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パートナーシップで生み出す無限の可能性 | 株式会社アイナロハ 渡邊琴美さん

人は、今をまさに生きているうえで、何かしらの“ベース”となっているものがきっとある。
普段は気にも止めず、意識も向いていないかもしれない。でも、どうやらそれが大きな力となって、思ってもみなかった未来を創り上げるようだ。

「私の場合はやはり家族、さらにその最小単位である“パートナー”になると思います」

株式会社アイナロハ渡邊琴美(わたなべことみ)さんは、生きている“ベース”となっているもの、大切にしているものについてそう語る。それはまた、株式会社アイナロハの事業を支えている“ベース”にもなっている。

夫である大地さん(左)ともに、株式会社アイナロハを運営する琴美さん(右)

株式会社アイナロハは、妊娠中から産後6カ月の間の家庭を伺って家事代行する産前産後に特化した家事サポート、夫婦間のパートナーシップメント講座・講習といったサービスを中心に事業を展開している。
会社の代表は、渡邊さんの夫である渡邊大地(わたなべだいち)さん。渡邊夫妻共同して運営をしている。だが、それぞれ担う役割は違う。 


渡邊さんは、産前産後の家事代行サポートサービスとLINEコンサルティング事業を運営し、夫である大地さんが、育児や夫婦間のパートナーシップメントに関する講師として病院、自治体などでのセミナーや講演活動をしている。
4年前に、LINEコンサルティング事業が新たに加わったこと以外、その事業内容は一切変わっていない。いずれも、両者のニーズは衰えることはなく、大地さんの活動範囲にいたっては、地元埼玉にとどまらず全国各地にまで広がっている。

沖縄のコミュニティラジオ局FMコザで「パパニティレディオクラブ」という番組も持つ渡邊夫妻
(左)大地さん (右)琴美さん


もともとは二人とも会社員。結婚当初は起業するイメージすら持っていなかった。ところが、自分たちで出産、育児をしていくなかで、起業への想いが芽吹き、アイナロハという実になった。

きっかけは自分たちが体験した「困ったこと」。

それを、二人がそれぞれの立場を尊重しながら向き合い、なんとかしていこうという思いがビジネスへと発展した。
二人が育てたその実は、今年で12年目を迎え、さらに次の夢に向けて成長を続けている。



ストレスから生まれた、新しい土壌、そしてビジネスの種子

「よく24時間夫婦一緒にいられるね」

渡邊さんは友人知人からよく言われる。

「でも、私からすると『えー24時間一緒じゃないの?』なんですよね」

夫である大地さんといつも一緒にいることに「苦」だと感じたことはない。逆にそんなことを言う友人知人に不思議な感覚を覚える。

そんな渡邊家でも、夫婦の危機は過去普通にあった。
それは、初めての育児となる長男 椋音(りょうと)くんが生まれたときにさかのぼる。

「子どもが生まれると、女性って意識が変わるんですよね。どんどん子どもに意識が集中して、それで夫に対する感覚が知らず知らずのうちに変わっていくんです」

当時、大地さんは会社員。会社から帰ってきて、いつも子どもをお風呂に入れ、休日も一緒によく遊んでくれたという。いわゆる“イクメン”の部類に入るだろう。

「でも、育児は実質ワンオペだったんですよ。パパ(大地さん)が仕事で外出している間は私しかいませんから。その時間が一番長いんですよね」

子どもへの意識が増していく一方で、夫へ意識が薄れ、むしろ、ワンオペの大変さ、肝心なときにいないという思い、それが夫に対する苛立ちの感情へとなっていく。

「パパは当時、子どもと一緒に遊ぶことで、自分も育児をしていると思っていたんですよね。でも、実際の育児ってそれだけではない。そこは全然わからないんです。仕方がないことでもあるんですけど……」

と当時を振り返って苦笑いする。頭ではわかっていても、感情としてやりきれないものがどうしても残る。理屈が追いつかない世界がそこにある。
やがて、渡邊さんの苛立ちはピークを越え、溜まりに溜まった鬱憤(うっぷん)を爆発させる。

「何せこれまでに見せたこともない逆鱗だったので、パパはかなりびっくりしていましたね。お風呂に入れたり、遊んだりしていることで、自分は育児にもきっちり参加している、できていると思っていたから、私に強く言われたことが相当ショックだったようです」

このとき渡邊さんは、「離婚してもいい」というところまで極まっていた。いつも周囲の人を巻き込むぐらい明るい性格だけに、逆鱗を発するという姿が想像つきにくい。それだけ負荷が大きかった、ということだろう。

普通こうなると、大抵は夫婦喧嘩へと発展するパターンが多いのではないだろうか。夫側にしても、仕事と帰宅してから子どもを世話している、という言い分もあろう。「やれることはやっている!」という感情が出てもおかしくない。ところが、渡邊家ではその展開にはならなかった。

渡邊さんが”逆鱗”を発したときにすべてが始まった。
大地さんは、現在パートナシップメント講師として全国を飛び回り、書籍も多数執筆している。

渡邊さん自身も、激した感情にまかせて口を動かしながら、頭では冷静な考えが流れていた。

「離婚してもいい、とまで思ったものの、それが根本的な解決で本当の望みかといえばそうじゃない。こんなときだからこそ、家族で解決していかないと、とも思っていました。でないと、なんのために家族になったのか意味がないですから。どうせなら家族として楽しく過ごせる方がいいに決まっています」

これは、大地さんもまったく同じ思いだった。

むしろ、このとき放った渡邊さんの感情が、大地さんにとって「本当の育児とはなんなのか?」ということを考えさせられる大きな気づきにもなったという。
「できている」「やっている」と思っているのは、自分だけの「思い込み」。それはあらゆる誤解も生みかねない。相手が満足しているかどうかは、相手の声を聞かないとわからない。

この出来事から、夫婦それぞれがお互いの思いを尊重し合うことを前提に、本音で向き合い、話し合う時間がつくられた。
渡邊家では「夫婦間会議」と呼んでいる。
このとき以来、何かことあるごとに必ずこの会議が開催されていく。
そして、この夫婦間会議こそが、アイナロハという実を育てる土壌ともなり、やがてはビジネスコンテンツともなっていく。

ただ、当時の二人には、まだその想像のカケラもついていない。


2011.3.11

この日時を過ごした人にとっては、その衝撃をきっと忘れることはないだろう。
最大震度7.0という大規模な地震が、東北地方を襲った。東日本大震災だ。

この日、渡邊さんは家族3人で過ごしていた。
大地さんがたまたま有給休暇を取っていて、渡邊さん自身も育児休暇が明ける前で、家族でディズニーランドに来ていた。

「これは本当にラッキーでした。もし、二人ともいつものように出勤していたらと思うと、ちょっとゾッとします」と振り返る。

当時、二人の通勤先は東京都内だった。渡邊さんは御徒町、大地さんは八丁堀と職場も違った。住まいがある所沢からの通勤時間は約1時間半。
東北で起こった震災だが、都内ではあらゆる交通機関が止まり、帰宅困難者が随所にあふれかえった。この日いつものように出勤していたら、間違いなく家族はバラバラだった。

この日、都内全ての交通がストップ。
”帰宅難民”という言葉が生まれた


通信網もズタズタだった。
お互い連絡がつかず安否の確認ができない。しかも、子どもはまだ生まれて間もない。我が子の安否の確認すらできない状況を想像してみる……。いたたまれない感情が襲う。

「この震災を体験して、『普通に出勤していたら絶対に家に帰れていなかったよね?』『そんな遠いところに勤めていて、いざという時に家族って守れるのかな?』といったことを話すようになったんです」

こんなことがまた起こるのであれば、家に近いところで働く方がいい。二人の間では、働き方や、これからの人生について、真剣に話し合うようになった。
このときだった。「自分たちで何かをする」という“起業”の選択肢も、二人の間に浮かんだ。
とはいえ、何をするのか具体的なものはまったく見えていない。

ただ、東日本大震災という未曾有の災害を体験し、二人の考え方、価値観が変わっていったことは明らかだった。

そんな日々のなか、渡邊さんのお腹に二人目の命が宿る。

そして、まったく予期していないことが渡邊さんの身を襲った。


お腹の子どもが背中を押した

「実は、16週目で“破水”しちゃったんですよ」

16週といえば、まだ4ヶ月ほど。これからお腹も目立ち始めようかどうか、というころだ。そんな時期の破水なんて、誰が予測できるだろう。

「本当にもうびっくりです。すぐに緊急入院して、それこそ、『このまま産めるかどうかわからない』とも言われて、『どうしよう〜』という感じで、ずっと病院のベッドで泣いていました。でも、実はそれ以上に大変だったのがパパだったんですよね」

当時、椋音くんは2歳、いわゆる“イヤイヤ期”まっさかり。

「ママっ子だったので、私がいなくなってもう大暴れ。家では『ママどこーっ!?』って大泣きする長男と、家事なんてまったくしたことがなかったパパだけ。もう我が家は完全にカオス状態でしたね」と当時を振り返る。

「そのとき思ったんですよ。子どもを産むことって、必ずしも安全に産めるというわけではないんだな、って。緊急な出来事に見舞われて、普通に過ごしてきた日常が一気に混乱して、夫婦ともに心のゆとりもなくなってしまう。こんなときに家のことをサポートしてくれるところがあったらいいな、って思ったんです」

誰もが必ずしも、”安全”に出産できる保証はどこにもない

「ママっ子のうえに、ただでさえ保育園に行きたがらなかったので、それだけでも大戦争だったみたいで……。でも、そんなときに助けてくれたのが通っていた保育園だったんです」

渡邊さんの緊急入院したことを知って、通っていた保育園が大地さんをきめ細やかにサポートしてくれたのだ。園長先生も気遣い、緊急で困りごとがあれば土日でも預かるから、と優しい声をかけてくれた。

「このときばかりはパパも保育園にはとても感謝していました。頼れるところがあるだけで本当に助かったと。こうやって素直に頼ってもらえるようなところって必要だよね、って」

「産前産後の家事サポート」のコンセプトが生まれた瞬間だった。

幸いなことに、数ヶ月は入院覚悟と思っていた破水は、たった8日でおさまり、そのまま退院となった。
まるで通りすがりの竜巻に巻き込まれたような、とんでもない出来事だったが、それがアイナロハのコンテンツを生み出す結果となったのだ。

「もともと破水する前あたりから、気持ちは起業にも傾いていた」という渡邊さん。つわりで休んでいたところから職場に復帰し、でも起業もしたい、と想いを強めつつあったまさにそのときに破水した。

起業なんてまったくの未知数。
でも、自分たちと同じように大変な思いをしている人たちがいるのは確かだ。
だったら、自分たちの経験を役立てたい。
その想いがはるかにまさる。

まわりを見渡しても、このようなサービスはどこにもない。
「ニーズは必ずあるはず!」
根拠はないけど、自信はあった。

退院後、渡邊さんは会社を辞める。
お腹にいる子ー長女 湊音(みなと)ちゃんー の破水、これが渡邊さんの背中を押した。

そんなところに、二人の活動をさらに後押しするようなご縁の風が吹く。
これもまた湊音ちゃんの「導き」ではないか、と思いたくなるような出来事だった。

株式会社アイナロハのきっかけとなったお二人(2012年)
(左)長女:湊音(みなと)ちゃん
(右)長男:椋音(りょうと)くん


二人で耕した「土壌」があったから

「こんなことってある? というぐらい本当に不思議なご縁で」と、渡邊さんの声が弾む。

渡邊さんは、湊音ちゃんを出産するにあたって、椋音くんとは違う病院を選んだ。少しでも家に近いところがいいと思ったからだ。
ところが、その病院で奇しくも椋音くん出産の時に大変お世話になった産婦人科先生と看護師長さんにバッタリ出会ったのだ。

「長男は長男で、実はものすごい難産だったんですよ。10日間も入院して、そのときに先生と看護士長さんには、本当にお世話になって……」

退院後も、しばらく連絡を取り合うぐらい親しい仲となった。しかし、時間の経過とともに連絡が疎遠になっていった。

「そうしたら、長女の妊娠で訪れた病院に、かつて無茶苦茶お世話になった先生と看護士長さんがいらっしゃるじゃないですか。しかも、また私の担当。本当にびっくりしました」

あまりにもの突然の出会い。しかし、驚くのも束の間、当時のことですぐに話の花が咲く。疎遠になっていた時間の隙間はすぐに埋まった。

しかし、これはただ単純な出会いではなかった。

この先生と看護師長との関係が、「さあ起業するぞ」と帆をたて船出した渡邊夫妻にとって追い風となる。

「出産現場や育児に関わっている人たちの生の声を、その病院でたくさん聞かせてもらえたんですよね」

助産師さんや看護師さんに事情を聞いたり、来院しているママさんにアンケートを取ったりと、コンテンツのコンセプトをブラッシュアップさせる絶好の機会となった。

「そのうえに、パパのパートナーシップメントセミナーを、初めてその病院で開かせてもらったんです」

出産後のパートナーシップ、夫婦のあり方に関する講師といっても、大地さんは医者でも助産師でもない。そのようなセミナーをやっている病院すら、当時はなかった。
でも、ここの病院は、それを受け入れてくれた。
今もなお、この病院でのセミナーは続いている。内容はもちろんのこと、大地さんの人柄、対応、あらゆる点での満足度が高いからだろうと想像がつく。

「それでも立ち上げ当初は、お互いに始めた仕事もなかなか決まらず、ご飯のおかずがとり胸肉ともやしだけの日々が続いたこともありました」

さらに、こんなこともあった。

「産前産後の家事サポートサービスは、チームで動きたいと思ったので、生まれた赤ちゃんとお母さんをサポートする派遣契約の仕事として求人を出したんです。そしたら100名もの応募が来てしまって……」

これを、一人ひとり全員面接し、最終的には11名まで絞り込み、家事代行の精鋭部隊をつくった。
「でも、半年後には見事に全員いなくなりました」と渡邊さんは笑う。

サービス設計のつめが甘い、マネジメントもできていない、教育も行き届いていない、だからチームビルディングも進まない。しかも、「子どもとお母さんのお世話ができるのってすごくいい」と共感してやってきたものの、思ったほど仕事がない。それが原因でみんな辞めていった。

「でも、二人とも悲観することはなかったですね。お互い『なんとかなるだろ』って」

どんな状態でもなんとかするのが夫婦間会議。お互い鼓舞し合いながら、何かあればその都度練り直し、さらにまたブラッシュアップさせていく。

「あーだ、こーだとバタバタやって、形になるのに3年はかかりましたね」

紆余曲折しながらも、ニーズは高まり、日々が忙しくなる。
それは、かつての自分たちと同じように困っている人がいて、誰かに頼りたいと思っている人がいるということ。できる限り対応したい。
その活動範囲は、いつの間にか埼玉一円から横浜にまで及んでいった。

起業3年目の2014年、雑誌「LEE」の取材を夫婦で受ける


やりきったからこそ生まれた新しい道

「このとき、さすがにもう体力的にも限界にきていました。
なんせ、立ち上げて5、6年、ずっと走り続けてきましたから。そしたら、ある瞬間にプツーンと心が一気に失速してしまったんですよね」

自分一人では完全に手がまわらない。
心身も疲れ果てている。
でも、ニーズは失速していない。

そこで閃いたいのが、「のれん分け」だ。

「私の持っている知識や、契約の仕方、お客様をセッションするための資料とかノウハウを全部セットにした『ファミリーバランスサポーター』という認定講座をつくったんです」

産前産後の家事代行サポートサービスを支える皆さんと

自分と同じ思いとスキルを持つ人がいれば、もっと多くの困っている子どもとお母さんを助けることだってできる。
その想いを込めて打ち出した。反応は予想以上によかった。

ただ、ここで思いがけない問題点が見つかる。

「集客です」

渡邊さんは続ける。

「二人で立ち上げてから、幸運なことに、仕事はほぼ紹介で広がってきたので実は本格的な集客をしたことがなかったんです。でも、のれんを分けした人たちは、集客からしなくてはならない。だからその方法も教えないといけない。それでLINEコンサルタントの資格を取ったんです」

LINEコンサルタントという新しい分野でノウハウを身につけることは、失速しかけた心の気分転換にもなった。
集客を教えるために始めたというこのLINEコンサルティングは、今ではアイナロハを支えるひとつの独立した事業になっている。


パートナーシップは「創造」の力を秘めている

自分の限界を超えたことから始めた「のれん分け」。
この判断は別の意味でも正解だった。
それが明確になったのは、2020年、新型コロナウィルス感染症が襲ったときのことだ。

緊急事態宣言による外出行動が規制され、出産前後のいわゆる“里帰り”ができなくなった。産前産後の家事サポートのニーズは、一気に飛躍した。

「どうしようもないぐらい連絡がひっきりなしで、ごめんなさいと思いつつ依頼を断っていたぐらいでした」

長女の命を宿し16週目で起こった破水から約9年。自分たちがパニックになった体験から、頼れる人になろうと思い立って蒔いた種子は、ここまで育った。
しかも、自分たちの以外にも同じ想いを持った仲間の輪も増え続けている。

夫婦間会議という“土壌”で芽吹いた種子は、あらゆる形に育っていった。これは、パートナーとしてのあり方次第で、強力な「創造」を生み出せることを物語っている。

次女:音いろ(ねいろ)ちゃんが生まれた時のショット。

1+1=2ではなく、ましてや1×1=1でもない。
パートナーとしての1×1は=∞(インフィニティ)

そんな力があるのではないか、と頭をよぎる。
しかも、これは誰もができること。

そのあり方をこれからも語り続け、広げていく。
せっかく家族になったんだから、「とことん楽しもう!」

その気持ちから始まりここまできた。
それは、12年経った今も変わらないし、きっとこれから先も変わらない。


FUN & RUN

「いま手がけているLINE事業を、きちんと仕組み化し、お客様にもしっかり価値提供ができる状態にして、3年後には売却することを目指しています」

将来の目標についてそう語る渡邊さん。

「産前産後の家事サポートサービスを、もっと社会貢献性を高める方向にしようと思っています。10代で出産することになったママさんとか、シングルマザーのサポートとかもできるようにもしたい。NPOとか社団法人にして広げていくことも考えています」

実はここまで事業を育てながらも、これからの展開についてどう目標立てしていくかまで深く考えていなかったという。
それが、2021年12月から始めたBNIという異業種交流を主とするコミュニティに入ったことで大きく意識が変わる。あらゆる異業種の経営者と出会うたびに刺激を受け、新しい夢、さらにその先の夢を描き、行動するようになった。

BNIでもリーダシップを発揮する渡邊さん

起業の「き」の字も知らずに事業を始めた渡邊さん。目の前で将来の目標を語るその表情は、いまや経営者そのものだ。

「ポジティブ・モンスター」と呼ばれ、周りを勢いづけるほど、影響力を持つ明るい性格。
経営者としての深みを身にまといつつも、その明るさは変わることなく、目の前のことを全力で楽しみながら走り続けていく。

個人として、母親として、そして経営者として、すべてを楽しみ走り抜く。


Another Story  〜ポジティブ・モンスターの恐ろしき印象戦略〜

夫である大地さんとの出会いは、渡邊さんが大学4年生のとき。
大地さんは、4年生の大学を卒業し、自分で学費稼ぎながらさらに専門学校に通っていた。
お互いのバイト先が近くでもあり、バイト先同士も仲がよく交流があった。
ただこの時点では、大地さんとはときどき顔を見るぐらいで、まだお互いが意識し合う距離ではなかった。

「今度付き合うなら、真面目でイケメンがいい!」
「誰かいい人いたら紹介して!」

そんなことをバイト仲間に触れ回っていたという渡邊さん。
はっきり明確なその行動要請は、やがて大地さんと同じバイト先の人の耳に届く。
「ウチの渡邊くんとかどう?」
早速、情報が飛び込んできた。

自分で学費を稼いで学校に通い、バイトの態度も真面目、そして何よりも、イケメンだというお墨付き。

「それまで話はしたことはなかったけど、ときどき私のバイト先だった居酒屋に、向こうのバイト先の人と一緒来たりして顔は見かけたことはあったんですよね」

確かに、イケメン。
即、ロックオン。

大地さんは、渡邊さんがバイトしている店の前を、ときどき通ることがあった。
そこが狙い目。
渡邊さんは虎視眈々(こしたんたん)とその機会をうかがう。

そんなある日、大地さんが渡邊さんのお店の前を通りがかった。

「いまだ!」

すかさずお店を飛び出し、大地さんを呼び止める。

「渡邊くん! 渡邊くん!!」

大地さんが振り向いたその瞬間。

私、渡邊くんと結婚するから!!!

大きな声で言い放った。

話もしたことない子からまったく予期しない言葉をかけられ、「あ然」とする大地さん。

「いやもうこのときばかりは、さすがにパパもドン引きして走って逃げていきましたねー」

当時のことを思い出してカラカラと笑う渡邊さん。

どんな気持ちでそんなことを言ったのか?

「えーと、もう印象づけです。若いこともあって、ちょっとノリ的な気分で『言っちゃえ〜』みたいな感じで」

しかし、この一件は見事にある伏線となった。

それからしばらくたったある日、大地さんが自分のバイト先の人に連れられて、渡邊さんのお店に遊びにきた。このときの大地さんは風邪気味だったらしく少しばかりしんどそうにしていた。その様子を見てとった渡邊さん、ホールスタッフであったにも関わらず、すかさず厨房に飛び込み“卵がゆ”を作って大地さんのところに持っていった。

「『私と結婚するから!』といきなり言ってきた変な子は、こんな家庭的な一面もあるんだ、と思わせたらしくて、そのギャップの大きさが強い印象となったみたいです(笑)」

渡邊さんは見事に伏線を回収し、印象戦略を成功させる。

そして、この瞬間から二人のパートナーシップメントが始まった

天性の明るさは、ものごとにとらわれない突拍子な戦略を生み出すようだ。
あな恐ろしや、ポジティブ・モンスター。

日ごとにパワーアップしていくポジティブ・モンスター。
その進撃は止まらない。

取材・執筆ー白銀肇(しろかねはじめ/ことはじめ)

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