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はたらく日々の無事を祈る『この世にたやすい仕事はない』(津村記久子)

※物語の展開・結末に触れています。未読の方はご注意ください。※

こんな仕事あるかい。
読み始めの感想はその一言に尽きた。

ひたすら2台のモニターを見つめ続け、ある人物を監視する仕事。
ある町内に入り込み、ひたすらポスターの貼り替えをお願いする仕事。
森のように大きな公園の小屋を拠点にして、ひたすら散策する仕事。

そんなんでお金もらえるならいいじゃん。
数十ページ読み進めた感想はそれだった。
人と触れ合う機会は最小限、大きなミスを犯す可能性は極めて低い。だから怒られることだって滅多にない。部下もいなければクレームをつけてくる取引先もない。少しでもイレギュラーなことがあれば、上司に伝えるだけでいい。
羨ましいじゃん。
そう思いながら読んでいた。最初の方は。

私がこの本を手に取ったのは、たまたま寄った書店で平積みにされていたから。
課長に昇格することが決まっていた春先。
より大きく重くなる責任に溜息をつきながら過ごしていた。
家では子供達が進学して、用品の購入や提出する書類の山が次々に襲いかかってくる。
大きい変化は刺激がある分ストレスを生む。
春の私は変化を楽しむゆとりも、受け止めるだけの許容もなく、ただただ目の前の今日を生き抜くことで精一杯の状態だった。

そんな中、目に飛び込んできたタイトル。
定期的に「会社辞めたい」とぼやく身としては、妙に刺さるその言葉。
たやすい仕事、探せばあるんじゃないかと夢想するけれど、ないのか? 本当に?
いつか読もう。手にとってセルフレジで購入してから、暫くはやっぱりゆとりがなくベッド脇に放置されていたこの本。
ようやく読む気がわいたのは、春が過ぎ去り梅雨目前になってからだった。

もっと気楽に働けばいいのに。
中盤も過ぎた頃、主人公に向けてそんな呟きを漏らした。
長年勤めた仕事を逃げるようにして辞めて、正社員・ベテランという重責から離れられたのに。
気づけば、どうにかより良くしようと思考を巡らせている。
何も考えずにはいられず、目を背けることもできず、ついには行動に出てしまっている。
最低限のノルマだけこなして、淡々と帰宅すればいいのに。そんな思いに反して、主人公は自分の時間を、精神を差し出すかのような瞬間が増えていく。

ラスト2章は特にそれが顕著ではないか。
ポスターの勢力図をひっくり返すために、自腹を切っておかきを振り撒くあたりは「どうしてそこまでするの?」と言いたくなる。
床屋で髪型を変えてまで集会に変装して乗り込み、器物破損の証拠を持ち出すシーンは時給で働くスタイルの大人とは思えない緊迫感を孕む。

森で行方不明者を突き止める場面も、わざわざ誰かを調べて原因を推測し、彼が求めているだろう情報をあえて設置までしている。
辞めた職場の人間関係を駆使してまで動く主人公は、気になったら見て見ぬふりなんてどう足掻いてもできない気質なんだろう。

楽な仕事を求め、1年かけて職を転々とし、最後は元の職種へ戻る決意をして完結する。
元の仕事がうまくいくのか、次の職場が良い場所なのか、未来のことはどうしたって分からない。分かりようもない。
「うまくいきますように」と祈ることしかできない。
それでも、はたらく。

簡単にお金が手に入ればいいのにと思ったことは何百回もあるし、宝くじが当たったら仕事辞めるのにとも思っている。
でも、実際にお金が手に入ったとしても、結局何かをせずにはいられない気がする。
社会とつながるため。人と出会うため。新しい何かを知るため。せめて目の前の世界を少しでもより良くするために。

この本と出会って数ヶ月、私はどうにか今日も課長職をやっている。
毎日分からないことに苦戦しながら、唐突に襲ってくるクレームにめげながら、自分の知識のなさを悔いながら、それでもなんとか日々をやり切る。
明日の自分がどうなるかは私も、誰にも、知ることはできない。
だったらせめて祈りながら、明日も地道にやってみるしかない。本を閉じた私は明日の自分の、周りのはたらく人達の無事をそっと祈る。
みんなみんな、どうか、うまくいきますように。

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