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ウェブ連載「ことばのフィールドワーク 薩摩弁」を始めた意図

はじめに

この記事は、松浦年男氏が企画した「言語学な人々 (Advent Calecndar 2023)」の4日めに位置するものです。と言いつつ、先陣を切って、締め切りに遅れているのですが。

薩摩弁調査記のウェブ連載

今年の10月から、ひつじ書房ウェブ マガジン「未草ひつじぐさ」で連載を持っています。題目は「ことばのフィールドワーク 薩摩弁」です。

鹿児島県におもに分布する薩摩弁が主題ですから、同方言に特徴的な発音、語句、言い回し(が持つ魅力)の解説を多くの人は期待したかと思います。最近は、方言に関心を持っている人だけでなく、方言を肯定的に評価する人も多いようですね。「秘密のケンミンSHOW」みたいな観点から記事を書けば、それなりにウケたかもしれません[*]。

[*] 「当該連載は結局ウケずに終わった」みたいな書きぶりですが、まだ続いています (全26回の予定のうち、第9回まで発行)。

ですが、筆者は、そのような記事の執筆を意図的に避けています。ある地域に特徴的な発音、語句、言い回しのみを方言と見なす風潮を助長するように感じるからです。方言を面白おかしく消費するだけに終わることを危惧しています。

方言に対する過小評価

「方言 = ある地域に特徴的な発音、語句、言い回し」という視点は珍しいものではありません。日本語(方言)研究者にも、方言をこのように過小評価する人は居ます。たとえば、日本語方言学の一派が著した『方言を救う、方言で救う: 3.11被災地からの提言』(ひつじ書房) は、「危機的な方言」を「被災地で使用される個々の単語や表現」(p. 16) と定義しています[*]。

[*] 主題の都合から「被災地で」としていますが、そうでなければ、「特定の地域で」のように表現していたでしょう。

自然言語たる方言

しかし、方言はそのような断片的記号ではありません。日常の意思疎通や思考に用いられる「記号体系」なのです。

意思疎通や思考に用いられる記号体系のうち、人間がなぜか自然に作り出し、獲得・継承しているものを「自然言語」と言います。日本語、中国語、英語、スワヒリ語などはいずれも自然言語です。

個々の自然言語を使用範囲 (e.g., 地域、年齢層、性別、職業) で細分化したものが方言です[*]。「標準語」や「共通語」と呼ばれるものも、実は日本語の方言なのです。他の方言より格上に感じられるのは、(i) 広範に普及していて、(ii) 公けの場における使用が奨励されているからに過ぎません。

[*] ただし、自然言語と方言との境界は必ずしも明瞭ではありません。たとえば、次掲 (1) の自然言語は、その発音や語彙からして、確実に日本語の一種です。しかし、この録音に参加した各地の日本語母語話者は、余所の日本語を数回聞き直しても、さほど聞き取れないでしょう。それは我々も同じですよね。(1) はいずれも、その字幕・解説を予習していようと、数回の聞き取りでは充分には理解できないと思います。

(1)
a. 青森県青森市の日本語
b. 山梨県奈良田の日本語
c. 東京都八丈島の日本語
d. 鹿児島県鹿児島市の日本語
e. 沖縄県那覇市の日本語

上記 (1) 同士の違いを重く見て、それぞれを次掲 (2) のように呼んでも良いでしょう (琉球語研究においては (2e) のような呼称が一般的)。その場合、(1) は日本語から「脱退」してしまいますが、日本語との系統関係まで解消される訳けではありません。

(2)
a. 津軽語
b. 八丈語
c. 奈良田語
d. 薩摩語
e. 沖縄語首里方言

既存の方言資料

方言 = 自然言語」という視点は、残念ながら (学界においてさえ?) 一般的ではありません。そのため、既存の方言資料は、ある地域に特徴的な発音、語句、言い回しの記録に集中しています[*]。前掲 (1) のような、実際の発話を収めた音声資料も豊富とは言えません[**]。

[*] 既存の方言辞典は、共通語と語形を共有している(ように見える)「て」'手'「やま」'山'「べんきょー」'勉強'「ふぁっしょん」'服飾の流行 (< fashion)' などを必ずしも収録していません (未収録が多数派かも)。

[**] 琉球諸島や九州の方言には、基礎語辞典や音声資料に恵まれたものも有ります。

消滅の危機にある伝統方言

こうした教材不足から、現状、体系的に学べる方言は僅かしか有りません。下の世代に継承されなかった老年層の伝統方言は消滅の危機に瀕しています。

伝統方言の危機を世に知らしめた契機は、国連教育科学文化機関 (UNESCO) が2009年2月に発表した "Atlas of the World’s Languages in Danger" (文化庁の解説はこちら) でしょう。2000年代に琉球諸語の研究が進んだ[*]ことも重なって、「貴重な伝統方言を後世に残そう!」といった提言が近年しばしば発されています。

[*] 筆者がパッと思い浮かぶ代表的研究成果は次掲 (3) です。

(3)
a. デジタル博物館「ことばと文化- 琉球列島」宮古諸島西原地区
b. Shimoji, Michinori. (2008). A grammar of Irabu, a southern Ryukyuan language. Ph.D Thesis, Canberra: The Australian National University.
c. Pellard, Thomas. (2009). Ōgami: Éléments de description d'un parler du Sud des Ryūkyū. Ph.D Thesis, Paris: École des Hautes Etudes en Sciences Sociales. (恥ずかしながら、筆者は翻訳機に頼らないと、読めません。)

方言学習の困難

しかし、こうした訴えに感化されて、伝統方言を習得したという事例はほとんど聞きません[*]。伝統方言の大切さを訴えるだけでは保存活動や(再)活性化運動に繋がらない訳けです[**]。

[*] 次掲 (4) のとおり習得事例も有ります。

(4)
a. セリックさんの習得術
b. 名古屋から与那国に移り住んで20年以上、数年前に突然与那国語で話すようになった村松さん

[**] 「そらそうよ」と毎度思います。伝統方言の学習ないし習得は、多くの人において社会的成功 (e.g., 収入増、学歴向上、憧憬対象化) を保証しないからです。伝統方言の学習から恩恵が受けられる言語学者に限っても、どこかの伝統方言に魅せられて、学習ないし習得しているという人は多くありません (筆者も、薩摩弁を習得しているとはとても言えません)。

伝統方言の保存活動および(再)活性化運動を進めるには次掲 (A) を必要とします。しかし、伝統方言の大半においては、少人数 (≒ 研究者だけ) でも行なえる (A1–2) すら用意されていません[*]。

(A)

  1. 当該方言の包括的記録 (e.g., 辞書編纂、文法記述、談話収録)

  2. (A1) に基づいた教材

  3. 学習の動機付け

  4. 当該方言を使った社会生活 (e.g., 教育、医療、公共手続き) の保障

[*] 琉球諸語に限っては、保存活動のみならず、(再)活性化運動もすでに始まっています。次掲 (5–7) は、そのような活動・成果のごく一部です。

(5) 語彙集、辞典
a. 『沖縄語辞典』(簡易検索版)
b. 『鳩間方言辞典
c. 『南琉球宮古語多良間方言辞典
d. 『南琉球宮古語池間方言辞典
e. 日琉諸語オンライン辞書
f. 鳩間方言音声語彙データベース
g. 危機言語データベース

(6) 概説、記述文法
a. 琉球諸語の復興
b. Shimoji, Michinori. (ed.). (2022). An Introduction to the Japonic Languages: Grammatical Sketches of Japanese Dialects and Ryukyuan Languages, Leiden; Boston: Brill.
(その他かは、下地理則氏が公開している日琉諸語記述文法リストを御覧ください)

(7) (再)活性化運動
a. 言語復興の港
b. まーるーまーるーし琉球諸語
c. 宮古市・国立国語研究所連携・協力協定

伝統方言を包括的に記録することの意義

ある方言の面白さを説いて、「みなさんもどんどん使っていきましょう!」と呼び掛けたところで、その方言を使い始める人はまず増えません。多くの人にとって学習意義が小さい上に、教育体制も整っていないからです。

筆者が標題のウェブ連載において、薩摩弁が持つ魅力の解説を避けているのは、(i) 伝統方言の危機や (ii) 方言学習の困難を考慮しているからです。少なくとも筆者は、前掲 (A1–2) も用意せずに、「みなさんも伝統方言をどんどん使っていきましょう!」と呼び掛ける気にはなりません。

よって、ウェブ連載においては、薩摩弁(のみならず、伝統方言)の語彙、文法、談話を包括的に記録することの意義を説いています(/いきます)。後ろ向きな言動にはあまり注力したくないのですが、特徴的な発音、語句、言い回しだけを書き留めることの問題点もたまには指摘します。

筆者は集団の中で計画的に動くことを苦手にしているので、自分に出来ることは前掲 (A1)、良くて、(A2) くらいまででしょう。伝統方言に特別な価値を見出したり、その保存活動に燃えている訳けではなく、薩摩弁の包括的記録を楽しんでいるに過ぎませんが、やるからには、有意義な資料を残します。

筆者謹製方言資料

薩摩弁を含む伝統方言の資料作成はぼちぼち進めていまして、このDropboxフォルダーから公開しています。テゲテゲ (< 大概大概) なところも現状目立ちますが、研究、教育、学習に利活用ください。個人的にオススメしたい資料は、

\Dropbox\sharing\CROJADS\ELAN\lexicons

に有る [kushikino_yymmdd.xml] です (基本的に最新版を御覧ください)。漢語、外来語、略語、定型句なども多数拾いつつ、見出し語彙素の意味、形態変化、声調、形態統語素性、例文などを記しています。目標は、次掲 (B) のような日常的発話を叶える辞典です。

(B)

  1. 今なら、羽生さんと藤井八冠がサインしてくれるんだって。

  2. アマプラが付いてくるから、電気は大阪ガスに替えるか。

  3. イタリアの電話番号って39さんきゅーじゃなかったっけ?

(をはり)

しご]た ちん]ちん そつぁ たん]たん。もろ]た ぜんな] そつい] かえ]て [に]かと かっ とっの] がそりん]に しもん]で '仕事はテキトー、酒はグビ〴〵。貰った錢は酒に替へて、新しいのを書く時のガソリンにします' 薩摩辯 [/]: 音高の上がり/下がり