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ショートショート 「Neet Neet Neet」

鈴木太郎、28歳。
彼は生まれてこのかた仕事をしたことがない。
親が資産家なので働かなくても食えるのだ。
彼の生き方はたしかに理に適っていた。
する必要のないことをする必要はないからだ。

太郎は毎日ほとんどの時間をパソコンで動画を見て過ごしていた。
楽しみはそれだけで趣味はない。
かつてはよくゲームをしていたが、数年前にやめてしまった。
そしていまでは誰かがプレイする模様を動画サイトで観ている。
この行動の変化もまた理に適っていた。
クリア出来るように設計されているものを誰がクリアしようと同じことだからだ。

太郎はずっとニートをしながらも意外なことに健康だった。
充分に睡眠をとり、食生活に気を遣い、適度に運動し、体を清潔に保ち、定期的に健康診断を受けていた。
それもこれも末長くニート生活を続けるためで、彼はそのための努力を決して怠らなかった。
しかし必要以上の、或いは必要外の努力をする気はさらさらなかった。

太郎は生まれつきニート向きの性格をしていた。
酒も煙草も嗜まず、女遊びもギャンブルもしなかったし、高級品も持たなかった。
それゆえ支出が極めて少なく、経済的な不安がまったくなかった。
節制している訳ではなく、そもそも寡欲なのだ。
彼は単調で刺激のない生活に100%満足していた。

しかしある日、そんな太郎の内面に変化が起きた。
心のなかにむくむくとある願望が芽生えたのだ。
内野五郎になりたい…。
内野五郎は日本生まれのメジャーリーガーで、2023年シーズンの前半戦を終えた時点で32本のホームランを打っており、アメリカンリーグのホームラン王争いでトップに君臨していた。
特に6月の活躍は目覚ましく、計16本ものホームランを放って月間MVPに選出されもした。
そもそも太郎は野球のみならずスポーツ全般に関心がなく、彼のことを知ったのもつい最近のことだった。
しかし毎日のように内野がホームランを打った動画がアップされるのを目にするうちに興味を持ち始め、やがて彼が出場する試合を全部観るようになって行った。
限りなく縁遠い存在に見える太郎と内野五郎であったが、たったひとつだけ共通点があった。
ふたりとも28歳なのだ。
このさして珍しくもない偶然を太郎は非常に喜んだ。

ある日の夜、太郎はジョギングの途中、神社の前で足を止めた。
そして誘われるように鳥居を潜り抜けて境内まで進むと、賽銭箱に5円玉を投げ入れて鐘を鳴らし、生まれて初めて願いごとをした。

「神様。一生のお願いです。私を内野五郎にして下さい」

時は経ち、60年後の2083年。
88歳になった内野五郎は大学病院の個室で人生の終末期を迎えていた。
夏の平日の昼下がり、天気は快晴。
彼はベッドに横になったまま顔を横に向けて窓の外の景色を眺めている。
真っ青な空にホームベースみたいな形をした白い雲がぽかんと浮かんでいた。
入り口の扉が開く。
カーテンが揺れる。
若い男が部屋に入って来た。

「内野さん。今日からこの病院に勤めることになった看護師の佐藤と申します」
「佐藤さん…。はい、よろしくどうぞ」
「お体の具合はいかがですか?」
「ん…?」
「おからだの、ぐあいは、いかがですか?」
「ああ…体の具合ね。具合はまあ悪くないですよ。はい」
「あのう、同僚から聞いたんですけど、内野さんってかつてメジャーリーグでホームラン争いを演じた、あの内野五郎選手なんですってね?」
「あぁ、そうだよ。でも…」
「でも…?」
「実際のところ、僕はなんにもしていないんだ」
「そんな。謙遜なさらないで下さい。僕みたいに平凡な人生を送っている者から見れば、充分に…」
「後半戦が始まる前に引退しちゃったしね」
「…まあ確かにそうですが、前半戦が終わった時点ではホームランの数がリーグでトップだったんだから、やっぱり凄いことですよ」
「…」
「不躾な質問をしてもいいですか?」
「…どうぞ」
「どうしてそれだけ絶好調だったのに後半戦が始まる前に突然引退しちゃったんですか? 怪我でもなさったんですか? それともなにか精神的な問題が…」
「いや。心身ともに健康だったよ。…でもね、思ったんだ」
「なにをですか?」
「お金もあるし、やっぱりウチでごろごろするのが一番だなって…」

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