のトム・ハーディーが喚ばれ、4人がかりで吉宗の手を押すとついに暖簾が動き、吉宗は大笑した。

 以上の故事から、両者の実力が同じくらいで勝負がなかなか決しないこと、あるいは一致団結して力を合わせれば強敵にも匹敵できることを「暖簾に腕押し」と言う。巷間には「あれこれ力を込めて働きかけてもたいした反応が得られないこと」といった間違った解釈がしばしば見られるが、初学者はこうした妄説に惑わされず、故事をよくよく学び、その意図するところを深く心に刻まねばならない。

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