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寄り添う

 寄り添う。私の仕事において、とても重要なこと。

 相手の心を満たす「寄り添い」をするためには、共感力が必要である。共感力を高めるには、相手と同じ、または似た体験を持つか、そうでなければ想像力が必要である。 



 周産期業界に足を踏み入れ、かれこれ20年になる。

 助産師。
 産む人・生まれる人を助ける仕事。女性の様々なライフステージにおいて、その人が自身の持てる力を最大限に発揮できるように支援する仕事。

 現在は地域の中で、妊産婦や母親たちにかかわる仕事をしている。


 20年の間に、2人の子どもを産み、育てて来た。自身の経験から、対象である妊産婦や母親たちに「寄り添う」ことができていたと自負している。
 しかしながら、気づけば子どもたちも高校生。彼らが乳幼児だったのは15年くらい前のこと。記憶も薄れつつある。そんな古い記憶の引き出しを頼りにする共感力をベースに、最近の私に、相手が求める「寄り添い」ができていただろうか。

 このことに気づいたのは昨年に私が「似た体験」を持ったからである。

 昨秋、15年ぶりの出産をした。職業柄、経験上、不安なく、妊娠・出産を終え、育児をしていけると思っていた。

 しかし、15年という歳月は、妊娠・出産・育児を取り巻く多くのことを変化させていたし、それらについての自分の記憶も、予想外に薄れていた。


 妊娠・出産・育児にかかわる自治体のサービス内容に始まり、これらに関する情報量やグッズの種類の多さ、医療技術の進歩によってもたらされた選択肢の多さに戸惑った。不安に晒される場面も多かった。

 私でさえも、そう感じたのだから、一般の妊産婦さんや母親たちの戸惑いや不安はさらに大きいものであることが予想された。


 これまでも、その人の立場に立つこと、つまり自身の経験を振り返りながら、その人の置かれた状況やその人の気持ちを想像し、共感することに力を注いできたつもりでいた。

 「寄り添う」ことである。これによって、相手が安心感を得て話してくれたり、自治体のサービスを受け入れ、活用してくれたりする。そうすることで、地域の中で継続的に、母子を見守ることができる。


 自分が今まさに、対象となる妊産婦や母親たちと同じ状況になってかかわるようになってから、相手の反応が大きく変化していることを感じている。


 それは、自分の発言が実体験に基づいているために、相手にとってクオリティの高い「寄り添い」になっているからではないか、と思う。さらに、今後の見通しを踏まえたアドバイスにも、高い具体性があるからだと思う。


「わかってもらえて、救われました!!」

「本当に!まさにそれです。今の自分の気持ちを言葉にしてもらって、スッキリしました」

「これからがどうなって行くのか、不安だったから話せてよかったです」
 などという言葉をいただくことが、これまでよりも格段に増えたことを感じている。

 
 「寄り添う」ことに、必要な引き出しの数がこれまでよりも増え、1人の対象を前にした時に提供できる情報の幅や量が格段に大きくなったことを感じ、仕事がこれまで以上に楽しく、やり甲斐を感じている。



 「寄り添う」こと。ひとことで言ってしまえば簡単なこと。しかし、これが自己満足でなく、相手に満足感を与えるものになっているのか、自分の「寄り添う」力を支えている共感力や想像力がアップデートされているのかを、時に立ち止まって、見つめる必要がある、ということ。


 これが今回の私の経験からの「気づき」である。このことを教訓に、この先の助産師人生も、妊産婦や母親たちに近い目線で共に考え共に歩むことを続けていきたい。

#仕事での気づき

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