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日本語方言雑記 (2a): 大分県南東端

この記事は、2013年にFacebookのnoteへ投稿した記事を、当時以降の調査結果に基づいて、書き改めたものである[*]。更に、2022年10月23日に投稿した後ち、同30日に大きく改稿した。

見出し画像は、大分県南東端に位置する旧南海部みなみあまべ宇目町うめまち (現佐伯さいき市) のJR宗太郎そうたろう駅。現在は、上下合わせても、僅か3本しか停車しない秘境駅であり、1日平均乗車人員は1に満たない (JR博多駅のそれの10万分の1未満)。

ただし、この写真は、学友に車で連れて来てもらうという、秘境技ならぬ卑怯技の末に撮ったものである。この駅で13時間半ほど過ごす気力は流石に無い。(と言いつつ、9時間ほど過ごしたことは有る。うろ覚えながら。)

大分県南東端

2013年度から2015年度に掛けて、日本語疑問文の通時的・対照言語学的研究という共同研究にカテテ '仲間に入れて' (44:日田)[*]もらい、日本語諸変種における疑問副詞句 (e.g., なぜ、どうして、何しに) の構造を調べ回った。

[*] 自然に発露するも、一般には理解されない方言語句はカナ表記し、"'共通語訳'" と "(県番号:地域)" とを示す。

この仕事の一環で、2013年に大分県旧南海部郡 (現佐伯市) を訪れた。有り難いことに、友人の父が調査協力のお願いを快諾してくれたからである。被調査者は、1936年から1947年までに生まれた南海部方言[*]の母語話者4名。母語話者のみなさんと話す中で、同方言の音素体系にも興味を抱いたので、デクルシコ '出来る限り' (40–46:九州各地) ここに書き留めておく。母語話者同士の会話で傍受した情報のみならず、こちらからの質問で確認したことも含んでいる。

[*] 御本人たちは出身地に合わせて、「本匠ほんじょう弁」「宇目弁」「蒲江かまえ弁」と呼び分けるが、本記事では「南海部方言」の名で一括。

母音

母音体系

南海部方言は本土方言一般に同じく、次掲図1に挙げる5種類の母音音素を有している。

図1: 南海部方言の母音音素

母音融合

現代共通日本語 (以下「共通語」) を含む他方言と比べるに、南海部方言における母音の特徴は母音融合に見られる。南海部方言においては、この現象が名詞の語尾変化に頻発する。

名詞の語尾変化

日本語の名詞は文中の働きに応じて語尾を変化させる。語幹と語尾との境界は、共通語においては明瞭である。たとえば、次掲 (A2–4: 太字部) は、/ika/ '烏賊' の末尾音節 /ka/ に /-o/, /-ni/, /-wa/ が付いたものと分かる。

(A) 共通語における /ika/ '烏賊' の語尾変化

  1. ika

  2. ika-o 釣った

  3. ika-ni 似てる

  4. ika-wa 好かん

語例においてはIPA表記を簡易化する。この簡易表記法はこのGoogle Sheets [音声記号] を参照されたい。

ところが、南海部方言においては、語幹と語尾との境界が必ずしもハッキリしない。

(B) 南海部方言における /ika/ '烏賊' の語尾変化

  1. ika

  2. iko: 越えた

  3. ike: 似ちょる

  4. ika: 好かん

(B) のような、語幹と語尾との境界が明瞭ではない名詞の例を次掲表2に挙げる。(表1α) のとおり、ここに挙げた名詞語幹はいずれもカ行音 /-kV/ に終わるものである。しかし、(表1β–δ) においては、語幹末の /V/ が機能に応じて変化しているように見える。

表1: 南海部方言における /-kV/ 終わり名詞語幹の語尾変化

(表1β–δ) の見出しに挙げた「主題」「対格」「与格」といった用語については後述。

(表1Aβ, Cγ, Dδ) のみ、(表1Aα, Cα, Dα) の末尾母音を延ばした (或いは、[a], [u], [i] を足した) ものと成っている。このことを頼りにして、表1の全語形を、(表1α) に /-a/, /-u/, /-i/ が続いたものと分析する。この分析結果は次掲表2のとおり。

表2: 南海部方言における名詞の構造

/Vu, Vi/ の実現

表2に挙げた語形のうち、幾つかのものは、動詞/形容詞の語形と同様の構造を持つと分析できる。次掲表3と表4–5とを比較されたい。

表3: /V-u/ ないし /V-i/ に終わる南海部方言の名詞
表4: /V-u/ を内包すると思われる南海部方言の動詞/形容詞
表5: /V-i/ を内包すると思われる南海部方言の動詞/形容詞

余談: 名詞語尾の意味

表2における名詞語尾の意味は、取り敢えずは共通語に頼って、(表2β) '-は'、(表2γ) '-を'、(表2δ) '-に' とした。しかし、この説明では日本語(母語)話者以外には伝わりにくい。'烏賊', '書く', '赤い' といった概念は、相手方の言語に訳すなり、絵に描くなりすれば、(大よそは)伝わるだろうが[*]、'-は', '-を', '-に' といった概念は、必ずしもそうは行かない[**]。

[*] 「海が無い」「海産物を食べない」「文字を書かない」といった社会差に因る不通は措く。

[**] '-は', '-を', '-に' などに対応する概念をたまたま持っている朝鮮語には上手く訳せるだろうが。

改めて考えてみるに、名詞語尾の意味は殊のほか多義的である。このことは、次掲 (C1–2) のように、創造の対象も破壊の対象も「-を」で示されることから分かる。大まかには移動を表す (C3–4) においても、(C3: 太字部) は目的地、(C4: 太字部) は経路であり、意味的には異なると言えよう。

(C)

  1. 清水寺- 建てた。

  2. 清水寺- 壊した。

  3. 清水寺- 訪れた。

  4. 清水寺- 歩いた。

方言を対照させることで、「-を」の多義性に思い至ることも有る。関西以西に分布する「直す」を例に取って、「-を」の多義性を示す。

次掲 (D) のとおり、「直す」の対象は「元の場所に戻す対象」であり、「綺麗な状態に戻す対象」ではない ((D2) の "*" は不可を意味する)。一方、「片付ける」の対象にはどちらも含まれる。

(D)

  1. 道具- 元の 場所に {片付けた/直した}。

  2. 部屋- 綺麗に {片付けた/*直した}。

「元の場所に戻す対象」と「綺麗な状態に戻す対象」とが意味的に異なることは、「直す」の可否が示している。しかし、「片付ける」はどちらも「-を」で標示するのである (この段落の記述はTwitterアカウント@koridentetsu氏の御教示)。

以上のように、共通語などの「-を」は多義的である。その意味を、'創造の対象、元の場所に戻す対象、目的地などの標示' と一々呼んでいては敵わない。そこで、学界では便宜的に、「-を」の意味を(持つ表現を)「対格 (accusative)」と呼ぶのである。

(つゞく)

しご]た ちん]ちん そつぁ たん]たん。もろ]た ぜんな] そつい] かえ]て [に]かと かっ とっの] がそりん]に しもん]で '仕事はテキトー、酒はグビ〴〵。貰った錢は酒に替へて、新しいのを書く時のガソリンにします' 薩摩辯 [/]: 音高の上がり/下がり