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Take off✈️

Beauty Japan日本大会まで2週間をきりました。

スピーチ、プレゼンの準備をしていて、過去と今の架け橋を振り返った時気付きました。

出来事や経験から生まれた感情や学びが今に全て繋がっているということを。 

私は今福島で地域おこし協力隊として活動していますが、

元々成田空港の国際線でグランドスタッフとして働いていました。



チェックインや、ゲート業務、アナウンス、乗り継ぎのお客様の案内、パイロットやCAとのブリーフィング(これは専門用語かしら?😂打ち合わせです)

飛行機が到着してドアオープンした際に、機内の引き継ぎを受け対応するのはグランドスタッフの仕事です。

そして、台風や自然災害等で飛行機が遅れたり、欠航した際にお客様の対応を任されるのもグランドスタッフの仕事。

毎日何が起こるか分からない、という心構えで仕事をしていました。
定時に飛行機を飛ばす為には、どんなに小さなミスも許されません。

ここで培われた、心構えや臨機応変な対応力、適応力は今の仕事や生活に活かされてると感じます。

山での生活は、自然や気候に左右されたり、出来上がったコミュニティの中に溶け込んでいく必要があります。

天気はもちろん、動物、虫、運転、寒暖差、風習など、あげたらきりがありませんが自分が適応していかなければなりません。


そして、今仕事の中心となっているカフェの運営でも、

お客様一人一人の背景を大事にするという意識はエアラインで培われたホスピタリティだと感じています。

同じいわき市に住む、私の祖母は都会にいた私が生活していける訳がない、
3ヶ月で実家に帰ると思っていたそうです。

自分が適応しきれてるかは分かりません。しかし、ありのままに自分らしく活動できてるのはエアライン時代の学びがあったからだと私は思っています。

そして、

コロナの影響で、エアライン業界に挑戦すら出来なかった人。

コロナの影響で違う道に進んだ人。

私は後者です。

私は2年ほどしか空港では働いていません。
しかし、本気で就活し、本気で夢を見て、本気で仕事をしてきたからこそ、この業界に対する思いは今も変わりません。

beautyjapanに出て、自分と向き合い、

きっかけを与えられる人になりたい。
マイナスな出来事は、プラスに変換することがらできることを伝え続けたいと強く思うようになりました。

自分の飛行機を高く飛ばせるように、そしてその飛行機雲を見た誰かの背中を押せるように

まだまだ走り続けます✈️

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