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「本当の私を生きる」31日間プログラム Day10:「他人との関係性」

「本当の私を生きる」31日間プログラム10日目。

ここ数日、夏休みで家族が家にいる。
今年は帰省も外出も控えているため、基本的に家の中で過ごすことが多い。
するとお互いに些細なことでイライラし、イライラをぶつけられ… の繰り返し。
そう、5月もひどかった。学校休み、テレワークで毎日イライラが家の中に充満していた。
生活スタイルや、各々の心地よさが異なるため、ひどい時には一挙手一投足が気に入らないのだ(笑)。

この31日間プログラムは、ゆっくり時間と自分だけの時間を取って進めたいけれど、こういう中で向き合うとどんなことが出てくるのか、これも実験と思って今日はやってみようと思う。


Day10:「他人との関係性」

① あなたは他人の目をどれくらい気にしますか?
② どうしてそんなに他人の目が気になるのでしょうか?(気にならない場合はこのしつもんはスルーでOKです)
③ 本当は他人とどんな関係性を築いていきたいですか?


① あなたは他人の目をどれくらい気にしますか?

かなり気にする方だと思う。

他人の目、というよりも「この場にふさわしい振る舞いか」「この場にふさわしい服装か」「この場にふさわしい言動か」ということをかなり考える気がする。

これで間違っていないか(何に対して間違っていないか?と思っているのかは、よくわからない)を、いつも考えて生きてきた気がする。


② どうしてそんなに他人の目が気になるのでしょうか?(気にならない場合はこのしつもんはスルーでOKです)

スルーはできないね(笑)。

さっきも書いたけれど、どの行動、言動が正解か?もっというと間違っていないか?をいつも考えて生きてきた気がする。

間違っていないか?を判断するために、他人の目というのを参考にしているのだと思う。

幼い頃、両親や周りの大人の行動を観察して
「そういうときは、そう振舞えばいいのね」
「この場合は、そういう態度だといいのね」
というのを、一つ一つ心に焼き付けてきた。

以前、母と旅行したときのこと。
バスの中で、さっきの休憩所で買ったという草餅を近くの席の方が「おひとつどうぞ」とわたしたちにすすめてきてくださった。
わたしは咄嗟に「え?こういうときってどう振舞うのが正解なの?」と思ってことをよく覚えている。
ありがたいけれど、今はいらない。
わぁ、美味しそう!嬉しい。
え?よく知らない人からの食べ物はなんかちょっと…
その中のどれかを思ったのか覚えてはいない。草餅自体がどうこう、というよりは、その時自分が母はこういう時にどう対応するのだろう?と、行動を参考にしたということをよく覚えている。
(結果的に、その草餅は美味しくいただいた)

わたしは「こうしたい」「ああしたい」というのが、あまりなかったから、いろんなケースでいつも周りの大人の反応を見て、それを自分に取り込んでいた。

もしかしたら、わたしの「こうしたい」「ああしたい」は何かの時に否定されたのかもしれない。
それがショックで希望を言わないようになったのかもしれない、と今ふと思った。

今でも自分が考えて行動したことを、夫によく否定されると感じる。なぜそうしたか?を伝えても、否定されるたびに、「もういいや」と全てを投げだしたくなることがある。

言っても無駄だから言わない、考えない、と蓋をしているのだろうか。本当は「こうしたい」「ああしたい」があるのに、否定されるのが嫌で本当の気持ちを感じないようにしているのだろうか。

あぁ、ここにはわたしが取り組むべき問題が潜んでいるのかもしれない、と気づく。


③ 本当は他人とどんな関係性を築いていきたいですか?

たった今ここまで書か進めていた時に、またしてもイラっとすることがあった(笑)。イラっを感じながら先に進むことにする。

どんな関係を築いていきたいんだろう?
こうやって、ぐるぐるの真っ最中にいるときはそういうのを考えるのは難しいな。

そんなわけで、真っすぐな答えにはならないかもしれないけれど、心地よいと感じる関係性はこんな感じだ。

お互いに本当に感じていること、思っていることを気楽に言い合えて、否定からでなく「そう思うんだ」から始めようね、という姿勢でいられる関係性。

幸いなことに、わたしはこの関係性を経験している。
一緒に活動している仲間とは、これを築くことができていると実感している。
であれば、そこに至る過程も経験してきたから、やり方はわかっているはずだ。
それはわたしにとっても希望だ。


* * *
Yumiちゃんは同じテーマについて、こんな風に答えていた。

② どうしてそんなに他人の目が気になるのでしょうか?
やっぱり嫌われたくないから。仲間はずれにされて孤独になるのが怖いから。
  嫌われること=傷つくことだと感じているから。

そうだ、わたしも嫌われたくないと思って、他人の目を気にしている部分がある。
しかしどちらかというと、「ここに相応しいか?」ということの方が大きいかもしれない。
嫌われるということは、あなたはここにいる人ではないですよ、と言われている気がするのだ。
「ここにいていい人間か?」というのを自分にも周囲にも納得させたくて、他人の目を使って見てみるということをしているのかもしれない。

「ここにいるのに相応しい」と納得できれば、例え誰かが何かをわたしに言ってきても「あなたはそう思うんですね、でもわたしはこれでいいと思っているんです」とか言いそう(笑)。

* * *

イライラしている中で書いた、初めてのnote(笑)。
あとで読み返してみてどう思うのだろう。

すみません… なるべく負のエネルギーを他の方に振り撒かないようには意識しましたが、嫌な気分になったらごめんなさい。

他人の目を気にする、ということは、周りの人に嫌な思いをさせないようにといった他人に気を配るということに繋がる部分もあるんじゃないか?と個人的には思っている。
だから一方ではプラスの面もあるのではないか、とも思う。
そこをうまく使って、でもどこかで自分の本当の気持ちを押し殺しているならばそこは何かしら表現できるように昇華できるようにしていきたい。
そう思う。

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