私は“ポンコツ”です
Aloha🤙
“ことだま”改め“ポンコツ”です(笑)
未だ救われない世界で愛を見失っているとしか考えられない現実の中で溺れ死にそうです。
けれども真理を学んでいるため、かつての孤独な私とは別世界に住んでいることには間違いないんですけどね。
もちろん救われた世界です。
今日は2024年3月5日火曜日
今回は救われた世界で「救われたい!」と叫んでいるような既にポンコツの私が「私はポンコツ」と気づくまでの物語です。
♠︎私は「自我」です
リーディング心理学を学び進めていくと、目的が「真理に到達する」「悟る」というものになる。するとそれに対して腹を括れば括るほど「私の現実」はさらに厳しいものになってきた。
その中でも去年の暮れから取り組んでいたのが「鎮まりの意識(※1)」。この意識に繋がるには落ち込むことが必要で、崖っぷちを歩いているならそこから落ちて地の底に足を着くことで鎮まりの意識に繋がることができた。
私はどうしても「落ちないように」と歩くものだから、なかなか落ちきれないでいた。
時にはネガティブに落ち込むなんてことが必要なんだと意識のバランスを学んでも、まだ闘う姿勢をやめられない私に「これでもか!」と言えるような現実が次々と襲ってきた。
特に職場でそれが顕著に現れるから、私は無意識にパニックという形で逃避していた。
パニックはもちろん苦しいのだけれど、古い価値観で閉ざされた世界をぶち壊す勇気を持つよりはましだったんだろう。
職場で現れるのは、無視、責苦、犠牲、傲慢、差別、冤罪、遺棄という7つの大罪のような現実。過去世のカルマも重なり、身動きできずにパニックになるのも、それを被害者として逃げる「自我」を持ち続けていたから。
私、まだ「自我」を私自身だと信じてるんです。「やめよう」でやめられないから難儀なんだ。
「無我」で生きるのだと知っても、「自我」でいる心地よさから離れられない。まるで悪い薬のように・・・「自我」は、優越感が好きで、擁護してもらうことが好きで、お得が好きで、優秀になりたくて、満たされたくてそれを追い求めることを人生の目的にしてしまう。
でもそれは裏を返せば欠乏感や裏切り、損や劣等感、死や別離の不安や恐れからの回避なのだ。
それら「悪しきこと」と見えるものも「愛」の中だと気づくためにカルマは存在する。
だから、カルマは愛なんだ。
♦︎私は「ポンコツ」です。
今回の題名にもしたけど、今回の事件で私はようやく自分はポンコツだっていうことを認めざるを得なくなった。
実は先週始めた派遣の工場勤務が、昨日あっさり契約解除になっていた。
もちろんリーディングはしたんだけどさ、「引き留められたらどうしよう」って構えていたのに・・・拍子抜けした。
〈2024.3.1FRY.a.m.事故発生〉
私の担当していた箱を持って、荷台の一番下の崩れた箱と交換しようとした従業員二人が危ない体勢になっていたので思わず駆け寄ったら、一人が振り向きざまに私とぶつかりケガをした。
「余計なことをしやがって!」と怒鳴りながら血が出てきた指を見せてきた。
「助けようとしたのに怒鳴るなんて酷いわ」とも浮かんできたけど、「その通りだ、本当に余計なことをしてしまった」と自分に落胆もした。
〈2024.3.1FRY.p.m.事故発生〉
従業員の女性が私の担当した箱に印字ミスをみつけた。調べると私が印字確認して積み上げた荷物の半数に印字ミスが見つかって、梱包の始めからやり直すことになり、周囲のみんなが止められないラインをやりつつやり直しの作業を手分けしてやってくれたお陰で無事に作業を再開することができた。
しかし、印字ミスを見つけた従業員に怒鳴られるように厳しく言及され、私が同じ作業に戻ることを許さなかった。
その後は掃き掃除を指示されたが私は指示とは違う場所を掃除していたらしく、再度怒られる始末。前日も教えてもらった箱の充填作業でミスをして怒られていたのを思い出したが、彼女は何かとイライラしていたので、私がたびたび指示を理解できずに指示とちがうことをしていたんどと推測できる・・・これはポンコツと呼ぶのではないか?
普段使わないけれど、ハッと思いついた。
“ポンコツ”って、今の私にピッタリ。
長期契約で入職した工場だったけれど、もうここではミスって迷惑をかける自信しかなかった。
入職4日目で契約辞退なんて許されないだろうと悩み、派遣会社に連絡するも返事がもらえず、昨日は私から直接工場に体調不良を理由に欠勤の連絡を入れ、今日も朝から悶々としてもう一度派遣会社に返答の催促のメールも入れたのだった。
結局今日の夕方、「昨日付けで契約破棄になったんで次のレギュラー探してもらって良いです」って、なんだか派遣会社の担当者は軽いノリで電話してきた。
「契約期間は守ってもらわないと困ります」なんて引き留められたらどうしようなどと構えて、寝られない土日を過ごしていたのが自我が生んだ幻の中でやってる一人芝居のようだった。
♠︎私は「パニック症」です
〈学び〉
3/1金曜に人にケガをさせた事故は、気を利かせて手助けに入ったことで「余計なことをしやがって」と怒鳴られた。それは他のあらゆる場面でも「私の善意が余計なこと」だと気づかせてくれた。
家に帰って娘にこの話をしたら娘が歓喜していた。
助けに入ることや、頼まれてもいないことを気を利かせてやってあげるなど傲慢なことだったとやっと痛みと共に腑に落とせた出来事だった。
これまでだったら「折角助けに入ったのに酷い言われよう」な私という被害者面をしていたところだったから、大きな成長だと娘が喜んだんだね。だから親子の間で発動しがちな「余計なお世話」も同時に認識できた。
午後に起きたミスについては、過去世で一度ミスをした者のリベンジを許さず切り捨てた為その家族が餓死した場面が浮かんできた・・・その時私を睨みつけていたその家族の娘が、私に怒鳴った従業員と重なった。
師匠のInstagramに午後のミスについてもコメントしてみると、厳しい意見を言ってくれる人に相談しなさいと返事が来ており、厳しい意見を言ってくれそうな友人ならどうしたか?を想像してみた。
彼女なら、その場は私と同じようにしっかり謝って、落ち着いた次の日には派遣会社だけではなく工場の派遣担当者に事情を話して契約を辞退した思う。私は担当者には体調不良としか伝えず本当のことは派遣会社に託したのでした。
私から見た世界ではあるものの、今回のミスがなくても右往左往する場面も多い居心地の悪い工場でどう見てもみんなに余裕がなかった。
もしかしたら、担当者に私から事情を打ち明けることで派遣社員や新しく従事した人にわかりやすい指導がされるように改善されたかもしれなかったのに私にそれができなかった。
♥︎私は「ポンコツ母」です
私が私の家族の中で一番衝突してしまい、毎回改善できないままケンカ別れしていた長女が、とうとう私と住むことになった。
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