アーバカナと中世奄美の海上貿易②

毎年のことながら、突然の冬模様…秋が体感2週間くらいで過ぎ去ってる気がします。

さて続き。
昨日は「当時の一般人のシマッチュの女性に、そんな簡単に材木送る手配とか可能だったのか?」という疑問でしたが、今回は「香料」
vol.6の取材で三谷さんが喜界島へ向かった時、
画家である原田さんへのインタビュー内で
「ウラトミが小野津へ漂着した際、とても良い香りがした」
という伝承があったこと。

この部分、奄美の伝説・伝承・島唄系統の既存の資料では見かけなかった点だったので「おや?」と思ったのです。

仮説①ウラトミ本人の先天的なフェロモンでも出てた
→それならウラトミをめぐって喜界島で争奪戦が発生したと思われるので却下
仮説②ウラトミを舟に乗せて流す際に何らかの「香料」を持たせた
→あるとしたら、何日も香り消えてないのって香木とか、かなり香りが強いものでは。

当時の奄美では香料を栽培してたという資料はないし、それらしき利用されてる植物って今でもあんまり聞かないような(月桃はあるけど、そこまで何日も吹きっさらしの海上で香りが保つのか?)。
あるとすれば明や東南アジア方面からの貿易ルート?
えーでも当時の香料関係って、一応「我が国は鎖国」って建前ながら、長崎や琉球で朱印船貿易を行なってかなり厳しく輸入ルートの制限してたんじゃないのか?
気になって色々検索してたら、こういう画像が出てきました。

八代目沈香屋久次郎「香を語る」~1章 堺線香について~

堺の商人たちは、1400年代以降、上記のルートでの貿易路を開拓しました。
じゃあウラトミが何か香料持ってたとすれば、東南アジア産の香木か?とも思うのですが、もう一つ可能性があります。

それは龍涎香。
マッコウクジラの排泄物から取れる何をどうしたらそんなもんがいい香りになるのか動物性香料です。

果たして、奄美でもそんなん採取出来るものなのか…?と思ってたら、こんな記事がありました。

そして昨日も取り上げた『大島規模帳』にもこのような記載が。

鯨糞など漂着物の取扱
一 於嶋中、鯨糞共見付候者えハ、売立代銀之内、長崎ニて口?相払、三ケ一可被下候間、早々役所可差出 候、若隠置、於致売買ハ、双方共ニ稠敷其科可申付候、 縦雖為同類、訴人之者ハ、其科をゆるシ、右大銀三ケ一、可被下之条、此旨慥ニ可申渡事(第一一六条)

享保十三年「大島規模帳」に関する考察
箕輪 優

「鯨糞(実際はマッコウクジラの結石か胆石)が浜辺に漂着していた場合は役所に届出しろ、そしたら売上のうち三分の一は渡す、でももし隠れて売買したりしたらどっちも罰する。それを密告した場合は褒美として三分の一渡す」

那覇世時代にはどういうルールになってたかはまだ確認していないのですが、江戸時代の時点で既に奄美で龍涎香の原料は発見されていたことが分かります。

植物性の何かではなく、こっちなのかなぁ…。いやそれでもそんな物簡単に手に入らないし、うーん…。
ほんと短い伝承の割に、当時の周辺地域の歴史や文化とすり合わせていくと、これまでの印象とは少し違う奄美の近世像が浮かんできます。

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