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ショートショート 「気付かれざる悪戯」

ここは古き良きパリの名残をとどめる街、モンマルトル。
大通り沿いに建つ老舗のバァルで、オリヴィエとパトリックがワインを飲みながら談笑している。
ふたりは共に「2024年パリ・オリンピック」の開会式運営に携わっていた。

「なあパトリック」
「なんだオリヴィエ」
「開会式、大成功だったな。特にあの『最後の晩餐』のパロディ!」
「あれな〜。13億人のカソリック信者をコケにしてやったんだもんな。フランスの信念と度胸を世界に知らしめることが出来て、俺は心の底から満足しているよ」
「俺もだ。これにてキリストは役目を終え、ダイバーシティーが至高となった!」
「革命だ!」
「自由、平等、友愛!」
「ちんちん」
「ちんちん」

ふたりはグラスをカチンと合わせ、ワインを飲み干した。
オリヴィエがボトルの首をつまんで持ち上げる。
左右に振る。

「空になっちまった…。ギャルソ〜ン、ギャルソ〜ン」

すぐにウェイターがやって来、オリヴィエはまたワインを注文した。

「なあパトリック」
「なんだオリヴィエ」
「ひっく…。それにしてもパリは素晴らしいな」
「まったくだ」
「飛行機に乗らなくても異国情緒を味わえる」
「オリヴィエ…」
「通りを見ろよ。まるでモロッコみたいだぜ」
「しーっ!」

ウェイターがワインを持って来た。
パトリックは「メルシ」と言ってワインを受け取る。

「なあオリヴィエ。そういう冗談はダメだぞ」
「んなこたぁ分かってるよ。でも俺たちが小さかった頃、パリはこんなんじゃなかったろ? 違うか?」
「それは、まあ…ものごとは時と共に変化するものなんだよ」
「へへ…。なあパトリック、正直になろうぜ」
「俺はいつだって正直さ」
「ウソをつけww」
「おいオリヴィエ」
「なんだ?」
「さてはお前、ここへ来る前にどこかで飲んで来たろ?」
「あー飲んで来たとも。ワインを一本にビールを1リットルばかしな。悪いか?」
「悪かないが…」
「じゃあガタガタ言うな。ふん…まあいい。俺は街の様子を見るたびに、正直こう思うんだ。これじゃあ極右が支持を集めるのも無理はねえなと…」
「おいオリヴィエ。お前ってやつはまったくしょーがねえなあ。酔っ払うとすぐに地が出ちまうんだから。芸術関係の仕事を続けたければとりあえず左に張っとけ。職場で気まずい思いをするのはイヤだろ?」
「へへ…」
「笑いごとじゃないぞ。仕事の話を抜きにしても、左に張っておいたほうがいろいろと得をするんだから」
「たとえば?」
「いい人そうに見える」
「ほう」
「賢そうにも見える」
「ほうほう」
「その上、女にモテる」
「ホントかよ…」
「ホントだって。特に若い女にな。若い頃は誰だってなにかに反抗したくなるもんだろ? かく言う俺だって子供の頃はわけもなく厭世的だった。そもそも英語が分からない上にアメリカの黒人が使うスラングなんてひとつも知らないくせして、朝から晩までギャングスタラップを聴いていたよ。両親から与えられた平和で快適なベッドルームでスナック菓子なんぞをつまみながらな。ハハ…」
「おいパトリック。お前、なんの話をしてるんだ?」
「いいから最後まで聞け。とにかくいま言ったように、人間ってのは男女問わず成長過程においてそういうややこしい時期を迎えるものなんだよ。で、この時期が、この時期が、まさに狙い目なんですよ、ダンナ!」
「狙い目…?」
「ああ。いつの時代も世を拗ねたサブカル女子みたいなのが一定数いるから、そういう子たちをTinderやFacebookで釣って口説くんだよ。たとえばこんな風に…。君はボリス・ヴィアンって作家を知ってる? 彼が書いた『墓に唾をかけろ』って小説、きっと気に入ると思うな。弟をリンチで殺された黒人青年が差別者たる白人に復讐する物語なんだけどさ、著者のボリス・ヴィアンは白人なんだよ。ところが彼は自らを脱走兵の黒人作家と称してこの本を出版したんだ。興味深いだろ? 良かったら本を貸すよ。いい作品はやっぱり紙の本で読んだほうがいい。というのも人間ってのはさ、紙の質感だとか装丁だとか、そういった本の内容とは直接関係のないさまざまな情報を無意識のうちに…うんぬん、と」
「本を読むのは面倒だ」
「別に読まなくてもいい。amazonかなんかのレビューを2つ3つ見れば大体の内容は分かるから。なあオリヴィエ。若い女にモテたいだろ?」
「モテたい」
「なら左一択だ。若い女にモテてる右翼のオッサンを見たことがあるか?」
「ない。たしかにミュージシャンや役者をはじめ、芸術家って大抵左だもんな」
「だろ? だからやつらはオッサンになってもモテるんだよ」
「ふーむ。でも潮目は徐々に変わりつつあるんじゃねえの?」
「というと?」
「国民連合がみるみる力を付けて来てるじゃん?」
「でも選挙じゃ負けた」
「たしかに」
「この国で右派政党が政権の座に就くことはおそらくないだろう。なんせ中道が左派と組んじまうんだからな。仮に国民連合が党として最多の支持を得たとしても、小選挙区制と2回投票制が施行されている限り、所詮無理ゲーなんだよ」
「まあたしかに1対1の決選投票になったら、結局『右派対その他』って構図になるもんな」
「そうそう。それにそもそも1回目の投票の時点で中道と左派は選挙協力をする。だから右派が政権を取るためには、極右の国民連合と中道右派の共和党が足並みを揃えて…。いや、そんなことはいいんだよ。万が一右派が政権を取ったとしても、若い女の子たちが保守になびくことは絶対にないから」
「そうかね?」
「ないない。若い女の子の目には、保守主義者は、頭が固くて野暮ったいオジンにしか映らないんだ。まあ実際そうなんだけどさ。へへ…。とにかく左に張っておけ。左に張ってりゃ努力次第で若い女の子の『理解あるおじさま』になれる」
「じゃあ左にしとく」
「ちんちん」
「ちんちん」

ふたりはものの20分で2本目のワインを空けた。
そしてオリヴィエ「ギャルソ〜ン」。
ウェイターが持って来た3本目のボトルを傾けながらオリヴィエが言う。

「なあパトリック」
「なんだオリヴィエ」
「ひっく…。それにしてもパリは素晴らしいな」
「またかよww。おめー、ついさっき『左にしとく』って…」
「飛行機に乗らなくても異国情緒を味わえる」
「ヒヒ…」
「通りを」
「見ろよ」
「まるで」
「モロッコみたいだぜ」
「しーっ!」
「こらオリヴィエ。『しーっ! 』は俺のセリフだww」
「あは」
「あはは」
「パトリック。お前も楽しんでんじゃねーか。お里が知れるぞww」
「あんまりしつこいから仕方なくノってやったんだよ。とにかく中東系と黒人はイジんな。アジア人は別に構わんが」
「平等の精神どこ行ったww」
「知るか。あとユダヤ人もイジるな。ジョン・ガリアーノがユダヤ人の悪口を言ってるところを動画に撮られたのって、たしかこの辺じゃなかったっけ?」
「場所まで覚えちゃいねえが、そう言やそんなことあったなー。やつはたしかあの動画のなかでアジア人も一緒にdisってたぞ」
「だからアジア人はいいんだよ」
「なんでww」
「チンチョンどもはフランスにな〜んの貢献もしてねえからだ」
「じゃあ中東系と黒人は貢献してるって言うのか?」
「してるさ。ジダン、エムバペ、ヴァラン、ユムティティ、カンテ…。ポグバの野郎はやらかしちまったけどな、アハハ。実際のところやつらが居なければ欧州予選を通過出来たかどうかさえ怪しいぜ。…まあ冗談はさておき、中東系と黒人だけは絶対イジんな。社会的に自殺するようなもんだ。どうしても誰かをイジめたい衝動に駆られた時はアジア人を標的にしろ」
「やめれww」
「チンチョン」
「ちんちんだろww」
「あは」
「おいパトリック。お前、俺より遥かにひでーじゃねーか」
「知るか。ギャルソ〜ン、ギャルソ〜ン。ワインが無くなったぞ〜。あの小僧どこ行きやがった。おいぃぃぃーっ! 聞いてんのか、ギャルソ〜ン!」

4本目のワインがやって来た。
パトリックがウェイターから奪い取ってオリヴィエのグラスに注ぐ。

「はぁ〜あ…。なあオリヴィエよ」
「んにゃ。なんだパトリック?」
「ひっく。俺よぉ…さっき、アジア人ならイジめてもいいって言ったよな?」
「ああ」
「でもよ…」
「お。前言撤回か?」
「いや。アジア人はイジめてもいいんだ」
「なんだよそれww」
「だが中国人は止めとけ」
「なんで?」
「中国を敵に回すのは得策じゃない。まずもって人口が多い。カソリックよりも多い。たしか14億人以上いるんだ。しかもアフリカやアジアの国々にカネを貸しまくってやがるから、戦争になったらそいつらも加勢して来るやも知れん。いや戦争にならずとも、将来アメリカに代わって天下を取る可能性が充分あるからな。マクロンも習近平と仲良くやっているようだし、倣っておいたほうが賢明だろ?」
「なるほど。ところでアジアって中国以外にどんな国があったっけ?」
「そりゃお前…いろいろあんだろ」
「例えば?」
「さあ」
「テキトーだなww」
「ちんちん」
「ちんちんで誤魔化すなww」
「あ…」
「なんだパトリック?」
「思い出したよ」
「なにを?」
「アジアには韓国と日本があるじゃないか。K-POPとヘンタイだ。あいつらをイジめりゃいいんだよ」
「アハハ。そう言やそんな国あったな」
「あ…」
「なんだパトリック?」
「思い出したよ」
「今度はなんだ?」
「選手入場の際にアナウンサーが韓国の選手団を『北朝鮮』って紹介したろ?」
「ああ」
「アレ俺が仕組んだんだ」
「なんでww」
「ウケかな〜と思って」
「やり過ぎだろww」
「あ…」
「またなんか思い出したのか?」
「ああ」
「なにを?」
「お前は知らんかも知れんが、ちょっと前にフランスのサッカー協会が、公式Xで日本のことを『JPN』じゃなく『JAP』って表記したんだ」
「ふーん。そんなことがあったのか。それがどうした?」
「あれよぉ、俺のツレのアントンってやつがやったんだ」
「類友だなww」
「お…ワインがねえ。ギャルソ〜ン、ギャルソ〜ン!」

ウェイターが5本目のワインを持って来た。
パトリックが半分以上テーブルにぶちまけながらグラスに注ぐ。

「なあオリヴィ、おえっ。ゔおぉぉぉぉえええ…」
「…んにゃ。どした? パトリック」
「ちんちん」
「ちんちん」
「アハハ」
「アハハハ…。なんの話をしようとしたんだよww」
「忘れちゃった」
「もしもーしww」
「あ…」
「どうしたパトリック?」
「しようとした話を思い出した」
「ホントかよ…」
「ホントホント」
「話ってのはなんだ?」
「俺よぉ、オリンピック委員会のこともおちょくってやったんだぜ」
「え…。ひょっとして、あの五輪旗を上下逆さまに掲げたの、お前の仕業か?」
「ちんちん」
「ちんちん、じゃねーよww」
「いや、俺は平等の精神に則ってだな…」
「則りかた間違ってるww」
「IOCのおっさん、めっちゃ怒ってたな」
「そりゃ怒るだろww」
「いやいや、あんなことぐらいで怒っちゃダメだよ。ピリピリし過ぎなんだって。思うにIOCの連中はJAPの鈍さを見倣ったほうがいい」
「JAPの、鈍さ…。なんの話だ?」
「なんだオリヴィエ、お前も気付かなかったのか…。なら教えてやろう。開会式でJAPの旗手が掲げてた国旗あんだろ?」
「ああ。船の上でな」
「実はあの旗も上下逆さまに括り付けてやったんだww」

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