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「当たり前」だという概念を捨てる。書く習慣1か月チャレンジ!Day19!

さて、書く習慣1か月チャレンジも19日目となりました。
1か月がすこーしずつ見えてきたな。

先日、子ども達と紫陽花が咲く有名なスポットに行ってきました♡
見ごろは過ぎていましたが、さまざまな紫陽花が咲いていて、癒しになりましたね。

今回は子ども達もついてきてくれて、楽しいお出かけでした。
やっぱり3人は楽しいな。

さて、今日のテーマを書いていきたいと思います。
見ていただけると嬉しいです!

書く習慣1か月チャレンジ!Day19スタート!

自分があまり賛成できない常識

なかなか難しいテーマがきましたね。
世の中には「普通」とか「常識」とか言われることがたくさんあります。

もしかしたら、自分では「普通」や「常識」と思っていても、他の人からするとそうじゃないのかもしれないこともあるのだと思います。

逆に他の人からすると「普通」や「常識」なことが、私にはなにそれ?というようなことかもしれない。

普通に毎日を過ごしていると、考えることがないテーマですね。
もしくは日常に溢れているけれど、気付いていないのかもしれない。

思い返してみて思った「自分があまり賛成できない常識」
あまり賛成できない、というより、まだ根強い感じで残っているなと思ったことはありました。

それは「学校に行く」ということが当たり前だという概念です。

「学校に行く」=当たり前のことだった感覚

昔に比べると、比較的学校も自由に選べたり、校区外の学校に行くことも出来るようになりましたが、実際まだ多くの子ども達が選択しているわけではないのが現実のようです。

子どもは学校に行って、部活をして、友達と遊ぶ。
そんな毎日が当たり前だと思っていました。

口にすることはなくても、小学校を卒業したら校区の中学校に行く。

これが「普通」や「常識」と思っていたから、中学校に進学するときも何も疑問などありませんでした。

校区の中学校に行く。
ただそれだけでした。

今、中学3年の息子は不登校気味です。
少し前までは週1,2は行けていたのですが、最近はほぼ行かないようになったので、完全な不登校という形になります。

息子は誰とでも仲良くなれるコミュニケーション能力の高い子だったので、まさか不登校になるとは思わず、正直最初はかなり戸惑いました。

なぜ、学校に行けなくなったのか

中学2年のころから不登校気味だった息子。
やっと最近ハッキリしたことなのですが、なぜ学校に行けなくなったのか。

その理由は「学校の雰囲気」でした。

この理由が分かったキッカケは、学年が変わるときに行われたクラス替えでした。

子ども達が通う中学校は、毎年クラス替えがあります。
中学2年から3年に上がるときに、クラスの雰囲気がかわったら行けるようになるかも?
そんな期待を抱いていました。

ですが、行けたのは1か月程度。
それも週1か2のペース。

今は行けなくなってしまったことから、クラスが理由ではなく、学校全体の雰囲気ということが分かりました。

確かに、小学校と中学校と、何か雰囲気は違うのです。

どうしても成長していくし、勉強が主体になるのだろうから、小学校と雰囲気は違うだろうとは思います。

ですが、息子たちが通っている中学校の雰囲気が、うまく言えないですが窮屈な感じがすることは、私も入学式からなんとなく感じていました。

入学式後も、授業参観、体育祭、部活の話し合いなど学校に行くたびに、雰囲気が私にもキツくて、私なんて1日もいるわけじゃないのに疲弊して帰ってきていました。

「学校の雰囲気が苦手、キツイ」

そう言われたときに、自分が何となく感じた雰囲気の窮屈さを思いだし、なぜもっと早く気付かなかったのか、自分を少し責めました。

中学校に行くということが普通すぎていて、雰囲気がキツイなと思っても、そのときだけかなと流してしまっていた。

毎日学校に通ううちに、なんとなく窮屈な中学校の雰囲気に疲れ果ててしまったのだろうな。

やっとハッキリとした原因が分かって、ホッとした半面、中学校に在籍している限りどうしようもない現実に、今考えを巡らせているところです。

昔よりはないけれど、今もやっぱり残っている雰囲気

正直なところ、昔に比べると不登校児は多いです。
中2の担任の先生に、1クラスに2人から3人はいて、学年でも10人程度はいますと聞いたときは驚きました。

どうしても「不登校」=「ダメなやつ」という認識があったりしませんか?
今は不登校の子も多いので、以前よりそう思われることは少ないのかもしれません。

ですが、やはり「不登校」と言えない。
言いにくい状況はまだまだあります。

私は息子が不登校であることを隠さず言うようにしています。
「不登校」が悪いことをしているわけではないので、私は隠しません。

特に息子の場合、嘔吐や吐き気として症状に現れるので、何度も吐き戻しをして栄養が取りにくい状況になっています。

ママ友と偶然会って話すときも、やはり息子が学校に来ていないことは分かるので、息子の話になることもあります。

そのときに言われる言葉にも「普通」や「常識」として刷り込まれている概念ってあるんだな。
そう思う言葉もありました。

その言葉はこれです。

「早く学校に行けるようになるといいね」

この言葉ってよく聞くようなセリフだと思います。
ということは、この言葉を「普通」とか「当たり前」と思っている人が多いだと思うのです。

学校に行くことが「普通」や「当たり前のこと」として、常識になっているということ。
我が子が不登校になったことで初めて、学校に通うことが「普通」だとか「当たり前」だという認識だったことに気付きました。

当事者になって知ること

「早く学校に行けるようになるといいね」

言ってくれた相手はもちろん悪気なんてないし、こちらのことを少しでも思って言ってくれているのだということは分かります。

でも、学校に行けなくなった経緯。
それからの息子との話し合い。
精神的な面が体調に現れる息子の身体のケア。
もちろん心のケアも必要です。

早く学校に行けるようになるというよりは、学校に行けなくてもいいから、自分の世界を違う方向から広げてくれたらいい。

今ではそう思っています。

今は幸いネットワークが発展していて、自粛期間中はオンライン授業がされるほどのネットワーク社会。

学校にこだわらなくても、世界はたくさんあるし、自宅からその世界に繋がることもできる。

不登校2年生。
今では「学校に行けるようになること」が目標ではなく、「体調が落ち着いて、違う世界を見て、自分の世界をもっと広げる」というところに重点を置いています。

しかし、特に自分が住む地域は田舎なので、そういう認識を持っていると「変な人」と思われがちです。

ですが、それでもいいと思っています。

息子の体調が落ち着いて、息子が好きな世界を見つけることができて、その世界で生き生きと生きていければ、その世界が「中学校」である必要はありません。

不登校2年目になってようやく少しずつ、違う世界を見ようと動き出せた私たちがいます。

自分の「普通」や「当たり前」は、人によっては違うかもしれないと認識する

自分が思っている「普通」や「当たり前」と言われるもの。

でも、それが世の中の人全員にとってそうかといったら、そうではない。
その認識を忘れちゃいけないなと思っています。

何か言葉を発するとき。
「普通」「当たり前」「常識」
なるべく使わないように、使うとしたらそれはその使い方であっているのか。

ワンクッション、置いて考える癖をつけていこうと思っているところです。

自分の価値観の押し付け。
気を付けないと、知らないうちに人を傷つけることにもなる。

Day19終わり!

今日は長くなりすぎてしまいました。
あまり長いと読む気がしないですよね(^^;)

次回からもう少し短めにまとめられるように頑張ろう。
今日も読んでくださった方いたら、ありがとうございます!
泣いて喜びます。

今日も1日お疲れさまでした!
今日も私頑張った!自分を褒めたたえて寝ましょう♡






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