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忘却の日。

いる。
『思考の整理学』が。
さっき本屋で買おうとしていた本が、なんと自宅の本棚に存在している。
5秒くらい静止した後で「…まじかよ」と、独りごちた。

40代も半ばになろうとしている。
日々、唖然とするほど、記憶が抜け落ちる。
会社で「あっそうだ、」と立ち上がった瞬間に「…何しようとしたんだっけ?」と動作が固まる。
「あれやらなきゃ、」とパソコンを開いた瞬間に「えっ、なにするんだっけ」と自分へ問いかけ。
脳がピンピンしている世代からすると、そんなことあるわけないじゃないかと疑われるだろうけれど。こんなことが、毎日必ず起こる。なんなら、何度か起こる。
最早、忘れたことを思い出すのは諦めて、別の思いついた仕事に取り掛かったりしている。そうしているうちに、ああ!さっきやろうとしてたことはこれだ!と記憶が蘇る。
脳がこんなに衰えているのに、会社での立場はどんどん重くなっていくのだから、しんどい。脳トレするべきなんだろうかと本気で悩む。

その日は『乱読のセレンディピティ』を読み終わり、外山滋比古さんの他の本も気になっていたところだった。
いつものTOUTEN BOOKSTOREへ行くと、本棚にちょうど『思考の整理学』の新装版が並んでいる。
これは買いかも!タイミングが良いなぁ、と手に取ってみたけれど、すでに他の本を爆買いした後だったので「また今度にしよう」と、その場を離れて帰宅。

気づいたのが爆買い前じゃなくてほんとうにセーフだった。
帰宅して本棚を見たときの感情よ。
そんなわけあるか?と自分自身に問いかけてしまう。
四十半ばでこうなんだから、これから先こんな出来事は増え続ける一方なんだろう。右肩上がりだ。嬉しくない。

人間は忘れることができるから生きていけるんだよ、ってよく本や映画で出会う台詞。
確かに辛いことや悲しいことを全部鮮明に覚えていたらまともに生きていかれない。
だけど、自分が所有している本くらいはきちんと記憶できる力を保ちたい。せめて、それくらいは。

だけど、そんな私でも変に細かく覚えていられることもある。愛する夫との思い出はやたらめったら記憶していて、「よくそんな昔のことよく覚えてるよね」と尊敬される。時には何年も前の喧嘩の原因や夫の吐いた台詞など、尊敬を超して恐れられるレベルで覚えている。きっと、そういうのは忘れてほしいと夫も切に願っているだろう。

だんだん昔の出来事の方が鮮明になっていくんだろうか。
でも「昔は良かった」なんて言うほど今がつまらなくはないし、むしろ近頃は自分の人生が年々面白い。
過ぎた過去より、いま体感していることを眩しく記憶の引き出しに入れておきたい。ひとつでも多く。

そう思いつつ、今日も職場で「あれ、なんだっけ…」と立ち尽くしている私がいる。

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