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10代の頃、俺は「鳥」だった

10代の頃、俺は「鳥」だった。

といっても、「俺は夢に向かって羽ばたいていた」とか、そ~いったステキ男子的な話ではない。


オーストラリアにアオアズマヤドリという鳥がいる。
この鳥のオスは繁殖期になるとメスの気を引く為に、やたらと青いものを拾い集めて巣を飾りつけるのだ。
この鳥のメスが青いものが好きだから、オスは青いものを集めまくる。
青い花びらだの青い実だの青い別の鳥の羽だの、更には人工物である青いガラスの破片だの青いペットボトルのキャップだの青いペンだの、とにかく青いものなら何でもいいので集めてくる。
で、「どうだい?自然界にはあまりない青いものをこんなに集める能力が僕にはあるんだよ。」といった感じでメスの気を引こうとするのだ。

俺は10代(中学生~高校生)の頃、モテたくてモテたくて仕方がなかった。
モテたいから勉強を頑張り、モテたいから体を鍛え、モテたいからオシャレを研究した。

そして、モテたいから自分の部屋を飾った。
雑誌「POPEYE」辺りに記載された「女の子がステキと思う部屋特集」みたなものを参考に、バイトでゼニを稼いでは、様々なアイテムを買った。
部屋のものを出来る限りモノトーンで統一するようにし、気の利いた照明や「ニュートンのゆりかご」的な飾り物を置き、レーザーディスクプレイヤーなる装置までぶち込んだ。
まだ彼女がいなかったというのに。

アオアズマヤドリのオスが青いもので巣を飾ってメスの気を引こうとするように、サピエンスのオスである俺も自分の部屋を飾ってサピエンスのメスの気を引こうとしたのだ。

しかし、致命的なミスがあった。
アオアズマヤドリの巣と違い、俺の部屋は外界からは全く見ることが出来ない為に、自分からしゃべらないことには全く意味がなかったのだ…
わざわざ「俺の部屋はさ~」とか説明しないとダメだったのだ…
でも、自分から説明するのもダサいだろうと思われ、会話の中でさりげなくアピールするのが精一杯だったのだ…


クジャクのオスはメスに好んでもらう為に美しい羽を持つ。
オスにとって大きな飾り羽を生やすこと、そして、その羽を広げることは膨大なエネルギーが必要だ。

俺もクジャクに習い、己の外観にそれなりのエネルギーを使った。
せこせこバイトしてゼニを稼ぎ、雑誌「MEN'S NON-NO」辺りに記載されていたコーディネートを参考に服を購入していた。
「コンサバ」なる「え?それサバなの?食えるの?」とゆ~ものが良いとされていたので、そ~いったものを買っていた。
今振り返れば、色合いも日本にいる鳥っぽくて良かった。サバの色の話ではない。コンサバの服の色の話だ。

そのうち、「古着ファッション」なるものがオシャレであると知ったので、古着屋にも出入りするようになった。
で、そこから若干道を外すこととなった。

古着ファッション界隈で「アジアンテイストなるファッション」があることを知り、俺は「この人チベット曼陀羅なの?」みたいな服を着て、更にはカラフルな数珠みたいなアクセサリーを首だの手首だのにジャラジャラとぶらさげていた時期があったのだ。
今思えば、「バリ島かなんかのお香まで焚いちゃってどうしたの?」といった時期があった。「あなたのお部屋には、そのお香は合わないよ。」という感じであった。

俺は、アオアズマヤドリのように飾った己の部屋で、くすんだサイケデリックな鳥みたいになっていた時期があったのである。
勿論、アジアンテイストな服を上手にオシャレに着こなすクジャクのような人がこの世の中に居ることを俺は知っている。
だが、当時の俺は、ひなびた商店街の色褪せた万国旗のような色合いの、何だか残念な感じの鳥だったのだ…

因みに、今ではもう、ユニクロやネット通販で小綺麗に見えるであろう服を買うに留まっている。
きっと、もともとファッションには興味はなかったのだろう。
今は日本の風景に溶け込む鳥の色になっているはずだ。


猛禽類はカッコいい。
その雄大な存在感はホント~に素晴らしい。
ワシやタカはハンター然としていて魅力的だ。
あのカッコ良さ、ハンター然としたところはモテ要素のように思えた。
俺も猛禽類のように、強く、逞しく、そして、ハンター然として、狙った獲物は逃さないような存在になりたかった。

体を鍛えた。
若い頃は鍛えれば直ぐに筋肉はつく。
あとは、ハンターとしてのスキルだ。サピエンス界の狩りではトーク力が必要だ。
面白いことを言うスキル、気の利いたことを言うスキル、ロマンチックなことを言うスキルが必要だ。
テレビ、ラジオ、雑誌などを教科書とした。
そうすることで、自ずと俺の存在感は増すはずだった。ワシやタカのようなハンター然とした存在感を纏うはずだった。

だが、俺は猛禽類にはなれず、せいぜいモズといったところだったろうと思う。
いや、そんなこと言ったら、モズにも失礼かも知れない。
なので「ズモ」ということにしとこうか。
俺はズモだった。猛禽類でないズモだった。ズモってのが鳥なのか何なのかは俺も良く分からんけど。


ダチョウは現存する鳥の中では世界最大の鳥だ。
強靭な脚力を持ち時速60㎞以上で走る。二足歩行の生き物としては地球最速だ。
だが、脳はおそよ40gしかない。

てか(笑)、40gって(笑)。その重さは目玉以下だとか(笑)。
ちょ(笑)、40gって(笑)。大さじ3~4杯かよと(笑)。

一方の俺はサピエンスのオスであるので、脳はおよそ1400gくらいであろう。

だが、10代の頃の俺は、その1400gの脳のうち40g程度しか使っていなかったような気がするのだ。
俺は俺の脳を3%くらいしか使っていなかったような気がするのだ。

10代の頃の俺は、全ての行動のベクトルを「モテたい」に合わせていた。
「モテたい」だけが俺の原動力の全てだったのだ。
単純でアホとしか言い様がないではないか。
ダチョウの40gの脳を笑えない。俺もきっと40g程度しか脳を使っていなかったのだ(注※科学的に見たらそんなことはない)。
俺はダチョウのような体の大きさも強靭な脚力もないのに、使っていた脳だけがダチョウレベルだったのだ…


アホウドリという名の鳥がいる。
その名の由来はアホだからだ。

俺のことかと思うではないか…

アホウドリは直ぐ捕まるからアホなのだと。警戒心かないからアホなのだと。

10代の頃の俺は、女の子がちょっと笑顔を見せてくれるだけで「イケるかも!」と思っていた。

そう、俺はアホウドリとどっこいどっこいのアホさだったのだ…


カラスは「カ~カ~」と鳴くが、「アホ~アホ~」とも鳴く。
あいつらちょっと賢いからって、俺に対して罵声を浴びせているのだろうか…

俺はただモテたかっただけなのだ。
ただモテたかった。
全ての行動のベクトルをモテたいに合わせていた。
俺の中での世界とは、モテるかモテないかだけだった。
モテるのか、モテないのか、それだけで良かった。
いや良くない。
モテたかった。
だから努力した。
アオアズマヤドリのような努力をした。
クジャクのように人を魅了したかった。
ワシのように強く、逞しくなりなかった。
タカのように雄大な存在でいたかった。
チキンタツタが食いたかった。
いや、それは違う。
チキンタツタは関係ない。

もっとステキな鳥になりたかったのだ。
もっとステキになってモテたかったのだ。

猛禽類のようにカッコいいと言われたかった。
フクロウのようなミステリアスさが欲しかった。
カラスのように賢く、したたかに行動したかった。
ペンギンのようなチャーミングさも欲しかった。
シマエナガは可愛らしいが、雪見だいふくみたいで美味そうと思ってしまった。
いや、シマエナガの話はちょっと違う。
でもズモだった。
俺はズモだった。
そう。
俺は脳ミソがダチョウ並みのズモだった。

脳ミソが少ないただのズモだったのだ…

ズモだったのだ…

………。

………そして、44歳になった今でも俺はズモだ。でも、幸せに生きている。


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