南 琴乃/Kotono Minami

奄美大島在住。地元のフリーペーパー「ワンダーアマミ」で郷土史系記事掲載。

南 琴乃/Kotono Minami

奄美大島在住。地元のフリーペーパー「ワンダーアマミ」で郷土史系記事掲載。

マガジン

  • 重野安繹と弟子・岩崎弥之助

    幕末から明治期にかけて外交でも学問でも凄い働きをしている割に知名度はそうでもない重野安繹と、師匠に巻き込まれる形で東アジアの重要文化財を収集して現在に至る「静嘉堂文庫」をつくった三菱財閥二代目・岩崎弥之助について。

最近の記事

復帰70チャレンジ その10「もはや忘れ去られている復帰協議会以前の復帰運動」

12月25日の復帰記念日まであと24日。 先月以降、色々と復帰運動関連の講演なども増えてきましたが、色々参加して、すこーし、いやだいぶ残念に思うこと。 それは 「まるで奄美群島の日本復帰運動が、復帰協議会が結成された昭和26年2月からやっと始まったみたいな啓発してないか…?」 というポイント。 小学生までなら「島内みんなで頑張りましたー」でいいかもしれないけど、これを機にもっと終戦から日本復帰までの流れを知りたいと思うようになった人は多分そこで「あれ?」となる。 「昭和

    • 復帰70チャレンジ その9「奄美の日本復帰 関連アニメ発見」

      12月25日の復帰記念日まであと45日。 相変わらず投稿が滞りがちですが、まあ気にしない。 明日11日は、長浜の川商ホールで広域事務組合主催の復帰70周年記念式典がありますが、皆様ご参加されるのでしょうか。 参加される方もされない方も、Amazonプライム会員なら、ぜひ観てほしいものを見つけたので久々に紹介。 奄美群島が日本へ復帰する際に、今も横浜で見学可能な不沈艦「宗谷」が、軍票であるB円から両替するための日本円を輸送してた事を知ってる方も居るかと思いますが。 なん

      • またしても中断しております復帰チャレンジですが 選挙終了後に再スタートします(愚痴になりそうなので)

        • 復帰70チャレンジ その8「行政分離期の初選挙」

          12月25日の復帰記念日まであと63日。 投稿がギリギリなってしまったので今回は手短に。 奄美市議会は今月29日が投票日なので、週末までは日中何度も選挙カーの音声が聞こえてくる時期です。各候補者の健闘を祈ると共に、今よりももっと、復帰前後を含めた郷土史を今後のシマッチュの未来のために口先だけじゃなく活用する、積極性のある議員が増えてほしいと心から願っております。 さて、我々は選挙というと「誰を選ぶべきかちょっと面倒だな〜」「付き合いあるし、今回もこの人でいいや」と結構惰性

        復帰70チャレンジ その10「もはや忘れ去られている復帰協議会以前の復帰運動」

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        • 重野安繹と弟子・岩崎弥之助
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          復帰70チャレンジ その7「行政分離期の文化活動〜あかつち会〜」

          12月25日の復帰記念日まであと64日。 昨日は、投稿したとおり裏千家大宗匠・千玄室さんの講演を聴講してきました。(あと久々にお抹茶も頂きました) その中で旧海軍特攻隊の思い出も語ってらっしゃいまして。 「奄美から南に飛んで行ったら、もうグラマン(注:第二次大戦時、米軍の主力戦闘機)とかどんどん飛び交ってて」 と、まるで「なんかあの辺行ったらトンボがいっぱい飛んでて」みたいな明るい口調で仰ってましたが、控えめに言ってそれ死んでもおかしくないです、って心の中で突っ込んでました

          復帰70チャレンジ その7「行政分離期の文化活動〜あかつち会〜」

          復帰70チャレンジ その6「空襲、敗戦、台風、年が明けたら行政分離に天然痘にチフス流行(昭和20年春~昭和21年春)」

          12月25日の復帰記念日まであと65日。 私事ですが今日は友人からお誘いを受けて裏千家の大宗匠、千玄室さんの講演を聴きに行ってきます。なんと御年100歳の元海軍特攻隊員。 現在も毎朝行う「海軍体操」が健康の秘訣だとか。 戦時中鹿屋の旧串良海軍航空基地に所属されていた事から、鹿児島や奄美にもコロナ以前から何度もご来島されています。 千玄室さんが死を覚悟して、鹿屋で特攻命令を待機していた頃、昭和20年春からの奄美はというと…とにかく「災厄」の連続でした。 時系列で追うと 昭和

          復帰70チャレンジ その6「空襲、敗戦、台風、年が明けたら行政分離に天然痘にチフス流行(昭和20年春~昭和21年春)」

          復帰70チャレンジ その5「少年マガジン創刊号表紙を飾ったシマッチュ」

          前回からかなり間が空いてしまいましたが、本日より再開します。 12月25日の復帰記念日まであと66日に合わせました。 (復帰関連はゾロ目の日付が多いので何となく) 国体も終了し、相撲競技を実際に観に行かれた方もいらっしゃると思うので再開1発目は「米川文敏」さん。 「誰?」と思う人の方が多いでしょうね。 徳之島出身の米川さんは、なんと1959年の、週刊少年マガジン創刊号表紙を飾っております。 それがこちら。 四股名は「3代目朝潮太郎」 1959年発行なのでこの時はすでに「鹿

          復帰70チャレンジ その5「少年マガジン創刊号表紙を飾ったシマッチュ」

          復帰チャレンジ、早々ギブアップしてんのかー!と思われそうですが、ワンダーの原稿に集中しております。もう数日掛かりそうですがしばしお待ち下さい。

          復帰チャレンジ、早々ギブアップしてんのかー!と思われそうですが、ワンダーの原稿に集中しております。もう数日掛かりそうですがしばしお待ち下さい。

          復帰70チャレンジ その4「北部琉球とは何ぞや?」

          さて、前回は何とも言い難い米国側のうっかりにより奄美群島は沖縄(琉球)文化圏に違いない、と断定されてしまった所までを述べましたが 我々側でも、この勘違いについて「米国は誤った認識を持っている」と気がついた人が居ました。 過去に何度か投稿している情報なので、ご存じの方もいることでしょう。 旧日本帝国陸軍少将、高田利貞氏です。 私が最初に取り上げたのは2016年ごろと思われますが、そのあとちょくちょく調べられた方も居るようです。 noteにも終戦前の奄美がどのような戦況であった

          復帰70チャレンジ その4「北部琉球とは何ぞや?」

          復帰70チャレンジ その3「歴史は繰り返す 〜行政分離正当化の根拠〜」

          前回は「行政分離」がいつから始まったのかを書きました。 では「何故、奄美群島が沖縄県と共に分離されたのか?」をお子さんに訊ねられたら、大人はどう答えますか? 答:「米国側の勘違い」 ウソでしょ?と思いますよね。 私も最初知った時、「そんなくだらない事で、我々の曾祖父母・祖父母・父や母の世代は終戦後に復興出来ぬまま8年も窮状に追いやられたのか?」と驚きました。 個人の体験談語りが多い復帰関連本の中で、客観的資料として20年何度も読む本が2冊あります。 そのうちの1冊、

          復帰70チャレンジ その3「歴史は繰り返す 〜行政分離正当化の根拠〜」

          復帰70チャレンジ その2「忘れられがちな始まりの日」

          クリスマスと一緒なので大体の人が覚えてる奄美群島の日本復帰記念日。 当時のアメリカ合衆国国務長官だったダレスは返還を発表した日に「クリスマスプレゼント」と言いましたが (*´-`)…(半ば強制的に没収したものを返すだけなのに、クリスマスプレゼントとかよう言うたなぁ…) という私の個人的感想はさておき その「復帰前の始まりの日」っていつなのか、ちゃんと覚えてますか? 問い:「日本復帰」したのはいつ? →昭和28年(1953)12月25日です。 問い:どこから復帰したのか

          復帰70チャレンジ その2「忘れられがちな始まりの日」

          復帰70チャレンジ その1「知ってるつもり」

          今年は奄美群島の日本復帰70周年。 そんなの知ってるって? ですよねー。 鹿児島県知事や奄美市長が挨拶するごとに必ず口にしてますから。 では 「復帰以前、終戦直後の奄美はどういう状態だったのか」 「行政分離はいつから始まったのか」 「何故、行政分離が起きたのか」 「具体的にどのような職務権能の分離があったのか」 「島民生活にはどのような影響があったのか」 「本州では日本国憲法が施行されたが奄美ではどうだったのか」 「行政分離と信託統治では何が違うのか」 「国旗国歌の扱いはど

          復帰70チャレンジ その1「知ってるつもり」

          1919年、ヴェルサイユ条約後の賠償金を92年かかって完済したドイツとロシア(ソビエト連邦)と現在

          またかなーり間の空いた投稿になってしまいました…。 ウクライナ情勢について、思う事はものっすごくあるのです。 ただ、本当に世論が感情論で分かれていたり、またそれを更に煽動するメディアの姿勢であったり、どんどん複雑化していくので、思考整理しきれていない感があります。 侵攻中の時事に関しては日本のような安全圏では事実を知ることも難しく、また「現場から」という報道であっても基本的にどちらかのフィルターがかかっているものなので公平な報道があるとは考えていません。 (CNNなんて直前

          1919年、ヴェルサイユ条約後の賠償金を92年かかって完済したドイツとロシア(ソビエト連邦)と現在

          noteに書こうかなーと思ったけど、ほぼTwitterで書いちゃったので「明日から始まる朝ドラ」の前に少し読んでみてほしい。 おそらくNHKでは語られない「復帰前の沖縄とそこにいた奄美出身者」 https://twitter.com/kotono0527/status/1513121996863053826?s=21&t=MGDgJ3Rnw7ACk25_n8zvUA

          noteに書こうかなーと思ったけど、ほぼTwitterで書いちゃったので「明日から始まる朝ドラ」の前に少し読んでみてほしい。 おそらくNHKでは語られない「復帰前の沖縄とそこにいた奄美出身者」 https://twitter.com/kotono0527/status/1513121996863053826?s=21&t=MGDgJ3Rnw7ACk25_n8zvUA

          Q「信義と経済、どっちが大事か」→A「両方です」

          また久々の更新となってしまいました…(嫌々確定申告作業してます) ロシアのウクライナ侵攻開始で、毎日の報道を惨憺たる思いでチェックしている方も多いと思いますが、共感性の高い人はメンタルに相当堪えると思うので意識して避けても良いと思ってます。 実際のところは経済戦争なので、ガチの米露協議(あとコロコロ立場変えまくるドイツのせい)が進まない事にはどうにもならない。 私は「ウクライナとロシアのどっちの国でも、またエネルギー輸入のリスクヘッジ無頓着だった政治のせいで寒さと貧しさを

          Q「信義と経済、どっちが大事か」→A「両方です」

          特別法は一朝一夕にして成らず

          少し北の十島村も、奄美と同じように戦後の米軍の占領政策により分断され、奄美より少し先に復帰したので今年の2月10日で復帰70周年。おめでとうございます。 NHKの配信記事で当時の口之島での、ヤミ市規模が大変大きかった事などを改めて知ることが出来ました。 が、少し気になったのがこちらの朝日新聞の記事。 また、本土と分離して米軍統治下に置かれた沖縄県や奄美群島、小笠原諸島のような復帰後の振興をはかる特別措置法が、村には設けられなかったことを「大きな格差」と指摘。2022年度末

          特別法は一朝一夕にして成らず