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犬と父

高校1年のお正月、犬が死んだ。4歳から飼っていた犬。
マルチーズとテリアの雑種でバサバサの毛が長めの白っぽい中型犬だった。

大好きだった犬。犬のことを考えると涙が止まらなかった。だから家族の前でも学校でも犬のことは考えないようにした。友達が犬のことを話題にしたら、聞こえないふりをして話題を変えた。それでも帰りのバスから犬のいなくなったガレージが見えると涙が出た。学校から帰ると尻尾をぶんぶん振って飛び上がってよろこぶ犬。毎日、当たり前の存在だった。

小さいときは犬と結婚する!と言っては親や親戚に笑われた。父がしつけだと言ってプラスチックのバットで犬を叩くことがあった。いつも泣きながら、かわいそうだからやめて!と犬にしがみついていた。母に怒られて家を飛び出したときは犬小屋の影で泣いた。七五三も入学式も卒業式も犬と一緒に写真を撮った。

大好きだったはずなのに。いつの頃からか、犬が飛びついてくると服が汚れるからとよけるようになった。顔を舐めさせることもしなくなった。毎日の散歩は面倒になって、近所を少し歩いてすぐに帰ろうとすると、犬が座り込んでしまって動かないこともあった。無理やり引っ張って帰ったこともあった。

犬は週末に父と散歩に行くのをとても楽しみにしていた。一度、一緒に連れて行ってもらったことがある。住宅街を抜けて、まだ樹木が残る茂みの中を進むとひらけた場所に小さな川が流れていた。住宅地の造成途中と思われる土地があり、舗装されていない道が川沿いに続いていて行き止まりになっていた。

父は犬のリードを外して、その行き止まりの道を何度も往復して走っていた。私が散歩するときはリードをしていても言うことをきかないのに、犬は父の命令には忠実に従った。リードを外されても父のあとをついて走っていて、でも、途中で疲れてしまって川に入って水を飲んだり、お腹を濡らしたりして休んでいた。私が犬をなでても犬は決して父から目を離さずにいて、父が戻ってくると駆け寄ってとても幸せそうだった。

なんで犬はあんなに父のことが好きだったんだろう。父はバットでポカポカ叩いてたのに。叩かれる犬を見るのがとてもかわいそうだった。いつもはやさしい父がなぜ犬を叩くのか理解できなかったし、そんな父を見るのも嫌だった。

犬が死んで1年くらい経ったころ、犬と父のことを考えていて、ふと犬がうちに来る少し前にクロという名前の別の子犬がいたことを思い出した。名前の通り黒くて眉毛のところに茶色の斑紋がある凛々しいクロ。飼いはじめて間もないころだったと思う。庭に放してみんなで遊んでいたら門の隙間から道路に走り出てしまった。道の向こう側にいるクロ。名前を呼んでもなかなか戻ってこなくて、やっとこちらに歩き出したときに車に轢かれて死んでしまった。

それから程なくして新しい犬がうちに来て長く飼うことになった。クロも門から外へ出なければ死ななかったのに。呼ばれてすぐに戻って来れば死ななかったのに。クロは呼んでも戻ってこなかった。


そう思い至ったとき、景色が揺れるようなショックを受けた。そんなことに父が気づかなかったわけがない。子供達の目の前でクロが轢かれて死んでしまって、父はちゃんとしつけていれば良かったと後悔したのではないだろうか。だから犬を厳しくしつけなければと思ったんじゃないだろうか。プラスチックのバットは子供用でとても軽くて、ポカポカ叩いていたけど犬が痛がるようなことはなかった。なにより、犬があんなに父を好きだったのだから、父は犬にひどいことをしていたはずはない。

毎週末の散歩を欠かさなかった父。父は犬のことをとても大事に思っていたに違いない。私は何を見ていたのだろう。散歩を面倒だと思っていた私は犬を本当に好きだったのだろうか。犬の気持ちも父の気持ちもわかっていなかったし、わかろうともしていなかった。

もう戻れない犬との時間を父が守ってくれていた。


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小さいころのちょっとしたことって、ずっと心の隅にあって、思わぬしこりを作っていることがある。犬を厳しくしつけていた父の気持ちに気づいて、私は父と普通に話せるようになったと思う。

とても励みになります。