見出し画像

おじさんとの旅行 iiiii

前回はこちら。

兄が引きこもりになった。

ぼくとはふたつ離れている。

幼少期、感受性の高い時期に悲しい出来事があった人は、どことなく無表情に育つのではないかと思っている。
感情を押し殺し、子供であることをそのまま表現できないからだ。兄もぼくも、表面的に感情表現の豊かな人間ではない。今の笑顔は、成人になってから後天的に身につけた愛想笑いの延長なのかもしれない。
そうでなくては、こんなことをnoteにわざわざ書く必要なんてないから。

兄は中学校でちょっとしたイジメに遭った。陰湿なものでもなく暴力的なものでもなくただ、友達にバカにされた程度のものだったが、崩れかけていた積み木のような感情は、少し突いただけでバラバラになった。

兄は強制的にしか中学校を卒業できなかった。

思春期をボロ屋のなかで過ごしてた兄は、家の中で暴れた。

母を殴った。ぼくを殴った。

家中のありとあらゆるものをグチャグチャにした。中学校のほとんどを、兄は自分を傷つけ、家族に助けを求めていた。

ある日、国語の教科書が全ページビリビリに破れていたことがあった。
帰りの会で先生に相談した。後日、犯人は兄だと判明した。

だから、断片的な記憶しか残っていない。そのほとんどが悲しい記憶ばかりだ。

耐えかねた母とぼくは、いとこのおじさんの家に逃げ込むように居候することにした。

ぼくは小学校と中学校を、いとこのおじさんの家から通った。

「あれ、お前の家ここだっけ?」

「ちょっと、ここに用事があって」へんな嘘をついた。

いとこのおじさんは、子供に干渉したり話し上手な人でなく、電気工事の仕事一筋、現場一筋の職人気質な人。
何も言わず、ぼくと母をかばってくれた。そして兄を叱りにいってくれた。

家のゴタゴタが落ち着き、兄は正気に戻り仕事をし始めた。ぼくは芸人になるために上京した。

月日が経ち。

あんなに体格がよくて無骨で背中が大きくて穏やかで。頼り甲斐があってかっこよかったおじさん。

おじさんは、パーキンソン病になった。


介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。