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「あきらめ」から始まる物語(ストーリー)

♪「大丈夫」と、あなたに言いたい~

――いや、なんか思いついちゃったんで、荻野目さんの曲からタイトルをいただきました。
(「さよならから始まる物語」――それにしても、何でこの記事内容でこの曲のタイトルを思いついたのだろう??笑)


「人生、あきらめが肝心」とは、よく言ったものである。

押しても引いても、横に引こうと縦に引こうと、叩いても蹴っても体当たりしても、開かない扉は、開かないものだ。

とはいえ、「始めからあきらめるのが肝心」なんて、誰も言ってはいないわけである。

探すだけ探してみる価値は、あるのかもしれない。

扉は一つとは限らず、――よく見るとその上とか、地面とか、角を曲がった左とかに、「開けられる扉」はあるかもしれないからだ。



(で、もちろん、「結局それでもなかった」の可能性もまたある。)

(――それも踏まえた上での、今回は話である。)



この頃、頓に思うのだが。

「成功」だけが、人生を輝かせているとは、そもそも限らないわけだ。

いや、むしろ、「やりがい」とか「生きがい」って、「成功状態を維持する」状態のほうよりかは、「この先の成功を願って試行錯誤、右往左往し、駆けずり回る」状態の時のほうに多く、実は発生しているのではないか、と、私は感じるのだ。

――かく言う私は、というと。
これまで、「大成功!」なんて言えることって、実際そんなに経験していない。
(なんだよ!)
(ここまでは「知ったふうなこと」を言ってみたまでです。笑)

でも。
「挑戦するだけしてみた」ことに、案外後悔はないし、むしろ「試してもみなかった」ならば、私は今、多分そのことのほうを後悔していたのではないかと思う。

その当時は必死で、苦しくても。
「でも、やれるだけのことは、あの時、やっていたよね?(ま、ほとんどムダになったけどな。)」
みたいなことが、自分の中では、何ていうか、今だに、自分を温めているし、どこか力の源泉に繋がっているというか、「基礎体力」みたいなものもまた築けた気がしている。

「やりたいなら、やれるだけ、やってみる。」

ここが、一番肝要なことなのかもしれない。
――「結果はどうあれ」である。


但し。

冒頭に戻るが、「開かない扉は、どうしたって開かない」(けど、それは開けようと試してしてみないとわからない)わけである。

――つまり「それも踏まえてはおきたいよね」というのが、本日のメインテーマである。


たとえば、頭髪。(?!)

バランスの良い食生活、サプリメントで亜鉛を摂取、なるべくストレスを溜めないように心を自らコントロールし、できる限りよく眠るようにする。
――やれるだけのことは、やっているつもりだ。

しかし、それでも。

抜ける、細くなる、薄くなる。――つまりは、ハゲてくる。
(なんてことだ!!笑)

でももう、これって、歳をとれば仕方ないことぢゃないですか。

「あるもので何とかする」。
――「ありあわせの材料で美味しい朝ごはんをつくる」かのように、そうするしかないわけである。(笑)

でも、私自身、上記のように「割り切った」ので、なんというか、この薄くなってきた頭は頭で、何だかいいような気すらしてきた。
(そもそも私自身は、本当に、薄毛がカッコ悪いとは思っていない。薄毛でも魅力的に、「私自身が見て」感じられる「他人様」は、実際いくらでもいる。)

――「その分、身だしなみとか清潔感とか、気をつけるようにしよっと!」ってな感じで、かえって、そこらへんの意識の緊張感が高まって、良かった気すらしてきたし。

(って、例えがスミマセン、アレ?てな感じで説得力に欠けるんですけど。笑)

「やるだけやってみよう!」というアクセルと、「でも、どうにもならないことはあるからね」というブレーキとで、「安全運転」していけばいいのかもしれない。
(ま、「アクセル全開で、何も顧みず暴走する愉しみ」もあるものだとは思う。……けど、私個人は、それで「事故」を起こしても、そこから復活できるだけの体力が、多分、既にもう残ってはいないのだ。笑)



……うーん、やはり、例えが悪かったか?

ならば、仕切り直そう。

例えば。

今から私が、夢を叶えて、「アイドルとしてレコードデビュー」したとする。
(……「夢」?)(「アイドルとして」?!「レコード」?!?!笑)

そうすると、次は「人気が出ますように」。
叶うとその次は「もっと人気が出ますように」。
で、それが叶うと更にその次は、「この人気がいつまでも続きますように」。

とかって、多分なっていくと思うのだが。

でも。
「永遠のトップアイドル」なんて、実際、存在し得ないじゃないですか。
(「アイドル」の定義は様々だから、「いや、私にとって、あの人は永遠のアイドルだから」というようなことは、「個々に」あっても別におかしくはないけど。)
(しかし、「一般的、大衆的通念として存在し得るアイドル」に、「永遠」というのは、無理だと私は仮定して話をしていく。)

いや、何でこんな「無謀な喩え」を(笑)、あえて使ってしまったかと言えば。

80年代アイドルウォッチャーとして、「今でも現役感」で活躍されていて、且つ、アイドル当時のような「何者かによって曇らされることなく強力に発光し続ける」その「輝き」を失わない方々、――薬師丸さん然り、キョンキョン然り、知世さん然り、桃子さん然り、由貴さん然り、森高さん然り。
(まだまだいらっしゃいますが。)

なんというか、共通している空気感があると思うのだ。

「しなやか」というか、「軽やか」といおうか。
早い話が「ガツガツしていない」というか。

「意志がない」わけではない、けれど、ある地点からは何か、「自然と流れに身を任せている」感があるというか。
あるラインから先については、「我(が)」を、手離しているというか。

――いや、皆さんそれぞれ、(こういっちゃ何だか、)「これまで何事もなかった」わけではないのではないか、とは思う。
しかし、まるで「何事もなかったかのように」、「今という時を」スターオーラそのままに、これまでの「負」の曇りなんぞ引き摺ることなく払拭してあまりあるほど、輝き続けているわけだ。
――ホント、ずっと応援し続けている人のその光はとりわけ、私には、眩しいものに感じられる。何だかそれだけで「希望」がある感じ。

アイドルに「永遠」はない、と、先ほど述べてはみたが。
しかし、80年代当時に彼ら自身が打ち立て、人々の心の中に残した、「その永遠」を、曇らせない輝きが、今のご活躍からもうかがえるという。

ま、早い話が。
「この方々に、今でもあやかりたいよね」っていう話である。
(簡単にあやかろうとするこういう「勘違い」は、永遠に有効です。笑)



(ちょっとここまでの例えが、「個人的趣味」に走り過ぎていたので、最後に。笑)

あくまで、わかりやすい一例として。


「不老不死」って、誰もが願うものかもしれない。

――願うものだけど、しかし。

「実際に、自分だけでも手に入れられないか?どうにか!どうしても!」
と、拘泥して、執拗な「画策」までし出すと、私は、「何かよろしくない」気が、個人的にはしている。

「自分が欲しいものは、当然、自分に全部よこせ!」
みたいな意識は、多分、(私の場合は、)「『私』というものをダメにする」意識だと感じる、ということである。

どこかからは、「さあさあ、あとは、なるようになっておくれ!」と、天に投げかけて任すような、そんな「おおらかさ」と。
時の流れには素直に流されていく「浮遊感」は、あったほうがいいような気が、(個人的には)している。

という本日は話であった。
(伝わったかなあ???)



この記事↓の続きでした。


荻野目洋子氏もまた、いつまでも清々しい空気感の人だよなあ。

この曲はデビュー2曲目、「ダンシング・ヒーロー」での大ブレイクの1年前ですね。
(そしてこの真冬に夏の曲をお届けするという。笑)


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