海老で鯛を釣る
徳川吉宗は江戸政府の将軍として有為の人物を積極的に登用したことで有名である。吉宗はあるとき、人間だけではこの江戸24区と日本全国を治められぬと悟り、動物からも人材を求めることとした。犬やキツツキや象やオオサンショウウオが自らの能力を示し旗本に取り立てられたが、海の生物は後回しにされていた。吉宗は四海に御触を発して曰く、公方自ら某月某日に東京湾で釣り糸を垂らすゆえ、われこそはと思う海洋生物はその糸をたぐって将軍のもとにお目見えせよ。一番先に釣られた海洋生物を採用とする、と。
幕臣のなかにはマッコウクジラやエチゼンオオクラゲが掛かったらどうするのですかと不安がるものもいたが、吉宗はそれもまた一興と気にとめなかった。指定の日に吉宗が御触どおりに釣り糸を垂らすと、あらめでたやな、糸にかかったのは鯛であった。
「約束どおり旗本として仕官を認める。海のことはお主に任せるゆえ、励むがよい」と将軍からお言葉を賜ると、「魚類の代表として、この鯛が上様の国を取り囲む海に責任を持ちます」と鯛の殊勝な返事であった。
幕閣一同がこの喜ばしき登用に相好を崩していると、突然水面がばちゃばちゃと割れ、吉宗と鯛の会話に割って入る声が現れた。
「おそれながら上様に申し上げます。わたしは海底に棲む海老でございます。わたくしも江戸政府の旗本に取り立てていただきとうございます」と。将軍が答えて曰く、「今回の採用枠は1名限りである。鯛がまっさきに余の釣り糸にかかったゆえ、お主のチャンスは去った」と。ところが海老はさらに反論して曰く、「おそれながら上様に申し上げます。鯛はなるほど立派な魚類にて海中のこと全般を取り仕切るに適しておりましょう。しかし海底のことはどうでしょうか。海老以上に海底のことを知るものはおりません」と申し上げて、ヒラメ、カレイ、ダイオウグソクムシ、エイの推薦状を見せた。
吉宗が再び答えるには、「たしかに貴公は海底のことに鯛より詳しかろう。しかし余の約束は、釣り糸に最初にかかった海洋生物を登用するということであった。お主は2番ゆえ、その資格はクオリファイしない」と。ところがさらに海老が答えるには、「2番めに参ることになりましたのは、三宅島周辺の様子がおかしかったため、念の為に海底をまさぐっていたのでございます。あの様子では近日中に三宅島で噴火が起きるでしょう。上様の御触の内容はもちろん存じ上げておりましたが、噴火すれば島のご領民に被害が及ぶと考え、プライオリティを変えたのでございます」と。
その話が本当であれば一刻を争うべしと吉宗は考え、この議題をいったん中断して海老を去らせ、老中たちに三宅島領民の避難について対応を命じた。海老の言うことを信じるべきかと半信半疑であった老中たちであるが、助けの船を島に参らせて領民を乗せた瞬間、島の頂が爆発音とともに恐ろしい噴煙を上げ始めた。鯛の指揮によりクジラの群れが船を押し、命を失うものはひとりもいなかった。
この海老の功は無視できぬということになり、吉宗は再び鯛と海老を東京湾に呼び出した。吉宗はまず海老に噴火予知の礼を述べ、好きな褒美を取らせると伝えた。では旗本としてお取り立てを、と海老が言う直前、面白くない鯛が口を挟んだ。「おそれながら申し上げます。このたびの海老の働きはたしかに大なれど、もともと上様の御触は最初に釣られた海洋生物のみ、とのお約束であったはず。ここで海老を採用となれば、公方様が自らのお言葉を違えることになりませぬか」と。この鯛の諫言も無視できぬものと老中たちは頭を抱えたが、吉宗には困るものではなかった。
「たしかに釣り上げるのは一回である。そこで、改めて余がここに釣り糸を垂らすゆえ、まず海老がそれを取れ」と吉宗が告げた。欣喜雀躍する海老の隣で、鯛は呆然と口を開けた。「続きがある。その海老を餌と見立てて、鯛がそれを取れ」と吉宗が告げた。優劣一転、満面の笑みで鯛は海老のしっぽをくわえた。「鯛よ、海老を噛みちぎるでないぞ。噛みちぎればお主は同僚を殺した罪で切腹である。海老よ、余の糸を離すでないぞ。将軍の釣り糸を手放すものは海底旗本とは言えぬ」と。そうして将軍が力強く釣り竿を引き上げると、海老と鯛が同時に釣られた。「これで両者とも仕官を認める。以後、海中は鯛が、海底は海老が、両者協力して取り仕切るべし。これにて一件落着」と吉宗は言った。こうして、江戸湾および津々浦々の海洋の平穏が保たれるようになったのである。
以上の故事から、優れた人材を一挙に複数人召し抱えることを「海老で鯛を釣る」と言う。巷間には「高価なものを投資して、さらに高価なものを得る」という間違った解釈がしばしば見られるが、初学者はこうした妄説に惑わされず、故事をよくよく学び、その意図するところを深く心に刻まねばならない。
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