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私は生きていきたい

今から続く記事は
ちょっと前に(2月頃)公開していた記事だ。
だが、あまりにも内容が重いかもしれない
ここまで自己開示する必要はないのではと思い
すぐに公開をやめた。

だけど、ここを通らずして今の私はないから、
やはり記しておきたいなとずっと考えていた。

楽しくのほほんと家族と共に生きているように思われがちだけど、
こころ、あたまの中が暗黒で覆われていた時期があった。
いや、今でもふとした瞬間に顔をのぞかせるのだ。

死とそれにかかわる不快な表現があるので、
この先の文章を読まれるのは、その方の判断に委ねたい。

ただ、私は生きていたい。
過去の事も含めて、この私で生きていたい。
そのことを書いている。

今日は2024年4月9日、新月。
過去を認め、未来へと生きるために、再び掲載。





数年前、
わたしは脳の不具合からこころがおかしくなり
死を選んで
自分で人生を終わらせようとして実行にうつした。
2度も。

懸命に支えてくれていた夫のことも、
幼い子のことも
考えられないくらい
自分の思いに囚われ
憔悴し
正常な判断力を失った。

でもそれは2回とも
未遂に終わった。
(十分な実行能力のないものだった)

そこから
もうそんなことはしてはいけないと家族はもちろん
たくさんの人に言われたり諭されたりした。
自分でも時間はかかったが、もう家族を悲しませてはいけないなと思った。

治療もして、
アップダウンはあるが日々暮らしていけるようになった。
(のちにその当時の治療は、あっていないのではないかという結論に至ったけど)

だけど、
何か機会があれば
何も抗わずにそのまま
「消えたい」
消えることができたらいいなと思いが浮かんでは消えてを繰り返していた。

誰にも悟られないように。
主治医にも言えなかった。

メンタルの障害を抱えている私は、
この先もっと家族の重荷になるのではないか
こんな妻・母ではまた迷惑をかけてしまうのではないか
でももう、死ぬことについての行動を実行してはいけない。

ならば
「消えたい」。

ところが
ここのところ、
地震など災害が来た時のための
食料や日用品備蓄の見直しや家具の配置を変えたりしていて
自分の気持ちの変化に気が付いた。

「わたし、生きたいんだな」

この先、
どんな災害が起きるのか分からないし
事件や事故に巻き込まれるかもしれないし、
違う病気や障害を負うかもしれない。

それでも
わたしはやっと

「今は生きていたいな
夫と子の、この家族で生きていたい
消えたくない
生きたいんだ」

こんなに強く「生」への欲望を感じたのは
はじめてかもしれない。

日々なるべく心穏やかに
残されている生きる時間を
過ごしたい。



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