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物々交換と、言葉の形。

先日久しぶりに、同じ年齢の友人と会っていろいろと話す機会があった。彼は専業農家で園主をしている。

話している間はまぁ、別に何てことのない話題ばかりだったと思う。あんまり内容を覚えていないくらいには、クラスメイトよろしく他愛ない話ばかりした。よく喋ったし、よく笑った。仕事の話をそんなにしっかりした記憶もないけれど、わたしも一度ゆず農家さんのお手伝いに行ったことがあったから、そのときのことなんかも少し話した。今でも心に残っている体験ばかりで、わたしにとってはすごく救われた時間だったから、思い出して話すだけでも心臓がこそばゆくなる気がした。

農家さんの間では、「物々交換」的なことがよくおこる。(んだろうなと思う。)農家さんじゃなくとも、自然や手仕事の多い土地ではあるあるなのかもしれないと、滋賀で暮らしていたときにも思った。
実際その友人も、自分の農園でつくった作物を毎年贈る相手がいて、代わりに相手の農園でできた作物を贈ってもらえる関係性があるという。ごくあたりまえの風習みたいに、周りにもそういうひとはたくさんいるらしい。すごく素敵な関係性だなぁと、そう思った。

楽しかったなぁというシンプルな感覚のまま家に帰って、彼が持ってきてくれていた、きれいな色のみかんを机に並べて眺めた。糖度が高くて、果汁が多く、それでもしっかり柑橘特有の酸味があるおいしいみかんだった。食べながら、しみじみと「すごいなぁ」と思った。こんなに美味しいものを作れるんだ、あの子は。

さっきまで何も考えずに楽しく喋っていた相手のことをしみじみと尊敬しながら、なんだかすこし笑ってしまった。一粒のみかんにこんなに思考を働かせながら食べるのは初めてだった。ひとつを食べきる間にいろんなことを考えた。

薄くやわい皮膚を噛むように、果肉を包む薄膜に歯を立てたら、口の中に予想以上の果汁があふれた。咀嚼を少しの間ためらいながら、参ったなぁという気持ちでまた笑う。手のひらにおさまる小さなみかんは、そりゃあもう、確かに美味しかった。こんなに"確かなもの"を作り出せるって、一体どんな気持ちなんだろう。考えてもわからなかった。

「物々交換」ができるようになるには

最近よく、ふとした瞬間に、「無意識に奪う側の人間になっていないか」ということについて考える。
これは半年間通ってPRについて学ばせていただいたitty selectionの代表のかみむらゆいさんがメンバー宛メッセージでくださった言葉で、めちゃくちゃ刺さっていて、よく考える言葉のひとつになった。

わたしの家族は、あまりなめらかな関係ではなかった。でも、その代わりにというか、周りの人たちには本当によくしてもらってきた人生で、いつも有り余るくらいの気持ちや、親切や、大切なものを頂いているなぁと思っている。でも、わたしからお返しできるものって、すごくすごく少ない。もらっているものが大きい分、それに見合う何かが返せているだろうかといつも考えて、やれやれと思う。わたしの場合、こうやって今生きていられているのが周りの人たちのおかげだから、返すべきものがあまりに大きくて釣り合わない。ひとまず死なないで生きることがそのひとつかもしれないとも思うけれど。

大なり小なり、わたしに返せるものって何なんだろう、とずっと考えている。たとえば素敵なひとの素敵さを周りにも伝えてみるだとか、あの子のアンテナにこれは合うだろうという情報を伝えてみるだとか。その手のことは当たり前にやっているけれど、そんなのはただ伝えたいから伝えているだけのものであって、物々交換のテーブルに乗せられるようなあつらえにはなっていないと思う。

あぁ、だから書かなければいけないのかと、今これを書きながら思ったりもしたけれど、何というか、言葉なんていうのはひどく不確かなものなのだ。それを相棒にしていくと決めてしまったのだから仕方がないんだろうけれど、時々心もとなくて仕方がなくなる。言葉なんてのはすぐにどこかへいってしまう。

昔から書きながら頭の中を整理する人間なので、これを書きながら頭の中が若干整理されてきた。要するに、彼らにとってのゆずやみかんやその他の作物が、わたしにとっての言葉であるために何をすべきかという話なんだろう。

無形のものをどうパッケージングして、価値を感じてもらえるように何をすべきか。食べられもしない、手にも取れない、そんなふわふわと空中や時間のなかを漂う"奴ら"について、ただ依頼を受け止めてそれに応えて作るだけじゃなくて、自分の意思を注いで作っているか、丹精に作ってきたか。それによって、物々交換のテーブルに乗せられるものになるかどうかは変わってくる。「何」かが分かりづらい不確かなものであるからこそ、そこもしっかり伝える意思を持たなければ伝わらない。

そして、テーブルの上に置けるものはひとつだと決まっているわけじゃない。人間は複数の構成要素でできているのだから、いろんな価値があるはずだ。わたしで言えば何だろう。カメラとか、司会とか、ひたすら話を聞くとかだろうか。「初対面でも初対面っぽくない」という評価をここ数年よくいただくので、この辺も価値になる時がくるかもしれない。

今まで「もらうばかり」で返せていないと思っていたのは、たぶん、「返せるようなものを持っていないという意識でいる」というだけのことなんだろうから。返せなくて申し訳ないなぁと思うばかりじゃなくて、「わたしは何なら返せるんだろう」って考えるようになりたい。何も無いなぁと分かりながら、それでも、本当に何もできないだろうか?って、考えられる人でありたい。ありたいだけじゃなくて、いい加減にそうならなくちゃいけない。いつまでたらたらやってんだって話だ。

お手紙を書きたくて

わたしの人生の変わり目に影響した人のひとりに家入一真さんがいるのだけれど、家入さんがよくサービスや事業について「身近な人の顔を思い浮かべて、手紙を書くように作る」と仰っている。具体的な誰かの姿を想像して届けるということの言い換えだとも言えるけれど、こういう家入さんの姿勢がすごく好きだ。「ペルソナを作って〜」とかと言ってることは同じでも、言葉のもつ硬度と温度が随分違う。

引っ越しばかりしていた幼い頃は随分と筆まめだったのに、父に字が汚いと指摘されてから文字を書くことが苦手になった。事実字は汚い。

ただ、久しぶりに手紙を書きたいと思って、急に気温の下がった夜に便箋を買った。短い秋が終わって、冬がすぐそこにきている日。一年なんて本当にあっという間なのだと思い知らされる。

確かなものを作る人が言った「頑張ってな」の言葉は、形がしっかりとして言葉になっていた。友人だけじゃなく、さいきん、周りの人たちの言葉の形を目にしながら、自分の言葉の形はなんて不確かなのだろうと思い知らされることが多い。情けなくて悔しい。いい加減にちゃんと、形ある言葉を紡げる人になりたい。それはわたしがわたしの意思でしか叶えられないことだ。

便箋の白さと広さを持て余したまま、今夜は"誰か"のことを考えよう。出せない手紙が溜まったら、火をつけて燃やしてしまうのだって悪くはないのだから。

読んでいただいてありがとうございます。少しでも何かを感じていただけたら嬉しいです。 サポートしていただけたら、言葉を書く力になります。 言葉の力を正しく恐れ、正しく信じて生きていけますように。