猿も木から落ちる

 隋の時代のことである。孫という廷臣が領地を巡察していたところ、木から猿が落ちるのを見た。木に登り慣れているはずの猿が木から落ちるとは異なことだと感じたが、それ以上なにかを調べることもなく、自分の仕事を続けた。その後、孫が都に戻り、なにか珍しいことはあったかと皇帝に問われたので、そういえば猿が木から落ちたのを見ましたと申し上げた。

 他愛も無い話のつもりであったが、側に控えていた曹という愚かな高官が口を挟んだ。曹は日頃、思考明晰で皇帝陛下の覚えめでたい孫のことが何かと疎ましく、機を見つけて孫を失脚させたいと願っていた。曹曰く、猿は古来より林を守る聖なる獣とみなされている。その猿が木から落ちるとは珍しいどころではなく、なにか深刻な事件が起きる前触れであるに違いない。ところが孫はいたずらに自領に逗留し、猿の落下を陛下に奏上することを怠った。これは陛下の身に危険が及ぶことを孫がひそかに望んでいることの証拠である、と。

 これに対して、孫の古くからの友人であり、また陛下の信望厚い猛という名の将軍が反論して、孫に限ってそのような二心を抱くはずはない。孫は日頃、勉学や政務で書物や字ばかり見ているため近視になっている。おそらく枝や実が落ちたのを猿が落ちたと見間違えでもしたのであろう、と言った。これに対して曹は、仮に見間違えであったとしても、やはり一刻も早く都に戻り、あるいは少なくとも急使を送って陛下の無事を確認すべきだったであろうと賢しらなことを言った。

 そのやりとりを聞いていた賓という名の后が、そもそも猿は決して木から落ちることはありません、わたしは後宮に召し上げられる以前、猿の多い田舎に住んでおりましたが、子供のころから猿が木から落ちるところなど一度も見たことがありません、と言った。賓は陛下の寵愛の最も深いひとであったので、曹は反論することを控えた。

 そこで孫は姿勢を正し、改めて皇帝に謹んで申し上げた。曰く、臣はいかに耄碌したとはいえ、猿が落ちるのを見誤るほどではないし、また見誤りであってもそうでなくても、陛下の統治が民心を善く導き四方の夷敵を攘い、その徳が四海に響くこと数万里であることは天帝が最もご存知のはず。さらに曹や猛といった忠臣が陛下のお側近くに常に控えておりますれば、何が落ちようが昇ろうが陛下の治世は安泰でございます。それでも猿が木から落ちるか否かを論ずるべきなのであれば、まず実物の猿を用意してこれを観察し、これが木から落下するかどうかを調べればこの議論は一歩前進いたしましょう、と。

 皇帝は孫の献策を良しとし、近辺の猿を捕らえさせて宮廷に運び込ませた。そして木から落ちるかどうかを全員で観察しようとしたが、人に慣れぬ猿たちは怯えて身を寄せ合い、木に登ろうとしなかった。

 曹は今度こそ孫の意を挫く好機だと思い、皇帝に申し上げた。曰く、孫は猿が木から落ちるという結果を恐れ、ひそかに樹木恐怖症の猿を集めたに違いありません。これこそ孫がおのれの失態を隠そうとしている証拠です、と。そこで孫は反論して曰く、猿が木に登らないのは都の喧騒に慣れておらず、また陛下の御前ゆえその御稜威を畏れ、陛下の玉座より高い木に登ることを自ら控えているのでございます。猿が宮廷の空気に慣れるよう、つがいを作らせ子猿を産ませるべきでございましょう。生まれたときから宮廷にいる猿であれば、何も恐れることなく木に登るやもしれません、と。

 そこで皇帝は孫の献策を良しとし、猿をつがいにさせ子を産ませることとした。専用の林を造成し、果物を置き、猿たちがのびのびと過ごせるようにとりはからった。子猿が生まれると皇帝も後宮の女官たちもこれを喜び、子猿たちの無垢な様子を見て廷臣たちの顔もやわらぎ、ついにはあの頑迷な曹も邪心を改め、孫と友誼を結び、皇帝の治世を末永くともに支えたという。

 以上の故事から、賢しらな論難をうまく交わし、知性と計画でもって愚者を善く導くことを「猿も木から落ちる」と言う。巷間には「ある道に優れた者でも、ときに失敗することがある」という間違った解釈がしばしば見られるが、初学者はこうした妄説に惑わされず、故事をよくよく学び、その意図するところを深く心に刻まねばならない。

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